第二話
「現在位置は」
『B2-A1です。現在位置からB1-A3へのルート案内を開始しますか?』
「はい」
眠りから覚め、会議場所へ向かうためにAIへルート設定をさせたルークは、視界に表示された地を這う緑の線を辿って歩き出した。今現在彼が歩いているのは地下2階A1ブロック「医療病棟」から出た彼の目の前には、非常に、そう非常に多様な店が開いていた。
増大しつつある脅威への備えとして施行されたプロジェクトナンバー8000「New Home」は、各超弩級巨大都市の地下に軍事施設を建設するというものだった。ここダイアの下は、地下50階まである広大な基地「NH-3」が存在する。この事については軍事機密とされており、Aクラス未満はプロジェクトデータへのアクセスを許可されていない。勿論のことだが、一般市民はこのプロジェクトの存在は知らず、またプロジェクトが8000個も存在することも知らない。
「ここはどうも薬品臭い」
「そりゃそうだ。近くに病院があるからな」
「いや、そうじゃなくてだな…、全体的にだ、このNH3全体」
「は?」
「分からないか?慣れると分かんなくなるかもしれないが、あのジオルフェウス特有の臭いが薄ーくすんだよ、ここ」
「ジオル…何だって?」
「そこからか…。分かった、ジオルフェウスってのはな…」
地下であろうと、いや蓋がされた空間故かざわざわした喧噪が繰り広げられている。
『混雑により、ルート案内が困難と予測。リアルタイム案内に変更します』
デバイスから通知が届き、緑のラインが宙に浮いて折れ曲がり、一つのルートを形成していく。ただしょっちゅうルートが変わるので、さっきより更にあてにならない。
これなら、いっそマップを見ながら歩いた方が早いか?
「マップを表示」
『マップを表示。、B1-A3をマップにマーク。ナビゲートシステムを終了します』
「…おや」
背後に気配を感じて振り向けば、自分と同じ軍服を着た20代の男性がにっこり笑いながらこちらに向かって歩いてきていた。
「昨日ぶりですね、アイゼン」
「やあ、ルーク」
アイゼン・パーカー。Bクラス第2班隊長。戦闘時の機動速度はAクラス平均を優に超える170kmを叩き出し、近頃昇格の噂をよく耳にする。
「これから会議へ行くんだ、一緒にどうかな」
「5分くらいですが、それでも良いのなら」
「よし、行こう。道案内を頼むよ」
返事をする代わりにマップを右側に移動させ、マップを見ながら先行する。周りの喧噪がさらに高まったのは、気のせいではないだろう。
「病棟の方から出てきたみたいだが、戦闘でもあったのか?」
「ありましたね。突然現れたタイプHMとです」
「HM、か。一人で?」
「ええ、一人で。偵察任務は一人が普通ですよ」
「まあ、そうだが。良く生きてたな……。はて、負傷したのにどうやってここまで?」
「ツダという方が応援に来てくれたので」
「ツダ?」
それは誰だ、と彼は首を傾げるがこちらも首を振って知らないと答えることしかできない。
「それも一人?」
「さあ。彼、もしくは彼らが到着した時には私は既に気を失っていたので」
「僕としては一人じゃないかと思うよ」
「その理由は?」
「わざわざBクラス一人に何人も増援は送らないだろうし、一人でも十分な実力をもっていれば問題無いから、かな」
そう言って、彼は困ったように笑う。あまり自分の説明に自信が持てないのだろう。
「まあ、そうなるとSクラスになりますね、ツダという方は」
「Sクラス……夢のまた夢の存在じゃないか」
軍のとあるクラスとその一個上か下のクラスとはどこも絶対的な差が存在するが、その中で最も差が大きいのがAクラスとSクラスとの間と言われている。Sクラスの軍人はエージェントとも呼ばれ、軍に限らず世界中の重要なシステムの管理や要人警護、要注意団体などの監視も行うエリート集団である。戦闘時には一班でAクラス10班分に相当し、文字通り実力の桁が違う。
彼の言った夢のまた夢は、自分の一つ上のAクラスのさらに上のSクラスの存在と掛けたのだろう。
「Aクラスにすら入るのは大変だというのに、一体どんな訓練を積めばSクラスになれるのか。ぜひとも聞いてみたいね」
「聞いても自分が出来るかという点で疑問が残りますが」
「好奇心と知的探求心を満足させる為でもいいと思うよ」
「はあ」
上のクラス程重要で難易度の高い作戦を遂行することになるが、難易度に関わらず死亡確率はほぼ同じになっている。これについてCクラスが優秀なのかそれともSクラスが優秀なのかという実に下らない議論が巻き起こり、それをAクラスの人と高見の見物をしていたのは記憶に新しい。
「ちなみに、どうやって聞き出す?」
「暇つぶしのレパートリーを増やしてあげれば何か良い情報を代わりにくれるかもしれません」
「有り得なくも……ないのか?」
「答えは誰も持っていないかと」
「それもそうか。……話が逸れたね。確かHMの話、何か対策は見つかったかい?」
