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創世の賢者

ギャル侍女と天邪鬼令嬢

作者: 春風駘蕩

ざまぁ系小説が好きなので乗っかってみました。

 鈴木咲良は激怒した。必ずやかのろくでなしクソ王子をしばかねばならぬと決意した。

 咲良には政略結婚の良し悪しはわからぬ。咲良は、地球の日本に生まれた元女子高生である。お洒落に気を使い、仲のいい友と気楽に遊んで暮らしてきた。けれども姦淫に関しては、人一倍に嫌悪感を抱いていた。


「アヴェリア・ルイ・ツェンベルク侯爵令嬢よ! 貴様の腐った性根にはもう愛想が尽きた!」


 特に、目の前でいばり散らしている高慢を絵に描いたような美青年や、彼に媚びるようにしなだれ掛かる人形のような美しさを持つ少女には、殺意を抱かずにはいられなかった。

 さらにその足元には、赤く腫れた頬を抑えて崩れ落ちる己の主人の姿があるのだから、怒りもひとしおであった。


「アヴェリア様…!」

「私は真に愛し、守るべき姫を見つけたのだ! 貴様のように身分を鼻にかけ、他者を見下し誇りを踏みにじるような性悪女とこれ以上顔を合わせていたくなどない! 貴様との婚約は破棄し、新たにこのメリルと婚約を結ぶ!」


 咲良は慌てて主人であるアヴェリアのもとに駆け寄るが、相当なショックを受けたのか主人は頬を押さえたまま立ち上がることさえできない。

 痛々しい姿を見せるアヴェリアに、美青年はビシッと人差し指を突きつけた。


「命までは奪わん……だが貴様が犯した罪は許してはおけん! 国外追放を言い渡す! その罪を一生悔やみ続け、どこぞで野垂れ死ぬががいい‼︎」


 その言葉に咲良は激怒した。というか、ブチ切れた。


     ◇ ◆ ◇


「―――ごぼっ⁉︎」


 目を覚ました咲良を襲ったのは、口の中に流れ込む大量の水だった。

 眼を覚ましてすぐのため、いつも通りに呼吸をした途端に流れ込み、あっという間に溺れそうになる。

 その後どうにか足がつくことに気づき、岸辺を探し当てて這い上がることができた。


「…はぁっ! はぁ……はぁ…! うぇえ…なんかこの水臭い……ちょっと飲んじゃった」


 沼だか池だかもわからないが、とりあえずそのまま飲むのはダメだとわかる水をペッペッと吐き出し、咲良は辺りを見渡す。が、すぐになんの意味もないことに気がついた。


「ここどこぉ…? シキもジュンもどこ行っちゃったのよ…うわ……下着までビッチャビチャ、さいあくぅ…!」


 体に張り付く、水に濡れて重さを増した衣服を引きずり、咲良は誰でもいいから助けを呼ぼうと人を探す。

 やがて、徐々に脳が落ち着いてきたのか辺りの景色に意識が向くようになってくる。混乱のせいでまともに見えていなかった周囲が開けて見えてきた。


「…ウソでしょ」


 しかしやはり、見えてもなんの意味がないことを理解しただけだった。

 右を見ても左を見ても、前を見ても後ろを見ても、上を見ても下を見ても、周りに見えるものすべてに見覚えがない。まるで外国の山奥のどこかのような、都会から断絶された自然の孤島だった。


「何よここ……えっと、あれ…? あたし、ってかあたし達…修学旅行の飛行機に乗ってて、それで急に揺れ出して……あれ? まさか飛行機落ちた? じゃあ、あたし…死んだ⁉︎ 死んじゃったわけ⁉︎ …ひっくち!」


 またしても混乱に陥る咲良だったが、今度は全身に走った寒気のおかげで比較的早く我に返った。

 騒いでも泣き叫んでも、冷たく濡れたい服はそのままだし、人の痕跡が見つかるわけでもない。眼をそらせない現実が目の前に突きつけられ、咲良は愕然と肩を落とした。


「……とりあえず歩こう」



 我慢できたのはたった数時間だった。

 山登りの経験など片手で数えるほど、しかも人の手が入った山路程度の経験しかない咲良は、すぐに力尽きて森の中で倒れてしまった。


「……おな、か、減った」


 ギュルギュルと泣きわめく腹に痛みを覚えながら、どうにか仰向けになった咲良は朦朧とした意識で虚空に手を伸ばす。

 頭上の木の葉の切れ目から見える、点を舞う小鳥が異様に美味しそうに見えてきた。


(あたし……死ぬ、のかな……やだな……ひとりぼっち、なんて……)


 閉じそうになる瞼、それに必死に抗う間に、桜の脳裏には生まれてからの思い出が次々に蘇ってくる。ああ、これが走馬灯かと人ごとのように思う彼女は、最後にある一人の女性の姿を思い浮かべていた。


(…………ごめんね、ママ。親孝行も何にもできなくって)


