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番外編04

 三咲家の廊下を走り、キッチンを目指すユキ。

 廊下は突き当りから右に折れ、曲がると左に大きなつや消しガラスの付いたリビングのドアと倉庫になっているパネルドア、右にトイレのドアがあり、正面にある引き違い戸を開けるとキッチンだ。

 一目散にキッチンを目指すユキがリビングのドアの前に差し掛かったとき、ガラス越しに人影が見えたかと思うといきなりドアが開く。


「あら、ユキ君。お邪魔してます」

 菱川ひしかわが三咲家にいることに驚くユキだったが、それ以上にぴったりめのスウェットに身を包んだ湯上りの菱川を目の当たりにしてドキリとする。

「え? あ、な、何で菱川さんが?」

 まだ濡れた後髪をタオルで挟んで水気を取っている菱川は全く気にしていないようだが、適当にあげられたファスナーは少しばかり胸元の防御力が弱い。

 身体のラインが出る恰好という意味ではスーツと同じでも、柔らかそうな素材のせいか胸の形までわかってしまいそうな姿をまともに見ないようにユキはしどろもどろに目を泳がせる。

「実は今日、一葉かずはさんにお招きいただいて――」

「すいません、菱川さん。くつろいでてください」

 菱川が言い終わる前にユキを追って事務所から走ってきた霞夏かなが追い付き、菱川の姿に赤くなっているユキを見てすぐに誤魔化すような笑顔と共に片手でキッチンに繋がるドアに向かいユキの背をグイグイと押す。もう一方の腕にはまだニナを抱えていた。


 最後に入浴した菱川がリビングに入ると、部屋には黒い煙と異臭が立ち込めており、不思議に思って廊下に出たときにユキと出くわしたのだが、慌ただしく去る三人の姿に理由を聞きそびれたのだった。

 何事かと呆気にとられつつ、リビングに戻っていく菱川を背後に、小声でユキを咎める霞夏その声色は、少々苛立っているようだ。


「何をやってるんだ? 君は。顔を赤くして」

「だって、タイミングが……いや、それより何で菱川さんまで?」

 半目の霞夏に背中を押されながら、抗議されているのを誤魔化そうと話題を変えたわけではないが、疑問を口にしてみる。

「説明は後だ! 一姉かずねぇを止めるんだろ?」

「そうだった!」


「一葉さん!」

 ガラリとキッチンの引違い戸を開け放つユキ。


 壁際に火口が大小2つづつあり下部にオーブンまで備えた大型ガスレンジ、中華鍋用の高火力レンジにスープ用のローレンジ、18リットルのフライヤー。

 手入れが行き届き輝くほどに磨かれた二つのシンク、別の壁には調理器具や調味料が納められたキャビネットと食器棚、そして家庭用大型・業務用4枚扉の二つもある冷凍冷蔵庫。

 キッチン中央にはステンレスの作業台があり、盛り付け等はこの上で行われる。

 いつも一鉄いってつがすっきりと整理整頓している、ちょっとした飲食店並の広く床まで清潔なキッチン。

 ユキもここで一鉄から何度か料理の手ほどきを受けており、三咲組で尊敬する人物の一人である一鉄にとって神聖な場所でもあると認識している。


 刺激にやられないように目を細めて薄くモヤがかった室内を見渡すユキ。


(う……これは、……これは酷い)


 壁際のレンジにはいくつか鍋が置いてあり、既に火は止められていたが未だ黒煙を上げるフライパン、隣には完全に吹きこぼれた煮込み用の鍋が見える。

 業務用冷蔵庫のドアは一つが開きっぱなしになっており、中から転がり出た野菜が床に散らばっている。

 一鉄が毎日掃除を欠かさない綺麗だった床には黒い染みが点々と広がり、様々な調理器具が散乱していた。

 当の一葉は一鉄ご愛用のエプロンを身に付け、本来5~6人分の皿を並べて楽に盛り付けができる大きさがある中央の作業台に所狭しと物を置いたまま、大きな皿に盛り付けられた何かに白い粉を振りかけながら爆笑している。


 一鉄が家族と社員のため日々の糧を調理し常に衛生的に保たれていた聖域は、今は黒い煙と刺激臭が立ち込める魔女の工房と化していた。


「お、ユッキー。待ちきれなくって、つまみ食いしにきたな? もうちょっと待って――」

「いえ、そうじゃ、ない、ですが」

 引きつった笑顔でやたらと歯切れ悪く答えるユキ。


 急いで駆けつけたものの、調理する一葉を止める理由を考えていなかった。

 一葉は自分が料理上手とまでは思っていないものの、自分の作るものが社員たちの間では一種の天災扱いされていることを知らない。

 彼女に悪気は一切なく、あくまでも相手を喜ばそうと手を尽くしているに過ぎないのだ。

 それによって生み出されるのは、絶対に食べることができないものだったり、体調を崩すようなものではない、多分。

 しかし本来は一鉄の手により食卓を彩り、食べる者の明日を生きる力になるはずの食材は、口にした者の舌と脳を混乱に誘う物体に錬成されるのだ。

 それでも彼女は時間を費やし、食材を使い、一鉄の聖域を荒廃させてしまう。


 よく見れば作業台の上に置かれた皿に並んでいるのは、まだ活きの良さそうな色をした殻付きの海老である。

 そして何かを振りかける一葉が手にした赤い蓋の付いたプラスチックケースは、ユキの記憶が間違っていなければ、砂糖だったはずだ。


「一葉さん、それって」

「ああ、うん。刺身に下味をつけようと思ってさ。でも砂糖と塩を間違っちゃってね。自分でも可笑しくって!」

 この答えだけでもユキの脳内で一葉の謎行動の理由を見つけ出そうと伸びるシナプスが全て『?』に辿り着いてしまう。

(刺身に下味? 殻も剥いてないのに? いやその前に塩と間違った? 塩もかけないよね? しかも間違えたの気付いたのに、何で続けてるの?)  


