chapter2.39
車載されたレシーバーの遭難救助信号の明滅に目を見開く田羽多は思考が交錯し、感情が入り乱れる。
信号は登録番号から間違いなく一葉のものであると確認できる。
救助信号が出たということは何らかの生命の危機に見舞われている可能性がある。考えたくはないがタイミング的に考えても嫌でも先ほどのビル倒壊に関係があるだろう。
しかし救助信号が出せるということは、最悪の事態には――少なくとも即死してはいないということでもある。
(一ちゃん、無事でいてくれよ)
田羽多はレシーバーに表示される位置情報を確認しながら、隣に車載された無線機で一鉄に呼びかける。
ほぼ何の確認もなしに二人を呼び続け、ひたすらに砂埃の上がる区画を目指して走り続ける一鉄。
「一葉! 一葉! 応答しろ! 霞夏! 無事なのか!」
止まることなく言葉をかけ続け、全速力で駆けつけた一鉄は、田羽多から伝えられた位置情報など確認する余裕もなく、崩れ落ちた瓦礫の山々から何かの情報を得ようと見回す。
大災害以前はビル街だったらしく辛うじて倒壊を免れた大小様々なビル群の一区画ばかりが完全に崩れているのを目にした一鉄は、絶え絶えの呼吸を気にも留めずその一角へ走り寄る。
苦しそうな息づかいが無線を通し、後を追う早瀬にも聞こえていた。鍛え抜かれた歴戦の古強者といえど初老といえる年齢だ。それがスーツを着込み1㎞ほどを全力で走ったのだから相当に苦しいはずなのだ。
しかし当の本人はそれを全く意識していないほど必死で言葉をかけ続ける。それは子を思う父の心境であろうと思うと、早瀬は目の前でふらつきながらもビルに駆け寄る背中にかける言葉が見つからない。
「一葉! 霞夏! ここにいるのか? 答えてくれ!」
尚も呼び続ける一鉄に追い付いた早瀬は、左腕のセンサーで位置情報を確認して田羽多が告げた位置に間違いないと判断する。
「三咲さん、ここで間違いないようだ」
目の前には崩れ、瓦礫と礫塊に鉄骨が何本も突き刺さった4mほどの山がある。この小さな瓦礫の山を中心に周囲の建築物が崩れ去っている。
裏にあたるものと向かって右にあったであろう建物は隣接していたため、二人が内部にいるであろう瓦礫と繋がってしまっている。
立地が交差点に面していたため、崩れてはいるが正面と左側にはひび割れて崩壊した地面が露出している。
元々はアスファルトが敷かれ、大きな交差点だったであろう地面は数世代のうちに雨水が染み、込みとうの昔に植物に覆われており軍や自治隊が整地のための調査の際に粗方刈り取ってはいるが、足場も悪いためあくまでも必要最小限であり行き届いているとは言えない。
「一葉、頼むから答――」
「はいはい。感度微妙だけど、聞こえたよ親父」
その声に一鉄の背中が脊椎反射のように反応する。後ろ姿でも、待ち望んだその声が聞こえたことでの安堵と、その身を案ずる憂心が見て取れるほどだ。
「一葉! 無事か! 霞夏も一緒か!」
「どうにかね。霞夏は怪我もない、とりあえずは無事って感じかな」
「お前は? 大丈夫なのか?」
その問いに少し困ったように答える一葉。
「うーん、ちょっと足をやっちゃった」
一葉の答えに息を呑み、ヘルメットの左耳のあたりを手で塞ぐようにして外から耳に押し付け、声を荒げる一鉄。
「何? 大丈夫なのか? 状況は!」
「大丈夫。親父、心配しないで。今から説明するから、落ち着いて」
ビル倒壊を確信した一葉は霞夏を抱え、考えるよりもほんの少し早く行動した。
霞夏の手を握ろうとビルの内部に侵入してしまっていた一葉は霞夏を抱きかかえたまま入ってきた方向に戻らず、室内の奥にぽっかりと入り口を開けた空間に飛び込んだ。
細身とは言え、人一人を抱えて踵を返すよりも勢いのまま突進したのだ。
賭けではあったが、店内の様子から二人が侵入したのが元は飲食店だと気付いた一葉は、入り口の造りからその空間がウォークインタイプのプレハブ式冷蔵庫であろうと判断したのだ。
中の様子を確認するような状況でもなく無我夢中で飛び込んだがその判断は正しく、保温のため分厚い壁を持つその小さな空間が辛うじてビル倒壊の衝撃と上階から降り注いだであろう瓦礫から二人を守ったのだ。
まだ完全に現状をつかめきれてはいないが、とりあえずの状況は小康状態であり、早くここから抜け出さなければならない。伝えられるだけの情報を一鉄に伝える一葉。
足を気に掛ける一鉄には、少し軽めに説明する。
一葉の右足首は、冷蔵庫の扉だったであろう物の下になっていた。負傷はしたが、扉の上から瓦礫が乗っていたら潰れてしまっていたであろうことを考えれば、幸運と言えるだろう。
「自己診断では、(かなり強烈な)過内反かな。まあ打撲と捻挫(の酷いヤツ)だね。血は(多分)出てない。まあ最悪、骨にヒビくらい入ってるかもね。(完全にポッキリいってはいないと思う)」
「……そうか、わかった。すぐに人を集めてくる。必ず助けるからな! 霞夏を頼むぞ!」
二人の会話中、残った田羽多に腰に装備していた無線で二人の現状を伝える早瀬。
報告を聞いた田羽多はすぐに車両でこちらに向かうとのことだった。
通信を終えた一鉄は早瀬に向き直って自分のヘルメットの側面、耳のあたりを指先でコンコンと突く。
無線を切り替えろ、というゼスチャーだ。
早瀬はチャンネルを共通から一鉄との直接に切り替える。
「手伝いに来てもらった日にこんなことになってすまねぇ。力を貸してくれ」
切羽詰ったその言葉に、早瀬は無言で深く頷いてみせる。
「足の怪我はあまり良くないはずだ。どうにか凌いだようだが、プレハブだっていつまで持ちこたえるかわからん。頼むぜ」
早瀬は田羽多との通信中もヘルメットでの会話に耳を傾けていたが、負傷はしているものの軽度との印象だった。
「一緒に霞夏がいるんだ。あいつがこんな時に自分の怪我をまともに伝えるわけがねぇ。良くて話半分だ。酷い捻挫と、骨折くらいはしているだろう」
(なるほど)
早瀬は深く理解する親子に羨望のような感情を覚えると共に、少しづつ三咲 一鉄という人物に対しての印象が変わり始めていた。
何度も街の危機を守った観測企業とその代表者。
その噂は東方出身の自分の耳にも入る程だったが、噂には尾ひれが付くもの。
どこかで、どうせ自己顕示欲の強い荒くれ者だろうと思い込んでいるところがあったのだ。
しかし実際に会ってこの状況に至るうち、思慮深く判断力もある磨かれたリーダーの資質を持つ人物であり、深く娘を愛する父親と映っている。
ほどなくして、エンジン音と共に三咲組の車両が二台、こちらに向かって来るのが見える。
早瀬は濁った空を見上げ、今日誰も死ぬことがないようにと願っていた。