 ろくな娘じゃなくてごめんね、と咲良は女手一つで自分を育ててくれた母の姿をまぶたの裏に焼き付け、ゆっくりと眼を閉じた。

 だが、不意に体を大きな影が覆う感覚に気づき、ハッと飛びかけていた意識を取り戻した。


「…ここにいたのか。全く手間を掛けさせる」


 いつのまにか咲良の目と鼻の先には、黒い鎧と外套を纏った背の高い何者かが立っていて、咲良をじっと見下ろしていた。

 まるで亡霊のような異様な威圧感を感じさせる大男の登場に、咲良はブワッと猫のように髪を逆立てさせて起き上がり、背後の木の幹まで後ずさった。


「だ、誰…あんた」

「名乗る名など無い……好きに呼ぶがいい」


 血のような赤い目で見つめられ、咲良は妙な緊張で頬をひきつらせる。

 ファンタジー小説やゲームをそれとなくやってきた咲良には、目の前の大男の装いはストーリー上で大きな役目を担う賢者や魔法使いのそれに見えた。が、それを現実のものと認識するには、咲良の中の常識が邪魔をして抵抗が大きかった。

 鎧の大男はそんな咲良の戸惑いも気にせず、ぎょろりと不気味に眼を動かし、また声を放った。


「……お前は、地球という惑星の日本で生まれた民の一人に相違ないか?」

「…! なんでそのこと…」

「問おう。お前が望むなら、お前の生活を最低限保証できる者のところに連れて行ってやる。望まぬのなら手は貸さん…この地で勝手にやるがいい」

「何その極端な二択…⁉︎」


 手間を掛けさせるといったのだから、てっきり助けてくれるのかと思ったのに、告げられたのはまさかの勝手にしろという言葉。

 流石にそれは無いのでは、と視線で問うてみれば、大男は面倒臭そうにため息をついて語り始めた。


()はお前達のような流れ者を監視しているだけだ。死のうが生き延びようが、いつどこにいたかを把握できていればそれでいい……お前が余計な騒ぎを起こし、この世界に毒を撒かない限りはな」


 冷たい視線とともにそう告げられ、咲良は表情を凍りつかせる。

 一応助けてくれる意思はあるようだが、そうして欲しければ大人しくついてこいという怪しさ抜群の台詞。従うべきか断るべきか、咲良の脳内はそれぞれの選択肢のメリットとデメリットでいっぱいになった。


「それで、返答は?」

「…い、行く」


 が、どれだけ考えたところで、さっさと決めろと急かすような問いに、つい流されてしまったのだった。



 そこから、咲良と鎧の大男の短くも奇妙な旅が始まった。

 大男は口では億劫そうなことばかり口にするものの、後を必死についてくる咲良を常に見守り、時に飲み物や休憩を与えて気遣う素振りを見せていた。

 はじめは警戒してなるべく距離を保っていた咲良だったが、次第に気を許し『おじさん』と呼んで慕うようにまでなっていった。冷たそうに見えた態度も、単に口数が少ないというだけで質問すれば答えてくれることに気づき、咲良は大男から多くの知識を得ることができていた。


 そんな二人の旅は、大男がとある町の最も大きな屋敷を訪れたことで終わりを迎えた。


「ほぇー…」


 テレビや漫画でしか見たことがない、大量の硝子の玉を使ったシャンデリアの提げられた客室で、咲良は唖然とした様子で天井を仰ぐ。

 フカフカのソファの上で惚けている咲良をよそに、大男は人の良さそうな顔つきの男性と向き合っていた。


「まさか当家に再び賢者様がおいでくださるとは…!」


 大男をやたらと敬う様子で話している男性は、この屋敷の主人にして領地の主だと言う。

 必死に大男にゴマを擦りながら、今度はぽかんとしたままの咲良に注目し始めた。


「しかもこの黒髪、黒い瞳。繁栄をもたらすとされる異世界の民の特徴そのもの! 曽祖父の代から貴方様には恩を受けてばかりだというのに、このような嬉しい贈り物があるとは!」

