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【休載中】声だけでいいって言ってるでしょう!  作者: 綿谷ユーリ
第一章 私の婚約者になりなさい!
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第2話 全身に稲妻が走ったの

 私には病的と言っていい程に極端な嗜好がある。

 それは――殿方の身体のどの部位よりも、その声に興奮してしまうこと。


 もちろん、どんな声でもいいわけじゃないの。

 好みはお腹が穏やかに揺さぶられるような低くて落ち着いた声。オペラに例えるならバスとテノールの間、バリトンと呼ばれる声域ね。

 だから、はりきってお見合いにやってくるきびきびとした青年よりも、四十を過ぎた我が家の執事の方にときめいてしまう。声さえ良ければ、外見や年齢は二の次。逆に声が気に入らなかったら、どんな美男子であろうと一ミリもときめかない。


 自分でも面倒くさいと思うけど仕方ないでしょう? それが声偏愛者(フェチ)さがなのよ。


 日比野家家訓、第十六条『男子十八、女子十六を過ぎたら速やかに婚約者を決定すべし』――このしきたりを守るため、一生懸命に私の婚約者を探してくれているパパには申し訳ないと常々思っている。だけど、こればっかりは妥協できない。

 これから先、何十年もの人生を共にするんだもの。毎日聴いても飽きたらない、鼓膜が痺れるような美声の男性じゃなくっちゃ!


 それにしても、なかなか私好みの声の持ち主っていないものね……。

 先日めでたく誕生日を迎えたけれど、日比野家の歴史上、十七歳になっても婚約者が決まらない女子は初めてらしい。どうりで最近お見合いの頻度が増えたわけだわ。

 毎週のようにお相手を探さなくちゃならないんだもの、セレクションが若干緩くなっても無理はない。今後はこの間の梁井さんのように、粗暴な方が紛れてしまうことを覚悟しないといけないわね。


 そんなことを考えながら、いつものように高校の最寄り駅で電車を降りる。

 私専用のリムジンを用意してくれているパパには悪いけど、校門の前まで車で送迎なんて断固拒否よ。世間ではお嬢様学校と呼ばれる名門女子校とはいえさすがに悪目立ちしてしまうし、何よりこの路線、車内放送の声が最高にナイスなミドルの男声なんだもの!


 ああ、今朝も耳が潤ったわ。

 私はピッと軽やかに改札にタッチして歩き始めた。


「日比野美嶺さん」


 ――ドクン、と心臓が跳び上がった。


 急に名前を呼ばれたからではない。

 背後から聞こえたその声が、あまりにも私の好みど真ん中だったのだ。


「あれ……もしかして、読み方が違うのかな? あ、()()()さん?」


 ――ぐふぉッ!!

 い、いい、今、全身に稲妻が走ったわ。危うく膝をつくところだった。

 ていうか『みみねさん』って、そんな兎じみた名前なわけないじゃない。秋の紅葉を思わせる大人びた声で、なんて可愛い間違いをするのかしら。わざとだとしたら相当あざといわよ!


「……()()()で合っているわ」


 息も絶え絶えにそう答えて振り返ると、黒い学ラン姿の男子高校生と目が合った。


 え? 嘘でしょ? あの子があの声の持ち主なの?

 いえ、あの子って言うのは失礼ね。自分も高校生だもの。それにしても……。


 声の雰囲気から勝手にもっと年上の男性を想像していた私は、こちらに気づいて安堵した様子でやってくるその男子をついまじまじと観察する。整えた形跡のない無造作な黒髪に、野暮ったい黒縁眼鏡。犬に例えるならニューファンドランドね。それも仔犬。背丈は私より若干大きいようだけれど、どこか幼いというか……発達の良い中学生と言われても頷ける。でも、学ランについているあの校章は確かに私が通う女子校の隣にある公立高校のものだ。


 本当にこの少年からあんな声が出るの――?


 立ち尽くしていると、彼はすっと手を差し出した。その手に、私の名がでかでかと刺繍されたハンカチを持って。


「あのこれ、落とし物です」

「はぅあッ!」


 二度目の雷撃に、ついに地に膝をつく。

 間違いない。彼こそがこの美声の持ち主だ。


「えっ! だ、大丈夫ですか?」


 急に四つん這いに倒れた私に、彼は慌てたように声を掛けてくれる。ありがとう、でも逆効果よ。そんな心配そうな声を出されたら余計に体中が痺れて動けなくなってしまうから。


 そのうちに、どこからともなく日比野家の警護の者達が現れた。電車通学とはいえ、いついかなるときでも警護がついているのだ。私の体調が悪いと勘違いした彼らは素早く周囲を取り囲んで人払いをすると、いつの間にか用意された担架に私を乗せ始める。

 美声の彼はと言えば……完全に呆気に取られていた。


「それ差し上げますわ」


 口をあんぐり開けて私のハンカチを握りしめている彼に、まだ痺れの残る唇でなんとか言葉を紡ぐ。

 すると彼は驚いたように何か言いかけたので、私は咄嗟に手のひらを見せて『待った』をかけた。これ以上は耳に毒だ。今日はもうあの衝撃に耐えられそうにないもの。

 名残惜しいけれど、ここはひとまず出直しましょう。


「ごきげんよう」


 私はひょいと担架で持ち上げられながら首だけで礼をする。


 急遽手配されたリムジンに乗せられていく私を見て、彼はどう思ったかしら。

 いえ。それ以前に、高校生にもなってハンカチに名前を刺繍しているのも問題よね。以前手芸の先生が褒めてくださってから何となく習慣でやっていたけれど、普通に変よね。ああでも、そのおかげで彼に名前を呼んでもらえたんだから、先生には感謝しなくちゃ!


 回転しすぎる頭でぐるぐると考える間にも、鼓膜の奥で彼の声がずっと反響して胸の高鳴りが止まなかった。



 ――それからというもの、私の生活は完全に破綻し始める。

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