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~灯火~

作者: 風晴樹

 街を照らす街灯の光。ぽつぽつと光るマンションの部屋の明かり。

 信号機は一定のリズムで青から赤、赤から青へ変わり、車や人の動きを制御する。


 そんな街の橋の上。橋の下に流れる川の音を聞きながら、俺は夜の闇を照らす、光に包まれた街を眺める。


 今この時も、この街のどこかは幸せに包まれ、またどこかでは悲しみに溢れているのだろう。


 いや、別にこの街に限った話ではないか。この地球上全てに共通することか。

 人の感情はその時々で変わりゆく、悲しかったり、イライラしたり、嬉しかったり。


 今、俺の下に流れる川はそれと同じだ。


 悲しい涙のような雨が降れば、川は溢れ不安定に波をうつ。

 激しい怒りのような地震が起これば、川は狂ったように暴れまわる。

 そして嬉しい快晴が続けば、川はやわらかに緩やかに微笑みながら流れゆく。


 川と人間の感情は似ている。

 同時に川は世界を流れる時間にも似ている。

 川は常に一定の方向に流れ、決してとどまることを知らない。


 つまり川とは人間の心情や、今この時を流れる時間のようなものだ。


 そんな意味で言えば、今俺の足元を流れる川はまるで俺の心を写している。


 一見、真っ黒に染まりつつ、所々明るい光が差し、水面を見え隠れさせている。そして流れは非常に穏やかだ。


 そして、時は川の流れのように常に過ぎ行き、また新しいものに変わってゆく。

 故に川の流れを見ているうちに一つ、また一つと水面を照らす光が消えていった。


 光で照らされていた水面がだんだん黒に染まっていく。


 でも川の流れはとどまることを知らない。

 俺は黒く染まっていく水面を覗き込もうとする。心の中の光る部分を。


 ――大丈夫。まだ……大丈夫だ。


 しかし、時間が過ぎていくうちに水面に写る明かりは、一つ二つと消えていく。


「 嫌だ 」


 どうか……その光だけは……。


 やがて川一面が漆黒に染まってしまった。

 そしてその漆黒は俺をも飲み込んだ。

 俺の体が川に落ちたのだ。


 川に流されていく自らの体。どうにか逆らおうと闇の中を泳ぐも、まるで時はとどまることを知らない。


 闇のなかでは前後左右もわからない。


 どこに何があるんだっ……。

 嫌だ、助けて、少しでいい、俺に光をくれ。


 しかし、漆黒のなかで叫けぼうが誰も聞く耳を持ってくれない。


 駄目なのか……。


 終わった。


「 」



  § § §



 どこまで流されただろうか。いったいここはどこだろうか。


 薄く目を開けると小さな灯火のような光が網膜を刺激した。


 その小さな光は今まで闇の中を必死でさまよった俺にはすこし眩しかった。


「……おや、起きたかね」


 するとその微かな光源を挟んだ向こう側から老婆の声が聞こえた。


 俺は声の主の方に向かって目を細める。

 微かな光源のすこし後ろに腰の曲がった人影が見える。


「あんたは?」


「なに、名乗るほどのものじゃない。私は溺れていたお主を見つけて助けただけのこと」


「なるほど、あんたが川で溺れていた俺を助けてくれた命の恩人か。……ありがとよ」


 そう俺が言うと、人影はガラガラと笑った。


「はっはっはっ……命を救ったねぇ。まあ、あながち間違ってはいないが、一つ言っておくぞお主」


「な、なんだよ」



「実はもう、お主は死んでおるのじゃよ」



 一瞬理解が追い付かなかった。


「……は? 死んでるって言ったのか? 俺が?」


 影は無言で首肯する。


「い、いやでも……俺は今しゃべってるし、それに心臓もほら…………」


 そう言いながら俺は自分の胸に手を当てた刹那、背筋を凍るような寒気が襲った。


 ――――う、ごいて……ない。


