第一話「はじまりはいつも雨」②
陽陵学園高等学校生徒会室──その突き当りの生徒会長席に座った島崎栄一は、窓の向こうの篠突く雨を見るともなしに見ていた。
今年の梅雨は雨が激しいような気がする──しかし、もしかしたら去年も同じようなことを思ったかもしれない。はっきりとは覚えていないが、つまりはいつも通りということか。
いつも通り。それならそれで問題ない──と適当に考えていると、生徒会室の戸が開いた。
「お疲れ様、島崎君」
副会長の植村叶が入って来た。
「植村さん。報道部の仕事が忙しいみたいだね」
ここのところ、植村が生徒会室に来る時間はいつもより遅い。植村は生徒会副会長を務める傍ら、校内新聞の発行を行う報道部の編集責任者を兼任していた。事務処理に優れた彼女は見事にその二つを両立していたが、多忙であることは間違いなかった。
「うん。このところ記事になりそうなネタがいくつもあって、並行して取材してると人手が足りないの」
「へえ」
「煙藤先輩へのインタビューがなかなかうまくいってなくて」
「煙藤?」
「聞いたことない? たった一人で奇術同好会を立ち上げた人だよ」
「一人で? たしか部は最低五人必要なんじゃ」
「正式に申請はされてないから非公式なものだね。だから部じゃなくて同好会。でも単なる趣味を超えた腕前なんだって。プロも出るようなコンテストに一人で出て毎回上位入賞してるとか」
「そりゃ凄い」
「なかなか取材のスケジュールが合わなくて。神出鬼没なんだよね、その人」
「学生なのに? 変な話だね」
「しかも無遅刻無欠席。なのに神出鬼没。ほんとに変な話だよ。陽陵学園一の変人なんて呼び名もあるみたい」
もちろんそんな不名誉なフレーズは紙面には書かないけどね、と植村は笑った。
「その他にはね、野球部の生徒が車にひかれそうになった子供を助けたっていう話と、うちの学校が主催した英語スピーチコンテストの模様を記事にする予定なの。あと一つ──」
「ん?」
言い淀むような語調を不思議に感じて見返すと、植村は困ったように少し笑った。
「これは私は反対なんだけど、転校生の特集を組もうって話があるんだ」
「転校生? ──ああ」
そういえば一週間ほど前に転校生が一人来たという話を聞いた。
たしか──二年の女子だったか。
「結構話題になってるんだよ。こんな半端な時期に転校してきたからってだけじゃなくて、聖ヨハネ祈念学院からの転校生だって」
「聖ヨハネ……市内の学校から?」
聖ヨハネ祈念学院は陽陵学園と同じ石藪市内にあるミッション系の女子高である。校舎の荘厳な雰囲気と偏差値の高さが相俟って、お嬢様学校というイメージを確立していた。
しかし、引っ越しなどで遠くの学校から転校してくるのなら話は分かるが、わざわざ同じ市内の陽陵に転校するというのは珍しい気がする。
「なるほどね……みんなその真相を知りたがってるってわけか」
「そう。しかもすごく綺麗な人らしいから、余計にね」植村は表情を曇らせる。「でも、もし私なら──転校してきたばっかりで何も分からない不安な時期に、取材なんて名目で色々詮索されるのは嫌だな。それがたとえ、今飛び交ってるいろんな噂や憶測を否定して変な先入観を持たせないようにする目的だったとしても……新聞って、読む人を指定できないものだからね。軽率に個人的な事情に踏み入るべきじゃないと思う」
「僕もそう思うよ」
島崎は頷きながら、植村の倫理観に改めて感心していた。
報道部が活発に活動し、多岐にわたる内容の記事で紙面を充実させている割に取材などで一切問題が起こらないのは、この植村の高潔な報道方針によるところが大きいのだろう。
しかし反面、植村が引退した後の報道部が不安でもあった──植村に匹敵するほどの人格者はそういない。
「植村さんは本当に優しいね。報道に携わる人が皆、植村さんくらいに人を思いやれる人ならいいのにな」
「そっ、そんなことないよっ」
植村は顔を赤くしてわたわたと手を振った。
「私はそんなにすごくもないし……それに仕事でやってる人の場合はまた違うから……大人の世界にはきっと色んなしがらみもあるんだろうし、理想だけじゃ通らないことばっかりなんじゃないかな」
「植村さん……」
「お疲れっす」
突然の声にびっくりして振り返る。
島崎がよほど驚いた顔をしていたのか、戸の前に立った少年──生徒会書記の樋野祐圓が面食らったように眉を上げた。
「あ、もしかしてお邪魔でした?」
「え? いっいや、別にそんなことないけど」なぜ取り繕うような調子になっているのかわからないまま、島崎は早口で答える。「今日は用事があってここには来ないと聞いてたから──ちょっと驚いただけだよ」
「確かにその予定だったんですけどね……」
言いながら、樋野は横にどく。その動きに続くようにして、一人の少女が生徒会室に入って来た。
見覚えのない顔だった。陶器でできた人形のように整った顔立ちと白い肌が印象的で、艶やかな黒い髪を腰に届きそうなほど伸ばしている。
二年生であることを示す緑色の上履きはまだ真新しい。細くたおやかな体を包む制服も糊がきいていて、清潔さよりもむしろまだ着慣れていないという印象の方が強かった。
「はじめまして」少女は腰の前で手を重ね、丁寧に一礼した。「今月こちらに転校して来ました、新妻未沙と申します」