番外編03
一鉄の運転する車両が三咲組のガレージに到着したのは現場を出発してから2時間弱程だった。
通常よりも早めに切り上げたとはいえ夕日は沈み、辺りは暗くなりはじめていた。
気温が低くなったため冷たくなった風を感じながら、日の短さに季節が変わり始めているのを感じるユキ。
帰り際に軍の兵士と一鉄が予定を確認していたため、一葉達からは遅れての到着になったため既にガレージは開いていた。
荷台から機材を降ろし終え、ユキと霞夏がスーツを洗っていると早瀬の運転する車両も戻ってきた。
「えー? 何でだよ? 折角明日は皆全員現場無しだろ? いいじゃないかよ」
稲葉が不満そうな声を上げながら車両を降りつつ話している。車中の会話の続きであろう。
稲葉の言う通り、規模の大きい仕事を前に各自治体や軍と合同しての会議が控えているため、今日の観測結果をもとに資料作成しなければならず、向こう数日間三咲組は観測を行わない。
ユキと霞夏は、手伝いくらいはあるかもしれないが基本的に非番、その他のメンバーは交代でデスクワークということになる。
しかし観測を行うよりも集合は遅く、軽い仕事になるため社員たちは休養も兼ねているのだ。
「そうしたいのはやまやまだけどな、すまん。子供が熱出しちまったんだ。嫁さん一人に任せるのも悪いし、今度な」
そう答えるのは田羽多。ただの風邪らしいが、数日前から子供が体調を崩しているのだ。
「そうなの? うーん、そりゃ帰ってやらないとな。邦さんは?」
「折角だけど、僕も遠慮するよ。病み上がりだしね。皆ほど頑丈じゃないからさ」
境界線の攻防からまだ一月あまりだ。全員がやたらとタフなので忘れそうになるが、負傷した野嶽・早瀬・能登は退院からあまり日が経っていない。
「そっかぁ、まぁ邦さんはデスクワーク多いし、無理言えないか……」
残念そうにしながらも、スーツを洗うためにスタスタと歩いて行く早瀬をチラチラと見る。
「健さーん呑み行こ――」
「断る」
稲葉に最後まで言わせずに即答する早瀬は、いつもと外見の雰囲気が違う。
先にスーツを洗い終えたユキと霞夏と入れ替わるように洗い場にくるが、すれ違いざまにユキが声をかける。
「お疲れ様です。早瀬さん、髪伸びましたね」
「お疲れ。ああ、忙しくて切りに行けなかったんだ。ま、現場がないうちに行けるだろ」
邪魔そうに前髪を軽くかき上げるが、決して似合わないわけではなく、むしろ鋭い目つきで厳めしく感じられる特徴を和らげ、いつもとは違う大人の魅力を感じさせる。
「格好いいと思います」
「そりゃどうも」
普通なら照れてしまうような霞夏の言葉にもさらりと返し、背中越しに軽く手を振って洗い場へ向かう早瀬を、ユキは確かに格好いいと思う。
そして、そんな早瀬の後に続く稲葉は霞夏に食いつく。
「霞夏ちゃん、俺は? 俺は?」
容姿だけなら、早瀬よりも女性には好かれやすそうなものだが、わざとやっているんじゃないのかとすらユキには感じられ、頼んでもいないのにポーズを決めキメ顔で霞夏を見つめる稲葉対し、思いきり滑ったダジャレでも聞かされたような気分になる。
さあ褒めろと言わんばかりの稲葉を正面に、うーんと神妙な顔で答える霞夏。
「確かに(顔だけは)格好いいですよ。(残念な)イケメンってやつだと思います。でも私的に、どちらかというと稲葉さんは『面白お兄さん』なんですよね」
霞夏の言葉にユキと、洗い場にいる早瀬が同時に吹き出す。
「てめぇらなに笑ってんだチキショー!」
霞夏が笑いながらではなく、大真面目に言っているのが何とも救えない。
これ以上稲葉に絡むと長くなるのは目に見えているため、ユキは霞夏の肩を両手で押すようにさっさとその場から退散した。
ユキは霞夏を伴って一度宿舎に戻り、部屋の前で分かれる。それぞれに準備を済ませてようやく入浴となる。
霞夏が滞在中はさすがに宿舎の風呂を使わせるわけにもいなかいので、霞夏だけは三咲家の風呂場を使うのだ。
一日仕事で身体を使い風呂に入ると、上がる頃には空腹もピークである。ましてや今日は撤収時から夕食のことを想うほど腹が減っている。
ユキは昨日の夕食だった一鉄特製のコロッケを思い出し、ますます今日の夕食に期待を膨らませる。
脱衣所に入り服を脱ごうとするユキだが、浴室からは一鉄と野嶽の声がすることに気付く。
野嶽が崖上の様子を一鉄に伝えているようだ。
「お疲れ様でーす」
タオルを腰に巻いたユキが浴室に入ると、既に湯船につかっている一鉄と野嶽の姿があった。
おう、と軽く返事を返し、再び会話に入る二人。
一鉄が宿舎の風呂を使うのは珍しい。
普段なら一葉と一鉄は現場に出ないため、帰るとすぐに霞夏が三咲家の風呂を使い、その後で二人が入浴していると聞いていたユキは一瞬違和感を感じたものの、一葉も現場だったせいかと勝手に納得した。
「ユキ、お先にな」
一鉄と野嶽が浴室から出て行くのと入れ替わりに騒がしい稲葉とうんざりした顔の早瀬が浴室に入る。
「いいじゃねぇかよ、たまには付き合ってくれよ!」
あまりにしつこい稲葉の誘いに辟易した様子の早瀬だったが、何か思いついたように顔を上げて答える。
「仕方ない、付き合ってやる」
