chapter2.38
コンクリートが打ち砕け、鉄骨がへし折れ、大気を破裂させながら真上から零れ落ちる雫のように、一呼吸する前までいた空間を叩き潰す。
自分の出す叫び声さえ全く聞き取れないほど重なり積まれ乗される、破壊という名の多重奏。
全身を激流に晒されたように覆い尽くす音と衝撃に気を失いそうになりながら、押し倒すようにして抱え、その細い身体の下で霞夏を庇う一葉。
数分だったのか、それとも数秒だったのか、時間の感覚など忘れてしまうほど長く感じた戦慄が終わり、一葉は脱力したように少しづつ息を吐く。
安心したのではない。地面から感じていた衝撃は今も続いているかのように一葉の身体を苛み、全身の感覚が麻痺したように思える。
震える身体は身動きも取れず、文字通り力が入らずに漏れ出た吐息だった。
霞夏に覆いかぶさる姿勢のまま、一瞬途切れかける意識を歯を食いしばって繋ぎ留めてまだ自分が生きていることを認識しつつ、それ自体が奇跡にも近いと感じる。
轟音と衝撃で脳が揺さぶられてしまったか、一葉はまだはっきりとしない思考で浅い呼吸を繰り返しながら抱える腕を緩めて霞夏の状態を確認するため、なんとか上体を動かして上手くは動かない腕を動かし、ヘルメットのライトを点灯させる。
「う、ん……」
霞夏の小さな呻き声が聞こえる。
酷く重く感じる下半身に不自由を感じつつ、ライトの光を頼りに我を忘れ霞夏の身体を照らして怪我のないことがわかると、ようやく僅かに安堵を得ることができた。
未だ解けぬ緊張のなか、霞夏の無事は一葉に微かな笑みをもたらす。
次に状況の把握を試みる一葉だったが身体を起こそうと試みた瞬間、右足に激しい痛みを感じて身を竦める。
苦痛に眉をひそめながら首を動かしてヘルメットのライトを自分の足に向ける一葉。
その光は一葉の足ではなく、色褪せた大きな板状の物体を照らし出す。
音と衝撃に感覚が鈍くなったせいか、それとも霞夏を心配するあまりか、重く感じていた程度だった下半身は、実際には右足首が照らされた板状の物体の下敷きになっていたのだ。
右膝を動かして引き抜こうとしてみるが、痛みで動けなくなるばかりで自分の力ではどうにもできそうになかった。今更のように、痛みのせいで冷たい汗が背中を流れる。
痛みにも種類がある。感じるのは足首全体の痛み。動かそうとすれば足首から脛へ向け鋭く直線的な激しい痛みが走る。力を抜くと足首には鈍く重い痛みが広がるが、指は動くようだ。
足首の痛みを確かめつつ、見えてはいない状態を把握しようとする一葉。
(出血は、多分ない。でも結構腫れてるはず。それに熱も持ってる。短時間でこうなるなら――)
冷静に状態の確認をしようとする一葉の身体の下で、一度身体を強張らせてからゆっくりと霞夏が目を開く。
「……一姉?」
状況も理解できていないであろう霞夏に、足の痛みを押し殺して一葉はできる限り穏やかな口調で答える。
「目ぇ覚めた? 痛いとこないか霞夏?」
「痛いとこ……? ないよ、お姉ちゃん」
霞夏はまだ少しぼうっとしているせいか、随分昔に止めてしまった甘えた呼び方で一葉に答える。
「そ。そんなら良かった」
昔と変わらない、ニカッとした笑顔でその言葉に答える一葉。
ビル倒壊――あの状況で二人とも命があったなら、まずは万々歳だ。
痛みに耐え、ヘルメットの中で汗を滲ませる一葉はこの幸運に心底感謝した。
「お姉、私たちどうなったの……?」
「うーん。ま、有体に言って」
ここまで話して、ようやく霞夏は意識がはっきりとしてくる。
そして一葉の呼吸が必要以上に熱っぽく、苦しそうにしているのを感じる。
「……生き埋め?」
言い難そうに、そう言った一葉と、その言葉に息を呑む霞夏。
意識がはっきりしてきた霞夏には分かるのだ。
この状況を作り出したのは、他ならない自分の無知と未熟さ、そして子供じみた意地のせいなのだと。
「一姉、私……」
言葉を上手く紡げない霞夏。そんな霞夏に対し、心の動きを見透かす一葉。
「よし、霞夏。ここからが研修の本番だ」
徐々に現在の二人の置かれた状況に気付き血の気が引いて行く霞夏に、いつもの自信満々な笑顔で続ける一葉。
「最大限の個人努力と集中力に互いの命を預け合う。それが危険地帯でのプロの仕事だ」
向けられる信頼感のこもる一葉の瞳に、微かに震えながら無言でうなずく霞夏。
「よし、いい子だ霞夏」
汗の滲む額を意識しながら、一葉はヘルメットの遭難信号発信機のスイッチを押した。