 さらに体温も……冷たい。


 俺は何度も何度も何度も体をさわり、そして影に視線を移す。俺は無言のまま呆然と影を見つめていると、影はさらにゾッとすることを言った。



「お主、三途の川をしっとるか?」



 すぐに返答できなかった。

 別に三途の川を知らない訳じゃない。しかしあまりの出来事に、思うように口が動かなかった。


「ほっほっ……まあ無理もなかろう」


「………………」


「お主はもうすでに死んでおる、そしてお主が落ちたあの橋は三途の川を渡るための橋よ」


「じゃ、じゃあなんだよ、俺はもう」


「まあ、そう焦るな、まず話を聞け」


 俺は唾を飲み込む。


「ワシはお主のすべてを知っておる、お主は自殺をしたのじゃろ? 主な理由は人間関係。友に裏切られ、借金を背負い、会社もクビになった。追い込まれたお主は川に飛び込み自殺をした」


「あ、あぁ……」


 そうだ、俺は友の連帯保証人になった。そいつとは昔からなかが良くて、信頼もしていた。だが、保証人のサインをしたのが運のつきだった。

 サインした3ヶ月後にはそいつとも連絡がとれなくなり、1000万近くの借金を背会うはめになった。


 でも、まあ貯金もしていたし、親や親戚、他の友達に頼めば返せない額ではなかった。

 貯金はなくなるが今の会社で一生懸命やればなんとかなる。そう俺は前向きに考えて、友達や親戚じゅうに頭を下げた。


 そして借金を9割ほど返し終えたころのことだった。

 また俺の身に不幸が襲った。

 暴力事件が起こったのだ。俺の目の前で。


 それはある日のこと、俺は友達の家に呼ばれ一緒に飲もうと誘われた。

 お金もないので、いつもは断る俺なのだが、この日誘ってくれた友達は前に借金返済の協力をしてくれた仲間だったので断れなかった。

 俺はそのまま友達の家行ったのだが、その時に事件は起きた。


 インターフォンを押して友達の一人が俺を中に入れたのとほぼ同時、家の中から大声が聞こえてきた。一瞬『結構盛り上がってるな』と思ったがどうやら違った。


 奥に入ると友達二人が取っ組み合いの喧嘩をしていたのだ。


 俺は慌てて仲裁に入り取っ組み合う二人の間に体を入れた。

 しかし、あろうことか仲裁に入った俺の腕が友達一人の顔面に当りケガを負わせてしまったのだ。

 だが、俺もわざとではないので、当然仲の良かった友達は許してくれると思っていたが、その日から数日後。


 警察が俺の家に来た。

 罪状は暴行。

 任意同行だったが、行かないのも逆に怪しまれるので俺は警察についていった。

 しかし、これが人生を本当に狂わせる行動だった。

 後から聞いたはなしだが、ケガをした友達は前から俺のことを嫌っていたらしく、ケガの件を警察に届けたのだそうだ。用は俺に罪を追わせようとしたのだ。

 もちろんケガをさせてしまったのは事実であり、隠しようがないので俺は正直にことの成り行きを話した。もちろん、他の友達も目撃していたので隠すと厄介だという思いもあった。

 警察も一応話を聞いていたが、ケガを負った友達からも被害届が出ているため、仲裁に入ったとはいえ、ケガをさせたのは事実ということで、加害者の俺の心情面など考慮されず、ただ起きた事実だけを飲み込み、俺はかくして犯罪者になったのである。


 とはいえ、執行猶予がついたので実際に牢屋に入ったのはほんの数週間。

 しかしその数週間が命取りだった。


 今回の件で警察のお世話になった俺は会社をクビになった。

 もちろんそれだけじゃない、残り100万近くあった借金は利息がつき膨らみ続け、働く先を失った俺は返す宛がなくなってしまった。


 そしてこれはあくまでも持論だが、あの時珍しく酒を誘ってくれた友達はきっとグルだったに違いない。

 グルでなかったらそもそも警察への事情聴取の時点で俺に相手を傷つける意思はないことくらい分かるはずだ。少なくとも一人は俺のいないきっとどこかで話をすり替えた友達がいるはずなのだ。