「敵のプロファイルが更新される時期に何を見つけると」
「え、そう?」
「班のエンジニアから注意が届いていませんか?」
「えーと……、あ」
口を半開きのまま彼は宙を睨み、しばらくそのまま静止していた。
恐らくエンジニアのメールを見つけた彼は視線をこちらに戻し、一つのウインドウを表示した。
「確かにあった。けどこれじゃ…」
「………?」
「多分、というか間違いなくマーレットの仕業だ。何か恨み買うような事したっけな」
ウインドウに書かれていたのは、メールのプロパティ一覧だった。よく見ると、前回の閲覧時刻は一日前になっている。
「でもあなたは、昨日このメールを見ていないと」
「忘れている可能性もあるけど、違った。これ」
そういって彼が指さしたのは、このメールが到着した時刻。それは前回の閲覧時刻と、ほぼ合致していた。
「何かしらのプログラムが仕込まれてて、届いた瞬間に起動した、ですか」
「そのせいでメールが届いた時の通知が一瞬で消えて届いたことが分からなくなったんだ」
「随分と巧妙に仕掛けられてますね」
「何故だ、何故なんだ」
アイゼンは人差し指を額に押し当て、唸り始めた。こればっかりは自分が関与できる話ではないので、自然消失した会話を復活させようとせず歩き続ける。
彼はその後も唸り続け、最後には首を振って何か結論を得た様子だった。
「だめだ。分からない」
「そっちでしたか」
「そっち?」
「いえ」
「……?。どうにもならないことを考えてもしょうがない、話を戻そう」
何かあるかい?と問われ、そういえば何かあったような気がして記憶を掘り起こす。
「……ああ、新たな突破口を見つけましたよ」
「どんなのだい?」
「質問に質問で返すようで悪いですが、主砲の口径は何センチメートルでした?」
「30cmだね」
「スナイパーが三百メートル離れた場所から直径30cmの的を狙うとして、その命中率は何パーセントでしょうか?」
「は?」
「何も正直に答える必要はないんですよ。私も知りませんし」
「正直に……?まさか」
「そのまさかが私の考えなんですよ」
つまり、砲塔から銃弾を送り込んで装甲の無い内側を叩くという戦法だ。
「……ああ、それであの問題に行きつくわけか」
「それ以前の問題も非常に沢山存在しますけどね。この戦法自体は昔から考案されていましたが、いかんせん問題が問題ですので技術の進歩を待たなければ使えないものだったんです」
「でも今の技術で可能、と」
「ええ。これで何とかなればいいのですが」
「なるんだったら既に終わっているよ」
この戦争なんて。
隠れたその言葉を察し、軽くしかめ面を作った。
『目的地B1-A3に到着しました。ウインドウを閉じますか?』
「はい」
「おお、もう着いたのか」
「話し込んでいたようですね」
「良く案内できたな」
「アシストでも働いたのでは?」
「随分と賢いAIだ」
目的地の会議室に到着した。
扉の横にあるディスプレイに触れてロックを解除し、中に入る。自分達より先にいた人に会釈をしながら自分の席に向かい、座った。
アイゼンと向かい合って話していると、自分の後ろに誰か立っている気配を感じた。
「ルーク・クライス。どうやら偵察任務で襲撃にあったそうだな」
「はい」
振り向いたところにいたのは、青い軍服ではなく白い将校の服を着た30代の男性だった。
名はA・Y・ライト。階級は大尉。
「一つ質問だが、お前は病棟に運び込まれた時とてもではないが歩けない状態だったと聞いた。誰かに助けてもらったのは分かるが、それは一体誰だ?」
「ツダ、という方でしたが、知らされていないんですか?」
「だから質問をしている」
「失礼しました」
「まあいい。それにしても津田か…。何故Sクラスなんかを上は寄越しやがったんだ?」
「やはりSクラスだったんですね」
「機密事項に値するが、まあそうだ」
「ちなみに、ツダという名前は一体?」
「………。名前を知っているならいいか、話そう。ツダとはこう書く」
そういってライトはウインドウに津田、と文字を書いて見せた。
「我々の使う言語とは異なることは判明しているが、それが何の言語かはわかっていない。人間であることと、我々の暮らしとだいたいが一致していること、「和」という文化があることがこれまでの交流で判明している」
「はい」
「そして不思議なことに、彼らはほぼ全員が企業、政府、軍、宗教グループにおいて重要な立場に存在することだ。人々はそれを疑い、引きずり降ろそうとしたが無意味だった」
「怪しい集団ですね」
「そうだ、このうえなく怪しい。ただもっと不思議なのは皆その地位ではなく別の「何か」を求めていることだ。それが何かは分かっていないが、現状危害を加える素振りは見えない。その為政府は彼らに監視を付けて経過を観察する方針を決定し、現在までずっと続いている」
「随分と知っていますね」
「突っ込まないでくれるか」
「分かりました」