「黙れ。騒ぐな小僧が」

「失礼しました…! ああ、もちろん喜んでお預かりいたしますとも! 可能な限り丁重にお世話いたしますゆえ、どうぞご安心してください…」


 大男との話を終えた屋敷の主人は、へこへこしながら客室を後にする。

 そこでようやく我に返った咲良が、恐る恐るといった様子で大男に話しかけた。


「ここって結構いいとこのお屋敷なのでは……少なくともあたし、元の世界でも見たことないよ」

「ここいらを統べる領主の屋敷だ……善人ではないが悪人でもない。平均的な倫理感を持った凡庸な貴族だ。お前が大人しくしていれば、そうそう酷い目に遭うことはあるまい」


 なぜそんな微妙な家に、と訝しげな表情を見せる咲良に、大男はため息混じりに答えた。


「…お家騒動だの陰謀だのに巻き込まれるのは嫌だろう」

「ご厚意痛み入ります…!」


 貴族の家や王族関連でありがちな面倒臭そうな事件に巻き込まれるのは確かにごめんだと、咲良は恩人の気遣いを心底ある難く頂戴することにする。

 感激した様子で、ソファから立ち上がって深々と頭を下げ続ける咲良を見下ろした大男は、やがて自らもソファから立ち上がった。


「……ではな。()はもう行く」

「え…行っちゃうの⁉︎ 一人でこんなところに残されるのすっごい不安なんですけど…」

「やるべきことはやったからな。後は自分で頑張れ」


 ゴトンゴトンと鎧を鳴らし、咲良の恩人は振り向くこともなく咲良の元から立ち去っていく。

 呆気にとられていた咲良は、恩人が扉に手をかけた瞬間、思い切って声を張り上げた。


「あのっ……ありがとう、ございました!」

「……達者でな」


 もっとたくさん言いたいことがある。でもこれ以上手を煩わせるのは忍びないという葛藤に苦しみながら、咲良は去っていく恩人に礼を言う。

 やがて恩人の姿も消え、本当の意味で一人になってしまった咲良は、不安げな表情でソファに腰を下ろした。


「これから……どうなるんだろうなぁ」


 恩人の言うことを信じるなら、今後の生活は保証されるようだが、それでも不安は拭えない。

 ぼんやりと天井を仰いでいると、扉の向こう側からコンコンと乾いた音が響いた。


「は、はい! …ってあたしの家じゃないけど」


 またさっきの領主の男性だろうかと、少し緊張しながら身体ごと振り向く。今度は一人で話さなければならないのだと思うと、胃に重いものが詰まる気がしてきた。


 だが、扉を開けて姿を見せたのは、予想していた領主の男性ではなく、見目麗しい美しい少女だった。

 スッと細い輪郭を描く顔立ちに、つり目気味の宝石のような碧眼、金色の河のように豊かにウェーブを描く髪、そして思わず嫉妬したくなるような均整のとれた豊満な体つき。

 絵に描いたような美少女が現れたことで、咲良は思わず言葉も忘れて惚けてしまった。


「貴女が例の……ちょっと、よろしくて?」

「はい?」

「賢者様が連れてきたという少女……貴女がそうということでいいのかしら?」

「は…はい。そうらしいです…」


 第一印象と変わらない、高飛車そうな口調で話しかけられ、咲良の背筋がピンと伸びる。

 令嬢はじろじろと咲良を見下ろすと、ツンと鼻先をあげて睨みつけてきた。


「フン…! どうやって賢者様に取り入ったのかは知りませんが、あまり図に乗らないことですことよ」

「え?」

「何処の馬の骨ともわからぬ庶民が誉れ高きツェンベルク侯爵家に引き取ってもらおうなんて、身の程を知らないにもほどがありますわ。異世界の民というのは聞きましたが、その程度の常識も持ち合わせていないなんて呆れて言葉もありませんわ」


 どうやらこの令嬢は、身元の知れない異邦人でしかない咲良を屋敷に迎えることに不満があるらしく、疑わしげな厳しい視線を向けている。

 いきなり罵倒された咲良はパチパチと目を瞬かせ、難しい表情でぼやいている令嬢を凝視してしまっていた。


「お父様も一体何を考えているのか……いくら賢者様からの命とはいえ、お人好しも大概にして欲しいで…」

「ですよね⁉︎」

「ひゃっ⁉︎」


 いきなり目の前に顔を近づけられ、令嬢は存外可愛らしい悲鳴をこぼしてしまう。

 咲良に怒りはなかった。むしろ正論を突きつけられ、自分の感想は間違っていなかったのだと実感させてもらい、感謝の念すら抱いていた。


「いや私も同じこと考えてたんですよ! 薄々異世界転移かタイムスリップしてきたんだろうなーってのはわかってたけど、ぶっちゃけあたし特に大した知識とか特技持ってるわけじゃないのに妙に期待されたりしてすっごい居心地悪かったんですよ! 内政チートとか生産チートとか神様にももらってないしそもそも会ってもないし、何か革命的なものやってみろとか言われたらどうしよう絶対できないヤベェって思ってたし! 助けてくれんのかなと思ってたあの黒いおっさんは途中であんたのお父様?に丸投げしてどっか行っちゃうし、あたしも自分がすっごい場違いな場所にいるってことは痛いぐらいわかってますんで! いや、ほんと、最低限生活さえできれば…あ、いやもうちょっと欲を言えば寿命で逝けるくらいの収入だけあればすぐにでも出て行きますんで遠慮なく言ってくれればそれで十分なんで……‼︎」


