第6話 余計なお世話だから
男子トイレの窓を突き破ってやってきた日比野さんは、高級なさくらんぼみたいな唇でうっそりと「確保」と呟く。
すると、彼女を取り囲んでいた重装備の男達が一斉に動き出し、たちまちアイツらを取り押さえてしまった。後ろで手を組んだ状態で捕縛されたアイツらは、為す術もなく地べたにへたり込む。
「そこの三人、面を上げなさい」
えぇぇ……何この大捕り物。時代劇みたいなんだけど。
しかもよく考えたら、ここの男子トイレは三階じゃないか。そう思って窓の外を見れば、バババババ……と数機のヘリコプターが校庭上空をホバリングしていた。その機体の横腹には『HIBINO』の文字。
日比野さんってもしや……想像していた以上にえげつないお嬢様なのでは?
「これより鏑木天真に対する乱暴狼藉及び誹謗中傷を行った件について吟味するわ。左から根岸浩平、西島健也、坂口拓と言ったかしら?」
僕と同様、面食らって口をあんぐり開けていたアイツらは、順に名前を呼ばれてようやく我に返ったようだった。
「はぁ? 誰だコイツ」
「つーか、何なんだよこの縄」
「離せよクソアマ!」
口々に彼女に向けて悪態をつくと、SPのゴリマッチョ達が途端に殺気立ってザッと警棒を構える。アイツらは小さく悲鳴を上げて身を縮めた。
「武器を下ろしなさい。私は話し合いをしに来たのよ。五条、例の物を」
日比野さんがそう言って正面を向いたまま片手を差し出すと、どこに隠れていたのか、今度は執事っぽい風貌の壮年男性が「かしこまりました」と現れて、彼女の開いた手の平に書類を置く。手術器具を手渡す看護師と外科医のような手際の良さだ。
「これは日比野家諜報部が調査した“下野高校二年A組のいじめに関する調査報告書”よ。ここに、貴方達がこれまで鏑木天真にしてきた数々の悪行が記されているわ。これを警察に提出したらどうなるかしら?」
ぱんぱん、と彼女は威勢良く書類をはたく。
「さっきトイレでしていた行為だけでも立派な暴行罪よ。未成年だったら大丈夫とでもお思い? 十四歳を超えたら成人と同じように捜査を受けるのよ。身柄拘束と事情聴取、勾留、家庭裁判所への送致……観護措置がとられたら最長八週間は少年鑑別所に収容されるわ。それから保護観察になるか少年院に」
「お嬢様。それ以上の詳しい解説はご不要かと」
執事風の男性がそう言うと、日比野さんは「あら失礼。ついパパの受け売りで」と上品に口元を押さえる。
アイツらはと言えば……すっかり顔面蒼白になっていた。
「さて鏑木天真」
「えっ」
当事者なのに観劇している気分でいた僕は、急に話を振られてドキッと顔を上げる。日比野さんは、見惚れるような凛とした顔で真っ直ぐにこちらを見ていた。
「ここからは貴方次第よ。謝罪と示談金を要求する? それとも被害届を出して身柄を拘束する?」
「……えっと……」
そんなこと言われたって、急展開過ぎて頭が追い付かないんだけど。そもそもどうして彼女がそこまでしてくれるのかさっぱりわからないし。
日比野さんの迫るような視線を逃れてアイツらの様子を見れば、恐怖とも憎悪ともとれる歪みきった顔で僕を睨んでいた。
――『ごめんね』
そのとき。ふいに脳裏に彼の顔が浮かんだ。
光りを失い、果てのない洞穴のようになったあの目――。
「どっちもしない」
僕は汚水に濡れた眼鏡を袖で拭き清めて立ち上がる。
「助けてくれてありがとう日比野さん。でも僕、助けてなんて頼んでないよ? 余計なお世話だから放っておいてくれるかな」
なるべく角が立たないよう微笑みながらそう言うと、日比野さんは「ふぇ?」と拍子抜けしたように首を傾げた。長い睫毛がパシパシ揺れる。
「何ですって? そんな、だって貴方あんなに苦しそうにしていたじゃない。彼らの所業は決して許されることではないわっ。もしかして同情しているの?」
「まさか。地獄に堕ちればいいと思ってるよ」
「――っかはァ!」
僕が毒づくと、なぜか日比野さんは撃ち抜かれたように胸元を押さえてよろめく。顔も真っ赤だ、特に耳が。
「えっ、大丈夫?」
「はぁ、ひぃ……き、気にしなくていいのよ。それより、本当に何もしなくていいの? 私なんて今にも腸が煮えくり返りそうよ!」
様子がおかしいので心配になって声をかけると、額を押さえながら息を整えていた日比野さんに再び問い質された。爛々と燃え盛る瞳と目が合って、僕は即座に視線を逸らす。
……何でだろう、彼女に見つめられるとすごく居心地が悪い。
「とにかく、もう僕には関わらないで。絶対だよ!」
僕は逃げるようにその場を立ち去る。
そういえば日比野さんって何年生なんだろう? つい勢いでタメ口で会話しちゃったけど、先輩だったりして。
「うーん。ま、いっか」
もう二度と会うこともないだろうしね。