「といっても、俺この話だとけっこう知っていない部類に入るはずだ。何故彼らがここにいるのか、「いつから」いるのか、何故「見つかったのか」についてだって俺は知らない」
「はあ」
「基本的に害はないのが随分と政府の連中の気を良くしたと先程言ったが、俺は本当にそうなのか気がかりなんだがな」
彼はそう言って肩を竦めた。
そして基本的に、ライト大尉は頭が良く切れる。
その後アイゼンも加わって議論を交わし、一つの結論にたどり着いたところで会議の時間がやってきた。
Bクラスの1班から10班までの隊長が集まり、各々の恰好で会議が始まるのを待っている。
ライトが全員そろったことを確認し、軽く手を打ち鳴らして注意を彼に向けさせた。
「時間だ。会議を始める」
ライトは一つ咳ばらいをした。
「とりあえずはこの面倒くさい会議に全員が参加してくれたことに感謝する。正直、これくらいはどうにかなって欲しかったところだが」
「どうやら、復旧状況は芳しくしくないようですね」
「一体いつ焼きあがるんだかな」
「いっそ焦げるんじゃないか?」
「誰が食うってんだ」
「そこらへんで止めとけ。俺たちが話すべきはパンの焼き加減じゃないんだ」
忍び笑いが漏れた。
「E-360代以降の残骸には、大量のデータが入った機器――これ以降、「ブラックボックス」と呼称する――が検出された。それと一緒に、恐らくそのデータ群を処理するものと思しきメインフレームもだ」
「通信の不要化」
「攻撃パターンの多様化、複雑化」
「……正解だ。別にクイズを出しているつもりではなかったが」
「初期に検出されても十分可笑しくはないな」
そこだ。
思わず自分も強くうなずくほどに、そこに疑問が集約した。E-360以降のみならず、それ以前も十分複雑な機動が見えたと自分は思う。
「エージェントによる調査でやっと判明したくらいだ。むしろブラックボックスを導入してもあまり変わらない機動について笑うべきだな」
「何故今だ?」
「調査中と」
「早いんだか遅いんだか」
「気にする必要は無いのか?」
「お前が気にする好み程度には、な」
「何だと」
大柄な男が机を叩いたせいで隣の女性があたふたしている。コーヒーでもこぼしたか。
「次。LRマップ(建築物の損害率をマップ化したもの)の更新が来ている。詳しい話はエンジニアからで」
「了解」
「次。プログラム関連でパッチファイルも来る。これもエンジニア……いや、プログラムについてはエンジニアに全て任せる、以上」
「おいおい」
「次。これが本題だ」
「大規模作戦でも?」
「ここの戦況をひっくり返すための作戦だ。大規模じゃ足りない」
「大規模じゃ足りない」ということへのどよめきが室内に沸き起こった。今まで自分たちは大規模作戦以上の作戦を実行したことがない。1班の隊長は反応がないが、知っているのかそれとも驚きを押し殺しているのか。
「フリーダムトゥ、ダイア。正式名称はダイア制圧作戦」
「ダイアに自由を、か」
「アイリス戦役で二回目の大規模以上の作戦だ。一回目ほどの重みは無いが、三回目につなぐための重要な物であると認識してくれ」
「概要の説明を」
「ああ、話す。この作戦の最終目的は言わずもがな敵の殲滅及びダイアの安全の確保。そのために今回上はここにミサイルをぶち込む決心をした」
「サラ地にしてもいいって民衆が言ったのか」
「さあな。俺たちが知る必要のある情報ではないから知らん」
「どうもこう、なあ……」
「気にするな」
『絶望の声を大にして叫べ。そのうち讃美歌に聞こえてくるだろう』
「クソ。」
今度は咳が聞こえた。気管に詰まらせたのだろう。
「んで、俺たちが最終目的の為にやることはミサイルの誘導及び射程圏内へダイア内全ての脅威を集合させることだ。犠牲は沢山出るだろうし、成功率は決して高くない。だが命令だ。従え」
「「「了解」」」
隣のサポートをしながら言い、即座に返ってきた答えに彼がいつものように額に手を当てて顔を振るのを見た。
「逆らうことがこの場において不必要なことであると皆が理解しているのは俺も理解しているが……まあいい、こっから具体的な戦略を練っていくぞ」
コーヒーを二杯注文した。
確実に長くなることが予想できたからだ。
「……以上で会議を終了する。お前ら以外の班には俺がデータを送っておくから、自分の班に伝えてもう一度会議するなりしてくれ。解散」
「では」
めいめいが部屋を後にする中、飲み終えたコーヒーを片付けていたルークにライトが話しかけてきた。
「お前ら3班や2班が実質的に一番動きが多い班だ。1班はいつものように全体指揮で動けない。よろしく頼むぞ」
「分かりました」
「あとは……いや、何もないな。精々生き延びてくれ」
「では」
「おう」
最後に随分と難しい命令が聞こえた。
明日すら予想できないというのに、どうやって生き延びろと言うのだ。
まあ、我々は軍の狗であり、その忠犬ぶりを示せば良いだけの話だが。
一話の修正もいつかやっておきます。
次は一か月後。