 見知らぬ世界に迷い込み、溜め込んできた咲良の不満がここぞとばかりにぶちまけられる。

 ついつい感情の赴くままに喋り倒してしまった咲良は、呆気にとられた様子で目を見開いている令嬢に気づき、ようやく我に返って頬を赤く染めた。


「……なんか、あの、すんません」

「い、いえ…こちらこそ言い過ぎましたわ」


 恥じるあまり小さく肩をすくませる咲良を見て、令嬢も自分が一方的に言いすぎたと反省したのだろう。最初の気の強さがかなり薄れていた。


「そうよね…貴女は帰るところがもうないんだものね。だから賢者様は、貴女をここへ…」

「あたしがいうのもなんなんだけど、拾ったからには、拾ったなりの義務とかあるとは思いますけどね」

「仕方がないわ……賢者様はお人好しだけど、同時にひどい人間嫌いだもの」


 拾った犬か猫を、自分で飼うのではなく他所の人間や施設に連れていくような恩人の行為は何とも無責任な行為に思え、呆れて言葉も出ない。

 しばらく気の毒そうに咲良を見つめていた令嬢は、やがて何かを決心した様子で手を叩いた。


「……決めましたわ。貴女の身は私が預かります」

「へ?」

「当面はそうね……侍女見習いとして私のそばにいなさい。作法や仕事については、我が家に長く勤めるベテランの侍女長に教えさせます」


 何か考え込んだと思えば、いきなり就職先を提示してくれた令嬢に、咲良は思わず目を丸くする。よそ者を遠ざけたがっていたのに、どういう心境の変化だろうか。


「い、いいんですか? そこまでしてもらって…」

「し、仕方がありませんもの。一度預かった子を外へ放り出すなど、それこそ貴族にあるまじき所業ですわ。せいぜい一人前に働けるようになって、当家の役に立ってくださいな」


 不安げに咲良が尋ねるが、令嬢は頬を赤く染めてそっぽを向いている。ツーンとすました顔はやはり鋭いが、恥じらっている姿は愛らしく嫌えそうにない。

 素直じゃない令嬢をじっと見つめていた咲良は、すぐにある結論に思い至った。


(この人……絶対ツンデレだわ)



 かくして、咲良の異世界侍女生活が始まった。

 慣れない侍女の制服に袖を通し、侍女頭だというふくよかな体型の女性に一から百まで多くの知識を叩き込まれる日々が始まり、あっという間に忙しくなった。

 バイトもまだ経験していない咲良には大変な日々だったが、なぜだか性に合ったのか妙に充実していた。


「……サクラ、この窓は一体…?」


 ある日、窓の清掃に精を出していた咲良に、侍女頭が驚愕で目を丸くしながら近づいてきた。

 咲良はきょとんとした様子で振り向き、窓を拭いていたものを侍女頭に見せた。


「ん? あぁ…これですか?」


 咲良が見せたのは、何の変哲も無い濡れた紙。薄い紙にインクで文字が刻まれた、新聞紙に近い紙類だった。


「うち、母さんが家事代行……あ、いや何て言うかな。出張で他所の家に働きに行く家政婦みたいなことやってて……そんで上手な掃除の仕方とか裏技とか持ってて、私も手伝わされて教えられてたもんで。実は結構家事得意なんですよね」


 照れた様子でしたを出す咲良に、侍女頭はまじまじと少女を見つめ、感心したようなため息をつく。思いもよらぬ掘り出し物だったと、偶然と主人の娘に感謝しているようだ。


「……サクラ、その技術を他のメイド達に教えることは可能?」

「ほぇ? いいですよ?」


 こうして咲良は、母に教わった知識や経験を生かして台頭を始め、同僚達から絶大な信頼と期待を受けて行くこととなる。

 掃除にこだわらずお菓子作りや美容法などでも遺憾無く知識が発揮され、その性能の高さに目をつけたアヴェリアによって領民にまで広まり始めた。

 人に誇れる特技がないと不安に陥っていた異世界の少女は、望まぬうちに有力な立場を築き上げていった。



「こんな豆知識とかでよかったのかな〜……異世界転移とか召喚ものって結構楽かも」


 いつの間にか他の侍女達だけでなく、屋敷の外の領民達にまで尊敬の念を集めていることに気づいた咲良は、ニヤニヤと笑みがこぼれるのを止められなかった。

 このままいけば、それほど苦労することなく悠々自適な生活を遅れるのではないかと、能天気なことばかり考えそうになっていた。


「……たとえお兄様でも許しませんわよ!」

「ん?」


 浮かれた様子で歩いていた咲良は、そんな怒号が聞こえてふと立ち止まる。

 聞こえてきたのはアヴェリアの声で、それが聞こえてきたのは彼女の兄が使っているという一室の中からだった。


「お前の意思がどうであろうと関係ない……あの娘の知識は他の何よりも代え難い財だ。お前と懇意にしているのだから、決して手放すなというのは間違ってはいないだろう」

「そのような言い方…! まるで私がサクラに利用価値があるからそばにおいているようではありませんか!」

「それの何が問題だというのだ……私はいずれ父上の後を継ぎ、このツェンベルク公爵領を統べる者だ。そのために利用できるものは何でも使うべきだ……もっと大人になれ、アヴェリア」