「マジか! 健さんと差し(サシ)で呑むとか初めてだな! 世話になってるお礼に奢らせてもらうぜ!」
稲葉の感情に何があるのか良くは知らないが、ユキから見て稲葉はやたらに早瀬に絡んでいく。
くだけた言葉遣いをしたり、迷惑ばかりかけているようで稲葉は先輩たちをきちんと立てているのはユキにもわかっていたが、早瀬に対してはまた特別な想いがあるようにも感じる。
何はともあれ、稲葉と早瀬が二人で酒を呑みに行くとは、珍しいこともあるものだと感心した。
「その代り、俺の話をしっかり聞いてもらうぞ」
早瀬は大喜びで適当に答えるが、ユキは改まった早瀬の言葉に含みを感じて一瞬止まる。
(お説教だな。稲葉さんちゃんと聞かないと)
恐らくは菱川とのことなのだろうと察したユキは苦笑いで上機嫌の稲葉をチラと見た。
入浴を終えたユキが腹を鳴らしながら夕食まで何をして過ごそうかと考えながら事務所のドアを横切るが、事務所からは電話応対しているらしき一鉄の声が聞こえた。
ドアを開けてみると、左手の事務所玄関近くのテーブル席には野嶽、少し離れて右手側の事務机には受話器を持つ一鉄の姿がある。
いつもならこの時間は一鉄がキッチンで夕食の支度をし、野嶽と一葉は事務所にいるため何かあったのかと思ったが、受話器を持つ一鉄は緊張感のない話し方で時折笑ったりしており、時折時計に目をやるが、野嶽も足を組んで楽に座りペラペラと資料を捲っている。
緊急事態ではないのかとホッとしていると、もう暗くなった事務所玄関の窓の外からは早瀬を伴った稲葉がこちらに手を振っている。
お先に失礼ということだろう、稲葉は随分と嬉しそうだ。二人はそのまま事務所前に停められていた稲葉のRV車に乗り込み帰って行く。風呂に来なかったのでそうだろうとは思っていたが、田羽多と能登はもう帰宅したようだ。
「さぁて、今日は何を食うか……」
電話を終え受話器を置いた一鉄が、腰を伸ばす動作をしながら呟く。
ユキはわくわくしながら待ってましたとばかりに一鉄を見つめるが、怪訝そうな表情で野嶽が一鉄に声をかける。
「鉄? そろそろ鐘の奴が着く時間だぞ?」
目を見開いて野嶽を見る一鉄。
「お前まさか……今日は自治隊と役場連中との寄り合いだって念押されてただろうが」
言いながらテーブル席のソファから立ち上がり、一鉄の机に向かい移動する野嶽。
「忘れてた……」
一鉄がそう呟くと同時に、一鉄の背後にあるドアと繋がる三咲家から何か金属質の物が床に落ちる音、ドアの隙間から黒い煙、そして辛いのか酸っぱいのか良く解らない、若干目にダメージを受ける異臭が立ち込める。
「じ、じゃぁ、これって……」
微かな震えを伴って、小さくユキが言う。
「おい! 何か食えるもの用意してないのか?」
「してねぇな。……なんせ、忘れてたからな」
小声での野嶽の問いに同じく小声で答える一鉄。
パクパクと口を開け、何か言おうとするユキ。
そのとき三咲家へつながるドアの向こうの廊下からドタドタと足音が聞こえ、乱暴に開け放たれる。
ドアが開いたことにより、廊下に溜まっていた黒い煙と刺激的な香りが事務所を包む。
開けたドアのノブを握り、片腕でニナを抱えた霞夏が叫ぶ。
「大変だ! 一姉が! キッチンで料理を!」
キッチンで料理をするのは当たり前のことだ。
しかしその言葉を聞いたユキは、空腹がそのまま恐怖に変換されたように目を見開く。
背後からは、ブレーキ音と共に車両が停められる。
ユキが恐る恐る振り向くと、事務所の窓からくすんだ青のトラックのボンネットが少しだけ見えている。
「……鉄、俺たちは行かなきゃならん」
「……おう、なんせ大事な寄り合いだからな」
勢いよく振り返り、一鉄と野嶽を見るユキ。
二人は同じ歩幅、同じペースで真っ直ぐ事務所の出入り口へ向かい、歩み始める。
立ち位置的に事務所の出入り口の前に立っているユキは、神妙な面持ちで自分に向かって来る二人を呆然と見つめる。
立ち尽くすユキを挟む様な形で、一鉄・野嶽がすれ違う瞬間、ユキから向かって右を歩く一鉄は左手でユキの右肩を、逆を歩く野嶽は右手で左肩を、同時に力強く掴む。
「食材は好きに使え」
「ユキ、しっかりな」
それぞれに声をかけ、次の瞬間にはユキとすれ違い、事務所の外へ去ってゆく。
一瞬雰囲気に流されかけたユキだが、すぐに振り返り二人の背後に向かい叫ぶ。
「ちょ、ちょっと待っ――」
しかしそのときには事務所の出入り口のドアを抜けた二人が榊神社のトラックに向かうところだった。
心なしか、やや小走りしているように感じる。
(カッコよさで押し切りやがった……!)
屋外に向かい、力なく右手を伸ばすユキ。
再び三咲家の方からは、ガランガランと何かを落とす音と共に、何故か一葉が爆笑する声が聞こえる。
(ど、どうすれば……?)
呻くように思うユキだが、霞夏とニナに視線を戻すと二人の腹の虫の音が聞こえる。
「ユキ、どうしよう……?」
情けない表情と困り切った声の霞夏。
「おなかがすきました」
同じく困った顔のニナ。
(……お、俺がしっかりしないと!)
「とにかく、止めないと!」
ユキは目がシバシバする空気をかき分け、三咲家のキッチンへと走り出した。