 そう、俺はつまり職も金も地位も、何より信頼できる友達を失った。

 心が友を拒絶しているのだ。



「だが、安心しろお主。お主はまだ生きることが出来る」


「はっ、バカ言えよ。アンタ、俺が生きたところでもうなんもねえ、あるとすれば子供の頃からの小説家の夢だけだ。ていうか、そもそも俺はすでに三途の川を渡っちまっただろうが」


「まったく最後まで話を聞け」


 俺は小首を傾げ、

「なんだよ……」


「三途の川とは生と死を分けるいわば境界線だ。渡らなければ生きられ、渡れば最後、それはお主も知っているだろう?」


「まあな」


「なら質問だ。三途の川を渡ろうとして溺れた人間、つまり境界線の上をさまよった人間はどうなるか知っておるか?」


 確かに、川で溺れること、つまり境界線を渡ってもなければ、渡ってないわけでもない、そうなったら――――


「どうなるんだよ」


 影は含みを持たせるように一呼吸置くと、


「生き返ることが出来るんだ。知っておらんかったか? ほとんどは生者のいる方へ送り返すのが通例なのだが、お主は現世では酷いことになってるからのう」


「なんだよ、悪口かよ? つまりどういうことだ?」


「つまりだ。溺れたお主は普通だと現世へ送り返すのじゃが、お主は自殺をしたことからも、現世へ行くのが嫌かと思ってな。だから……選ぶ権利を与えよう」


「選ぶ権利? ようは現世によみがえるか、あの世に行くか選べってことかよ」


 影は首を縦に振りつつ口を開く。


「そうじゃ、お主はこれからあの世へ行き天国か地獄のどちらかに行くか、また現世で辛い日々を送るか」


「んなもん決まってんだろ――――」


「――――死ぬか?」


 影は俺の言葉を遮るように代弁した。


「な、なんだよ急に、俺の言葉を遮って」


「もし死ぬのなら、今目の前にあるその灯火を吹き消せ、生きたいのであればその灯火の火をこれにつけろ」


 影がそういうと俺のおでこに何かが投げつけられた。

 果たしてそれは30センチ程あるろうそくだった。


「ちなみにそのろうそくはお主の命じゃ、あと少なく見積もっても60年は燃え続けるじゃろう。一ついっておくがなお主。お主は一人じゃない。確かに借金を背負い、友には裏切られ、職も金も地位もない。だがな、お主にはあるだろう、夢という武器が、家族という仲間が、夢を追いかけろ若者よ。どんな壁が立ちはだかっても、どんなに裏切られようとも、どんなに下に突き落とされようとも、命だけは簡単に手放してはならん。あがけあがけあがききれ、闇に囲まれていようとも、いつか自らが輝く灯火となれ、そして自らを燃やし、お主のような者をその光で明るく照らし救ってやれ、さすれば本当の仲間は自然とついてくる。金など所詮は紙屑にすぎん、確かに大切なものだとは思うが、この世には金では買えないものがある。すなわち、金はなくなってもなくならないものがある。でもお主はそれを全て捨てようとしておるのだ。だから考えろ若者よ。……選択は一度きりだ」



 その言葉を聞いたあと、俺はおもいっきり深く息を吸い込んだ。



  § § §



 窓から気持ちのいい日が入り、甘い花の香りが鼻孔をくすぐった。


「おい……お前……起きたのか?」


 同時に横から鼻声がかった声が聞こえてきた。

 聞き馴染みのある父親の声だ。


 目に入ったのは真っ白い天井。すぐにここが病院のベッドだと気がついた。


 ……生きてるのか、俺は……。


 俺は自分の手を胸に当てる。


 ――温かい。


 ――ちゃんと動いてる。


 ふうと息を吐き、上半身を起こした。


 窓からは一本の川が見えた。


 病院の窓から見える濁った川は、太陽の光に照らされていた。

以上、一読ありがとうございました。

他の風晴樹の作品も興味があれば見てみてください。

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