 思わず中に気取られないように耳を澄ますと、アヴェリアとその兄らしき男性が言い争っているのが聞こえる。

 よくないとは思ったが、同にも内容は自分に関わるもののようで、聞き逃す気になれなかった。


「甘く見ないでくださいませ…! 私はサクラを利用したりしませんわ。今はあくまで侍女ですが、私にとって彼女は大切な友人であり、かけがえのない宝物ですのよ!」


 アヴェリアの兄は咲良を利用価値の高い道具と見ているらしく、冷たい声で妹に告げている。

 しかしアヴェリアはあくまで咲良を一人の人間としてみているらしく、それに余計な金勘定を挟もうとしている兄に強く反発した。

 険悪な空気が流れる中、アヴェリアはフンと鼻息荒く仁王立ちし、真正面から兄を睨みつけた


「これ以上私とあの子の仲を邪推するようであれば、お兄様といえど覚悟することですわ!」

「……好きにしろ」


 妹の意思は固いと諦めたのか、アヴェリアの兄はあきれた様子でため息をこぼす。

 部屋の外で当の本人が涙目で聞き耳を立てていることなどつゆ知らず、アベリアは友人を悪意から守りきったのだと、誇らしげに胸を張っていた。


(お嬢様……一生ついていきます!)


 この瞬間、咲良は決意した。

 悠々自適な生活も贅沢もいらない。得体の知れない異世界人の自分を迎えてくれた心優しい令嬢のためにこそ、誠心誠意仕え続けようと。

 それこそが、自分がこの世界に呼び出された本当の理由なのだと信じて。



 だがそんな生活に、暗雲が立ち込め始めてきた。

 毎年開かれるという、王宮での繁栄を願うパーティーの日程が迫り、ツェンベルク公爵家の使用人達も準備に駆り出されていた。

 だがその日が近づいてくるにつれて、アベリアが物憂げな態度を取るようになってきたのだ。


「……どうしたんですか? そんなに落ち込んで」


 窓際で寂しげな表情を浮かべているアベリアに気づき、就寝の準備をしようと入室した咲良が尋ねる。

 侍女頭に叩き込まれ、敬語がすっかり身についた今の咲良は、どう見ても一人前の侍女にしか見えなかった。


「…サクラ、私には女としての魅力がないのかしら」

「はい?」

「…私に婚約者がいることは知っていますわね」

「あーはいはい……じゃなくて、ええ…この国の第一王子であるストラウス殿下ですよね」


 アヴェリアに言われ、咲良は脳裏に同僚達に教えてもらった情報を思い浮かべる。

 アヴェリアが幼い時から交わされているという婚約、その相手であるストラウス・ヴェル・アルヴェスク王子は、眉目秀麗で優秀な青年だったという。

 しかし、王宮内でのいまの彼の評価は、婚約当初とは大きく変わっているらしい。


(最近はどこぞの馬の骨とも知れないご令嬢にぞっこんだとかなんとか……お嬢様ってばあんな野郎のどこがいいのやら)


 婚約者がありながら他の女にうつつを抜かす、碌でもない王子のことを思い浮かべて咲良はわずかに眉間にしわを寄せる。

 救えないのは、それを反省するどころか本来の婚約者であるアヴェリアに対して高慢な態度を取っているという事実だ。


「最近ね…あの方は私にとても冷たいの。彼の方にふさわしい淑女になるために努力してきたのに、顔を合わせれば罵倒ばかり……自分を見下しているんだろうとか、調子に乗るんじゃないとか。私、そんなつもりは全くないのに」

(…ブチ殺したろかクソ王子が)

「何か誤解があるようですね…お嬢様の素晴らしさは私はもちろん、領内の誰もが存じております。それが彼の方に上手く伝わっていないというだけでしょう。あまり気に病むのもお体に障りますわ」


 思わずめらっと湧いた殺意を笑顔の仮面で隠し、咲良は落ち込んだ様子でため息をつくアベリアの肩に手を添える。

 どう考えても浮気しているストラウスの方に非があるが、優しいアヴェリアはきっと彼を庇うだろうと、咲良はなるべく話題を荒立てない方向で慰めた。


「そうでしょうか…?」

「そうですとも!」


 満面の笑顔で、咲良はアヴェリアの目に滲んだ涙を拭う。

 アヴェリアはその言葉でかなり救われたのか、若干不安げな顔に微笑みを浮かべ、すっと背筋を伸ばして椅子に腰掛けた。


「…あなたに話したら、少し楽になったわ。気分を変えたいから、お茶を淹れてくださる?」

「かしこまりました」


 願わくば、この顔がまた悲しみに彩られることのないように。

 そんな願いを込めて、咲良は急いで紅茶の容易に取り掛かるのだった。


     ◇ ◆ ◇


 そして現在、咲良の願いは最悪の形で踏みにじられることとなる。


「アヴェリア! 貴様は身分を笠にメリルを脅し、卑劣な嫌がらせを繰り返し、挙げ句の果てには階段の上から突き落とし殺害しようとまで目論んだ! 貴様が俺の婚約者など反吐がでる! 何よりもそんな性根の腐った女が国母となるなど論外だ‼︎」