「あっ! いっけね~って思ったんだけどさ、親父が『旨い海老は甘い』って言ってたの思い出して、まぁいいかなって」

 まぁいいかなで済む問題ではなさそうだ。いや、前回のように刺身用の海老を衣揚げにしようとしないだけマシなのかもしれない。


 久しぶりの現場で疲労もあるはずなのに、笑顔で調理(?)をする一葉。

 それは彼女に思いやりがあり、気が回るがための凶事。

 できるならば、避けたい。全力で。

 ユキは育った環境もあってか、食べ物を大切にする。その気持ちは第三地区への旅路において自らの管理内とはいえ飢えを経験し、より強くなっている。

 一葉を傷つけず、かつゲストである菱川と腹を鳴らすニナと霞夏、そして自分自身の夕食を守るためにどう行動すれば、とよろめきながら考えるユキだったが、横からスッと前に出た霞夏が普段よりも少し上擦った声で一葉に声をかける。


「一姉、菱川さんが退屈そうだったよ? せっかく来てくれたのにさ、一人で待たせたら悪いんじゃないかな?」

 いつの間にかニナを降ろしていたらしい霞夏は、身振り手振りをつけて説得にかかる。

「あ、そっかぁ。そうだよな! じゃ、あんたたちが場を盛り上げてこい! あたしが料理持っていくまで、ヨロシクな!」

「い、いやいや! 料理は私たちがやるからさ! こっちは任せてよ!」

「ん~。嬉しいけどさ、悪いよ。今日は瑠依るいもお腹空いたって言ってたし、この際だから色々挑戦しちゃおうと思って」


 それはつまり、自分たちも挑戦させられるということに他ならない。

 仕事を終えて空腹を抱え、今日のユキと霞夏にはもう、そんな冒険心は残っていないのだ。

 

 すっかりやる気を出している一葉に、今度はユキが言う。

「全然! 全然悪くないですよ! 一葉さんは明日もデスクワークありますよね? 俺たちは非番だし!」

「え~? まぁ確かにそうだけど……」

(もう一歩だ! 他に何か――)

 顔を見合わせ次の言葉を探すユキと霞夏だったが、背後からパタンと音がする。

 振り返るとそこには、冷蔵庫から何か出してこちらに歩いてくるニナがいた。

 左右に一本づつ、ニナの小さな両手にある缶ビールに一葉の目は釘づけとなる。


「喉、乾いてませんか?」


 ニナの言葉にんん~っと声をだして唸る一葉。

 気を付けているとはいえ、一気に補給するわけにもいかないからこそ現場に出れば水分は当然不足気味である。

 まして急いで帰宅し、入浴を済ませてすぐに調理(?)だったのだ。喉が渇いていないはずがない。


(いける! すごいぞニナ!)


 視線を交わらせるユキと霞夏。頷き合い、ニナの後に霞夏が続いた。

「現場の後の一杯、久しぶりなんじゃない?」

「今呑んだらさぞかし……!」 

 機を見るに敏。

 すかさずユキも後押しする。


 もちろん酒を呑んだことなどない三人だったが、周りに嗜む人物が多いのと、一葉の酒好きを知っているため見事な連携だった。

 気持ちが揺らいだところにユキと霞夏に畳みかけられ、一気に揺らぐ一葉。


「キンキンに冷えてやがるっ……!」


 誰の真似をしたのか、ニナの台詞はダメ押しとなった。

 ゴクリと喉を鳴らし、ようやく砂糖のケースを作業台に置く。

「み、皆がそこまで言うんだったら……甘えてもいいかな~」


「大丈夫大丈夫! 万事任せてよ!」

「楽しみにしててください」

「私も手伝います」

 三人が口々に一葉の背を押し、一葉はようやくエプロンを外した。

「いやぁ、ほんとにごめんねぇ」

 言いながらユキにエプロンを渡そうと近づく一葉だったが、エプロンを外すと上は濃いオリーブ色のタンクトップ一枚、下はダメージの入ったローライズのジーンズで完全にへそ出し、しかも上半身はかなり着倒した物なのか肩紐はよれておりキャミソールかと思うような恰好だったのだ。


(またかよ!)

 何故か突っ込みを入れつつ、視線を離して受け取ろうとするが、ユキの反応を見た一葉はちょっとからかってやろうと更に近づく。

「あれれ? ユッキーには目の毒だったかなー?」

「わかってるんなら、さっさと行きなさいよ! 寒くないのか全く!」

 ニナから受け取った缶を一葉の素肌に押し付け、強引にキッチンから退場させる霞夏。

 追い出すように戸を閉めて、軽くユキを振り返りながら呟く。


「さっきはごめん……君も大変なんだな」

「そう言ってくれるのは霞夏さんだけですよ」


 小さな溜息をもらしてユキが答えるが、霞夏はそう安心されるのは何だかプライドが傷つくような気もする。

(もうちょっと、女の子らしい恰好してた方が……)

 細めで七分丈のカーゴパンツに上半身はジャージという姿の自分を見て思う霞夏だったが、そんな自分にハッとなる。

 少しモヤモヤする霞夏だったが、すぐに気を取り直す。


 力を合わせ、第一の難関を突破したのだ。

 一葉がいなくなったキッチンで三方に向かい合あってユキと霞夏は中腰になり、声を殺してハイタッチする三人。 

 現場に出ない日は一日一緒にいるだけあって、一葉の弱点を理解していたニナの功績は大きい。

 リビングに聞こえては、一葉に気を遣った意味がない。


 小声の三人は雑然とするキッチンで讃え合うのだった。


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