八方塞がり
八方塞がり
仮野は病院で働いている30代前半の笑顔が似合う男だった。ただし決して美男子というわけではなく、優しいだけが取り柄のような男であったため、職場の女性達からはツルベェさんと呼ばれ恋愛対象にはされていなかった。当然彼女などいない。
ある日、暇を持て余していた仮野へ久しぶりに高校の同窓会の案内の手紙が届いた。
同窓会の当日、何かしらの出会いへの期待を胸に人でごった返すパーティー会場に仮野は立っていた。
会が始まると、直後に遅れて入ってきた長身で痩せていてモジャモジャした頭髪をした神経質そうな男が仮野の横にスッと入ってきた。仮野とは違う病院ではあるが、仮野と同じように病院勤めをしているカヤマという男だった。カヤマは自分のコップにビールを手酌で注ぐと一気にグビッと空けて、開口一番、仮野に「今仕事は何をやっているんだ?」と尋ねた。仮野が少したじろぎながら今も病院で事務員をしているよと答えると「病院で働いている人と合コンしたいという女性がいるんだけど会ってみないか?」と唐突に言ってきた。
仮野は何だよ藪から棒にと思ったが、同窓会の親しくもない間柄の会話なんてそんなもんだろと思い直して、黙ってカヤマを見つめた。カヤマの方は仮野と目を合わせずにもう一度手酌で自分のコップにビールを注いでいる。仮野は考えた。このまま病院で働き続けても到底彼女ができるとも思えない。素直になって前向きにチャンスと捉えて会ってみてもいいだろう。
「面白そうだね、会ってみるよ」と、二杯目のビールを口元に運んだカヤマに仮野は答えたのだった。
カヤマはビールを口元迄近づけていた手をしばし止めた後、ビールを勢いよくグビっと一気に飲み干して、小さく「うん」と頷いたのだった。
カヤマと約束した日になり、仮野は待ち合わせ場所に向かった。
待合わせ場所はシアトル系のコーヒーを出す今時の喫茶店で、紹介される女性に失礼の無いように待ち合わせ時間の30分程前に入って待っていた仮野であったが、指定時刻頃突然カヤマから携帯電話に連絡が入り、急に用事が出来たから行けなくなったと不愛想に言われた。
じゃあまた次の機会か?とカヤマに尋ねると「相手は約束通り来る、美人なので直ぐにわかる。」と、かなり適当な返答をし電話を一方的に切った。
何だよと仮野は憤慨したが、電話が切れると目の前に肩よりやや長く柔らかそうな栗色の髪で、真っ白なブラウスを着た女性がハンドバックのハンドルを身体の前にして両手で持って立っていた。
彼女の眼はまあるく、瞳は髪と同じ栗色をしており、明るく優しい性格であろうと想像できるようなエクボを両頬に持ち、頬っぺたをコロコロさせた笑顔を見せていた。
「こんにちは、仮野さんですか?」
とても魅力的な女性であった。
仮野は彼女と出会って直ぐに彼女に心を奪われたのだった。
仮野はその日、苦手であった筈の女性との2人きりのデートを熱意でこなし、次のデートの約束まで取り付ける積極さをみせた。
また次のデートも彼女に対する熱意は衰えることなく、更に燃え上がり続け、引っ込み思案だったと思っていた自分とは別の人間に変貌を遂げたのかと思われるほどに積極的に彼女をエスコートをしてデートを共に楽しんだ。仮野は彼女と頻繁に二人きりで食事をする仲になり、互いにまんざらでもない雰囲気になると、満を持して彼女に正式に付き合って欲しいと告白をしたのだった。しかし、彼女の返事は「友達からで良いのであれば、いいわ」という微妙なものであった。
仮野は落ち込むことなく、その返事を前向きなものと捉える事にし、彼女と友達以上恋人未満の付き合いを再開したのだった。