 金髪碧眼の高身長という絵に描いたような美青年が、凄まじい形相で床に倒れたアヴェリアを睨みつける。

 傍に立つ、桃色の波打つ髪に男好きする豊満な肉体を持つ美しい少女を抱きしめ、本来エスコートすべき侯爵令嬢を見下す彼が第一王子だとは、本人達以外誰も思わないだろう。


「俺はメリルを愛する者として、そして王を継ぐ者として、国を守るために貴様のような最低最悪の罪人に裁きを下す! 貴族位を剥奪の上、一族郎党国外追放の刑だ! 命拾いしただけましと思え!」


 状況に酔っている王子、ストラウスとメリルと呼ばれた少女は、呆然と座り込むアヴェリアに嘲笑を向ける。

 構図だけ見れば、悪役の令嬢とそれに打ち勝った薄幸の美少女のように見えるかも知れないが、王子の胸の中にいるメリルの表情は悍ましく歪んでいる。

 唯一それに気づかない王子の前に、一人の侍女が立ち塞がった。


「……あなたに何故、アヴェリア様を一方的に責める権利があるのでしょう?」


 ゆらりと、倒れ込んだ主人を心配しその体を支えていた侍女、咲良は、感情をうかがわせない無表情でストラウスを見つめる。

 見覚えのない侍女が割って入ったことで、ストラウスは不機嫌そうに眉間にしわを寄せた。


「ん? 何だ貴様は。侍女風情が口を挟むな!」

「侍女だからこそ、敬意を払うに値しない方に苦言を申しているのですよ。王子殿下」

「王太子殿下、だ」


 咲良の敬称に不満げに口を挟むストラウスだが、咲良の言葉は間違ってはいない。

 次期国王の有力候補であることは間違いないが、まだ立太子式を終えていない彼を呼ぶのは、王子という敬称でおかしくはなかった。


「聞けば殿下は、婚約者であるアヴェリア様を放置し、そのメリルという平民の女性とばかり逢瀬に耽っているとか……王族の殿方にあるまじき醜聞ですわね」

「それがどうした! 俺が誰とどこにいようととやかく言われる筋合いはない! 単に出会う順番を間違えただけだ! メリルこそ俺の運命の女性だ‼︎」

「聞こえはいいですが……言ってしまえばそれは決まった相手がいるというのに他の女性に色目を使っていたというだけですよね」

「そこに俺の意思などない! これは俺の紛うことなき真の思いで……真実の愛だ‼︎」

「……そうですか」


 言葉は丁寧に、しかし眼差しは絶対零度のごとく冷え切った咲良の苦言にも、ストラウスは全く臆する様子もない。恥じる様子もない。

 貴族達の前で堂々と不貞行為を認め、開き直った様子で聞くに耐えない暴言ばかり繰り返す、王族らしからぬ愚者の姿を目の当たりにし。


 ブチィッ、と。

 咲良の中で何かが切れた。


「そうですかそうですか……運命の出逢いとか真実の愛とか、小っ恥ずかしい薄っぺらい感情で浮気した挙句、私の大事な大切なお嬢様を散々扱き下ろしてくれやがったわけですか。そうですかそうですか…!」

「さ、サクラ…?」


 ワナワナと肩を震わせ、目に見えそうなほどに濃い殺気を迸らせる咲良に、先ほどまで涙を流していたアヴェリアも唖然とする。

 ストラウスもメリルも、周囲の貴族達までもが様子の変わった咲良を前にたじろぎ、困惑した様子で後ずさった。


「ざっけんじゃねーぞ色ボケクソ王子がぁ‼︎」


 そして咲良は、爆発した。

 侍女頭に叩き込まれた礼儀作法も、客人や目上の者に対する笑顔の仮面も全て取っ払い、ただの鈴木咲良となって溜め込んできた怒りを遠慮なくぶちまけた。


「てめぇさっきからベラベラベラベラ勝手なことばっかぶちまけやがって! 要はてめぇの浮気を誤魔化してぇからこんな公衆の面前でウチのお嬢様を罵倒して、冤罪吹っかけて恥かかせて責任転嫁したかっただけだろうが‼︎ 本当の屑はてめぇの方なんだよクソが‼︎」

「こっ…この俺に対しなんたる不敬……!」

「身分を笠に着て虐めてるだぁ? 今のてめぇを見てみろよ! てめぇより身分が下のお嬢様を虐めてるのはてめぇ自身だろうが‼︎」


 怒涛の勢いで叩きつけられる咲良の怒号に、優越感に浸っていたストラウスは圧倒されてまともに反論もできない。

 いくら正論をぶつけられようと黙らせる自信があったのに、侍女の放つ威圧感によりうまく口が回らなくなっていた。


「ちょっ…ちょっとなんなのよあんた! ストラウス様になんて口の利き方をしているのよ! たかが侍女風情が生意気…!」

「てめぇこそ何様だゴラァ! 同じ学院に通ってるってだけで貴族ぶりやがって! お嬢様だけじゃなくてお嬢様の友達(ダチ)にもいばり散らしてたじゃねぇか! てめぇだってたかが平民風情じゃねぇか!」


