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【休載中】声だけでいいって言ってるでしょう!  作者: 綿谷ユーリ
第一章 私の婚約者になりなさい!
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第3話 由々しき事態だわ

「……困ったわ」


 手鏡に映る深い隈を刻んだ自分を見てため息をつくと、五条が「またお休みになれなかったのですか?」と訊ねる。その渋い声色に、私の鼓膜は歓喜に打ち震えて――いない。


 全く、微塵も、ときめかないのだ!


 どうしたことかしら。

 例の美声男子高校生と出会ったあの瞬間から、五条の声にも、通学電車の車内放送にも、少しも耳が潤わなくなってしまったのだ。この二つは言わば私にとって白米みたいなもの。涎が出るほど美味しいわけではないけれど、毎日必ずそこにあってお腹を満たしてくれるものだった。

 それを失った今、私の耳は餓死寸前にまで追い込まれている。

 さらに彼と出会ったのが金曜日というのが最悪だった。翌日もピッタリ同じ時間に改札付近をうろうろしていたのだけど、よく考えたら公立高校は土曜日休みじゃないっ!

 そんなことにも思い至らないくらい精神状態が崩壊していた。もう丸三日も眠れていないし。


「完全に日常生活に支障を来しているわ……。早く何とかしないと」

「お嬢様。例の高校生に関する報告書がまとまりました」


 味のしない朝食を喉に押し込み、乾いて血走った眼をこすりながら、もはやただの優秀な執事となった五条に「読んで頂戴」と促す。


鏑木かぶらぎ天真てんま、十七歳。都立下野高校二年A組、学業成績は常に学年平均程度で部活は帰宅部。隣町のアパートに母親と二人暮らしで、下校後はすまいるマートにてアルバイトをしているようです」

「何ですって! すまいるマートって、あの駅の近くにあるコンビニエンスストアのことでしょう?」

「左様にございます」


 これは朗報だわ。

 これまでコンビニとは縁のない生活を送ってきたけれど、確かあれって24時間営業よね? しかも我が家から歩いてそう遠くない。


「すぐに彼のシフトを調べて頂戴。それから彼が通学に利用する電車の時間も」

「かしこまりました」


 これなら平日は駅で話しかけられるし、彼のシフト次第ではあるものの週末や夜間にも声を聴ける可能性がある。

 とりあえずは一安心ね。ホッとしたら、ようやく味がわかるようになってきたわ。今朝のお味噌汁なかなか美味しいじゃない。


「お嬢様、もう一つご報告が」


 私は久しぶりに感じる沢庵の塩気をしっかりと味わって飲み下してから「続けて」と言って、再びお味噌汁に手を伸ばす。


「どうやら鏑木氏は、高校で悪質ないじめを受けているようです」

「ぶふッ!」


 失敬、あまりに驚いてお味噌汁を噴いてしまったわ。


「いじめ? 未だにそんな非合理かつ前近代的なことをする嗜虐的な同世代がいるなんて驚きね」

「お嬢様がご存じないだけで、世間では蔓延しているようです」

「まあ、それは由々しき事態だわ! 即刻おじい様に対処してもらわなければ。ひとまず彼の加害者を突き止めたらすぐにパパに連絡しましょう」


 ちなみに私のおじい様、日比野耕造(こうぞう)は現内閣総理大臣。パパの日比野潔人(きよひと)は警察庁長官だ。


 それにしても、いじめなんて許せないっ!

 もしも彼が学校を辞めたくなったり、挙句の果てに引きこもりにでもなってしまったらどうするの! 国宝級の美声を拝聴できなくなってしまうじゃない!


 どこからともなく現れた使用人達に染みのついた制服を着替えさせられながら憤慨する私に、五条は慌てるでもなく己の目を隠して「ですが」と続ける。


「この手の問題は繊細な対処が求められる故、迂闊に関与するのは――」

「ごちそうさまでした。いざ出陣よ」


 新しい真っ白なセーラー服に着替え終えた私は、きちんと手を合わせて食事に感謝してから勢い勇んで家を出る。良く晴れた青空に桜吹雪が舞っていて、江戸の名奉行“遠山の金さん”こと遠山景元を彷彿とさせる陽気ね。


 もう大丈夫よ、鏑木天真。

 私、日比野美嶺が日比野家の総力を以って貴方(の声)を無事に保護してみせるわ!

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