しかしながら、“友達からなら”という返事であったにも関わらず、彼女の仮野に対する接し方は友達以上の行為に変化していた。彼女は仮野に頻繁にボディータッチを繰り返し、仮野の大好物ばかりを詰め込んだお弁当を作ってきてくれたりなど、積極的なアプローチが続き、ある日のデートで彼女は「今日はずっと一緒にいたい」と潤んだ瞳で仮野の目を見つめた。二人はその夜、深い関係になったのだった。
仮野は次の日、関係性が深まった事により自信を得て、彼女に「再度正式に付き合って欲しい」と思いを伝えたのだが、彼女からの返事はまたもや「少し考えさせて欲しい」という素っ気ないものであった。
仮野は流石にメランコリーに落ち込み、一人自宅で二日ほど鬱々していると、彼女から仮野の携帯に話がしたいのでこれから会えないかと連絡がはいった。
待ち合わせ場所はどこにするかと仮野が尋ねると、彼女は私の自宅でどうかしらといった。仮野は未だ彼女の自宅に行った事がなかったので、これは何らかの事情があるにせよ、きっと良い話だと思い、スマホの地図を頼りに喜び勇んで教えてもらった住所に向かった。
辿り着いた住所に立つマンションは思ってもいない豪華マンションで、仮野は少し驚いたのだったが、玄関に出て来た美しい彼女をみてワクワクしたままリビングに通された。するとそこには老けてはいるけれど彼女とよく似た美人の女性がひとりソファーに腰かけていたのだった。
彼女は仮野に「座って」といって、仮野を老けた女性の向かい側のソファーに座らせると、自分は老けた女性の左に腰かけた。
彼女は暗い表情で仮野を見ずに伏目がちのまま重そうな口を開き「母なの」と言った。
仮野は異様な雰囲気を感じ取り背筋が薄ら寒くなると緊張感から唾をゴクリと飲みこんだ。
しばし間をおいて、伏目だった彼女は決意したように仮野の方に姿勢を向き直して見つめなおすと「仮野さんとお付き合いしても良いのだけれど、条件があるの」と小さな声ではっきり答えたのだった。
彼女は少しの沈黙の後、一つ深い呼吸をすると、少しだけ大きくした声で話を続けた。
「私の父は私が若い頃死んでおり、母は女手一つで私を育ててくれたの。けれど父親の居ない生活は大変でお金が足りず、母は出来心で金持ちの妻子ある男性と付き合うようになってしまい、その男にお金を工面してもらう生活になったの。このマンションの部屋もその男のお金で借りているわ。
そして、私もその男のお金で大学迄出してもらったの。私は大学を出るまではその男を良い人だと思っていたわ...」
言葉が濁った。
彼女は少しの沈黙を置いて更に一呼吸をしてからゆっくりと話しを続けた。
「大学を出て就職すると、その男は私達家族に使った大金を理由に私まで無理矢理愛人にしたの...」
仮野はまったくの想定外の話に絶句してしまい言葉が見つからない。
彼女は怒気を含んだ声になって話を続けた。
「その男はこの町の市長なの、顔が広く、権力もあり、警察や悪い人達とも繋がりがあって、私達は逃げる事も出来ず、未来を悲観して生きているの!助けて欲しいの!」
バリバリッ
仮野は衝撃の雷で全身を打たれたように慄いた。頭の先から足の指先まで激しくビリビリと振動し、上下の唇がワナワナと震えた。
彼女は少しうつむいた後、顔を上げ、青くなった仮野の顔を凝視しながら低く強い決意のある声でいった。
「病院には突然死にみせかけることが出来る証拠が残らない薬があると聞いたわ、それを貴方の力で手に入れて私達に下さい!」
彼女と母親は二人してソファーから床に崩れ落ちたかと思うと、その場でガバっと土下座をしたまま動かなくなった。
仮野は彼女達の土下座した背中から湧き立つ得体の知れない漆黒の影にジッと睨まれたまま、酔ったような感覚に襲われた。仮野は“嗚呼、今日は大安だったっけなぁ”、“青酸カリはアーモンドの香りがするんだったよなぁ”と何だか訳が分からない事ばかりが取り留めなくドロドロと頭に湧いてきて仕方がないのだった。
了
記念すべき小説第一作のバージョン2.0