 いつの間にかか弱い女性の振りを忘れたメリルも口を挟むが、咲良の怒りの矛先が自分にも向いたために思わずストラウスの影に隠れる。

 まるでコバンザメか、虎の威を借る狐のような情けない姿に、咲良の怒りはさらに燃えあがった。


「どいつもこいつも自分のことを棚にあげてお嬢様を悪役にしやがって…! いっぺん鏡でてめぇのツラ見てみろよ! どうしようもねぇくらいに醜い面が拝めるだろうよ‼︎ 悔しかったら反論してみやがれ‼︎」


 言いたいことをまとめて言い切った咲良は、荒い息を整えようと何度も肩を上下させる。

 咎めるよりも先に、王族相手にそこまで啖呵をきれる平民を初めて見た貴族達から感嘆の声が上がる中、ストラウスとメリルは我に返る。

 一方的に言われてプライドを傷つけられたのか、その目に殺意が滲み始めていた。


「この…! たかが庶民の侍女がこれほどの暴言…やはり主人が主人なら配下も屑だな!」

「そ、そうよ! 死刑よ! 死刑にすべきだわこんな女達!」


 罵倒の言葉がやんだのをいいことに、好き放題吠えて騒ぎまくる王子とその浮気相手。

 その場に居合わせた兵士達が、どうこうどうすべきか同僚達と顔を見合わせたりと、異様な緊張が漂い始め、アヴェリアは焦る。

 このままでは自分を庇ってくれた親友が、謂れのない罪で処断されてしまう、そんな恐怖を抱いた。


「サクラ…!」

「そのような権限はお前にはない、馬鹿息子が」


 侍女の身を案じ、不安げな声をこぼした時、その場に新たな声が割って入った。

 貴族たちはハッと目を見開き、人垣を割って進み出てくる最も豪華絢爛な装いの男女、王都王妃を前に礼を以って出迎える。

 そして、その後に続く黒い鎧と外套を纏った大男を見つけ、ざわざわとどよめき始めた。


「あぁくそ……やっと入れた」


 忌々しげに呟き、王夫婦の後を歩く恩人に、咲良は思わず怒りも忘れてパチパチと目を瞬かせた。


「……おじさん?」

「賢者様…!」

「賢者様だ……」

「滅多に王都にも現れないのに…」


 単に知り合いがこの場に現れたことに驚く咲良とは異なり、貴族達は信じられないといった様子で口々に反応を示す。

 何かしらの著名人を前にしたファンのようだなと、賢者の名の凄まじさを知らない咲良は呑気に考えていた。


「ふ、フハハ…! 丁度いい、父上と母上、それにかの名高き賢者にも貴様らが裁かれる瞬間をご覧になっていただこうではないか! 俺に逆らう者は皆こうなるのだ!」

「賢者様ぁ、この二人が身の程も弁えず生意気なんですぅ。ほら早く早く! この二人を捕らえちゃってくださいよぉ〜」


 絶好の時期に現れた父母と著名人の登場に、ストラウスとメリルは勝手に味方が増えたと思い込んで下卑た笑い声を漏らす。

 そんな彼らと相対した賢者は、メリルの方を見やると気だるげなため息をついた。


「見つからないと思ったらこんなところにあったのか……あの糞餓鬼、余計な手間ばかりかけさせやがって」

「ちょっと何やってん…してるんですかぁ! さっさとそいつらを片付けて―――」


 なぜか自分を見つめたまま動こうとしない賢者に焦れたのか、メリルは先ほどの媚びた態度を忘れて苛立たしげに喚く。

 賢者は一言も答えないままメリルを、いや、メリルの耳につけられたイヤリングを睨みつけた。


 すると次の瞬間、そのイヤリングの片方が何の前触れもなく砕け、地面に散らばった。


「……え?」


 何が起きたのかわからず、惚けた様子で立ち尽くすメリル。

 その顔を今一度目にした周囲の貴族達は、視界に入ったそれに大きく目を見開き、悲鳴を上げて一斉に後ずさっていった。


「キャアアアアアアアア‼︎」

「な…なんだあの顔!」

「ば、化け物みてぇ…!」


 息を呑み、吐き気を催し、気を失い、パーティー会場はあっという間に阿鼻叫喚の地獄と化す。

 唯一その反応についていけていないメリルは、他の者と同じように絶句しているストラウスに戸惑いの視線を向けた。


「め、メリル……その顔は一体…⁉︎」

「え……お、王子様? 一体なんの話を…」


 恐怖か、嫌悪か、これまで見せたことのない歪んだ表情を見せる王子に、メリルは混乱したまま右往左往する。

 見かねた王妃が、面倒そうに手鏡を向けると、メリルの顔色も一瞬で真っ青に染まった。


「ひっ…ひぃいい⁉︎ な、何で⁉︎ なんで半分元に戻ってるのよ⁉︎」


 自身の顔を掴み、メリルは悲鳴を上げて立ち尽くす。

 人形のように整っていた自分の顔が、身体が、見るも無残に醜く変わり果てている。いや、戻っている。低い鼻に腫れぼったい瞼、ブクブクに超えた腹に短い足と、先ほどとは正反対の悍ましい姿が晒されていたのだ。


「おーおー、あれも騙された口か。同情はせんが憐れなものだな」

「ちょ…何あれ何あれ。なんか半分だけブッサイクになってんだけどどういうこと⁉︎」

「サクラ、口調口調」

「おっと…」


 逆整形か、と困惑する咲良は、この現象について知っているであろう恩人に視線を向ける。

 黙り込んでいた賢者は、じっと向けられる咲良とアヴェリアの視線に根負けしたのか、心底面倒臭そうに兜の中の口を開いた。


「あの髪飾りは魔術道具でな……光の屈折を利用して身につけた者の外見を好きに弄ることができるようにする代物だ。…何年もこの国に通ってようやく見つけたと思ったら」

「おぉう…ふぁんたじぃ」


 それっぽい世界だとは思っていたが、魔法が使われるところを初めて見た咲良は、改めて自分が遠い世界にきたことを実感する。

 そしてふと、不思議そうに首を傾げて再び恩人に尋ねた。


「じゃあなんで半分だけ美少女のまんま?」

「あれは不完全な代物でな、対となっている髪飾りを両側から装着せねば幻術が半分しかかからんのだ。わかりやすいように半分だけ壊したがな……さて、と」


 説明を果たした賢者は、ゴトンゴトンと鎧を鳴らして喚きまくっているメリルの方へ近づいていく。

 そこでは正気に戻ったらしいストラウスが、怒りに震えながらメリルを睨みつけていた。あれほど熱を上げていたというのに、流石にすっかり冷え切ってしまったらしい。


「メリル……まさか君は、俺を謀っていたのか…⁉︎」

「…ち、ちが…!」

「何が違うというのだこの醜い化け物が!」

「どけ、屑。お前に用はない」


 メリルの嘘を見抜けなかった自身を棚に上げ、またしても罵倒を口にしようとしたストラウスが、賢者の腕の一振りで宙を舞う。

 唖然となるメリルの首をがっしりと掴み、賢者は偽りの美少女を赤い目で射抜いた。


「言え、お前はどこでそれを手に入れ得た」

「何なのよぉ…! なんであたしの邪魔すんのよこのクソジジイ! せっかく頭のゆるい王子捕まえて玉の輿に乗れると思えたのに……あんたのせいで台無しじゃないのよ‼︎ 何が賢者よ! 余計な真似してんじゃないわよゴミ野郎‼︎」

「……話にならんな」

「げぎゅっ⁉︎」


 望む情報が得られないことを悟り、賢者はもういいとばかりに手に力を込める。

 途端に大人しくなり、ぐったりと項垂れる女を片手で抱えると、賢者は申し訳なさそうに見つめてくる王に目を向けた。


「国王、当初の予定通りこの餓鬼は()が連れて行く。異論はないな」

「無論でございます……むしろ、当家の騒動に巻き込んでしまったことを深くお詫びいたします」

「…ではな」


 もはや親子の方も冷めたのか、女に弄ばれて好き勝手していた王子には目もくれず、王は賢者に深々と頭を下げる。

 それに背を向けた賢者は、いまだに戸惑ったままのアヴェリアを抱えて立ち上がらせている咲良に目を向け、フッと小馬鹿にしたように笑みをこぼした。


「……なんだ、口ではああ言っておいて、十分に生を謳歌しているではないか」

「おじさん…」

「せいぜい生きろ。せっかく手に入れた宝を手放さぬようにな」


 固く握られた令嬢と侍女の手を見やると、賢者はどこか羨ましそうにつぶやき、その場から立ち去っていく。

 咲良はそれを某然と見送っていたが、やがてハッと我に返ると背筋をピンと伸ばし、遠くなっていく背中に感謝の全てを込めて深々と礼をする。

 アヴェリアもまた、他にない親友と巡り合わせてくれた賢者に敬意を示し、美しいカーテシーを行うのだった。



 アヴェリア・ルイ・ツェンベルク侯爵令嬢と一介の侍女鈴木咲良はその後、身分の差を超えた友情で結ばれた親友として知れ渡ることとなる。

 以降二人には、咲良の元の世界の友人である新たな異世界人が現れたり、復縁を求めるストラウスにアヴェリアが攫われたり、桜と友人達がそれを助けるために大冒険を繰り広げたりするのだが。


 それはまた、別の話である。

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