chapter2.37
「おい! 何があった!」
休憩中の車内で轟音を聞き狼狽える葦利が、部下に向かい唾液を飛ばしながら騒ぎ立てている。
「さあ? あっちのほうで土煙が上がってるから、ビルが崩れたんだと思いますけど」
「あっちか! 結構離れてるじゃねぇか。ビビらせやがって」
部下の一人が呑気に土煙の上がる方角を指さし、葦利は距離があるのを知ってホッとする。
「いや、どこも倒壊寸前です。震動で連鎖を起こす可能性もありますよ」
ようやく昼食にありつけた能登は車から降り、倒壊したらしきビルの周囲を観察する。
「この辺りは整地が進んでるからビルなんてないだろうが。ビビってんじゃねぇよ!」
(よく言うよ)
葦利の言葉にそう思いつつ、適当に流す能登は位置関係を確認する。
恐らくビルが倒壊したと思われる整地の進んでいない旧市街地は1㎞ほど離れている。
確かに現在地は整地が概ね整い更地になっているが、倒壊があった区画すべてが連鎖を起こせば安全とは言い難いからだ。
幸い葦利を含め、葦利工業の関係者は皆揃っている。
ホッとしながら周囲を伺うと、数人のスーツ姿が只ならぬ雰囲気で動き始めたのが見えた。
(あれは、さっきの)
ヘルメットの無線で応答を呼びかけ、大声を出しているのは三咲組の代表者。数時間前に作業の予定を聞きに来ていた人物だ。
初老だと思われるが肉体は充実し並の軍人でも気圧されされそうだが、能登は多少言葉を交わしただけだが言い方はは多少荒くても気配りを感じた。
「一葉! おい! 応答しろ! 一葉、霞夏! どこだ!」
明らかに取り乱しているその人物は、ビルが倒壊したと思われる区画まで既に走り出していた。
そしてその後に続く人物にも見覚えがある。とてもただのサーヴェイアとは思えない凄みで葦利を黙らせた人物だった。
(三咲組の社長の三咲さんと、たしか早瀬さん、だったな)
残っているのはスーツ姿の男性が一人、三咲組の機材運搬用の車両の助手席を開け、車載の長距離無線で何処かと通信しているようだったが先ほどの二人同様、慌てた様子が見て取れた。
(三咲組は他にも何人かいたはずだ。そう、確か女性が何人か……)
能登は、落ち着きがありいかにも現場慣れしている三咲組の面々の慌ただしさに、違和感と嫌な胸騒ぎを覚えた。
「おい! どうして返事しねぇんだ! 一葉! 霞夏!」
一葉達とは別の車両で昼食を済ませた一鉄、田羽多、早瀬は午後の予定を確認した後身体を休めていたのだが、外を眺めていた早瀬がふらりと出て行き葦利工業の人間と何やら話して戻ってきた途端、ビル倒壊の轟音が鳴り響く。
その音にに反応した一鉄はすぐに車両を飛び出し、近くに止めていた一葉と霞夏がいるはずの車両の窓を覗き込んだ。
二人が車内にいないことに気付いた一鉄は、普段の泰然とした雰囲気から一変し慌てた様子であたりを見回しながらヘルメットの無線で呼びかける。
無線のチャンネルは休憩中だったせいもあり、共通ではなく三咲組の連絡用のままだったた。
「一葉? おい、今どこだ?」
返事はなかった。
「おい! 応答しろ! 今どこにいる!」
その声にも返事はなかった。
先ほどとは違う、焦燥混じりのその声に田羽多と早瀬も反応し、一鉄の姿を探す。
「一葉! おい! 応答しろ! 一葉、霞夏! どこだ!」
既に無線でなくとも耳で聞き取れるほどの大声で呼びかけながら、一鉄はまだ砂埃が立ち上る方角へ走り始めた。
その姿を見た田羽多は一鉄に呼びかける。
「社長? どうしたんです?」
田羽多の声もトラブルを察知し、慎重なものだった。
呼びかけに答えず走る一鉄の後ろ姿を見ながらバイザーを開け、車載無線を取り上げる田羽多。
無線の故障か電波障害、もしくは距離的な問題で一葉達に通信が届いていないかもしれないからだ。
それならばいい、そうであってくれと願いながら通信をしようとする自分を尻目に、何も言わずに車両をおりて一鉄の後を追うために走り出す早瀬の姿を見送る田羽多。
元軍人で、観測の経験は全くないという早瀬とは初対面であったが、無口で武骨ながらも礼儀をわきまえており、ある種の好感が持てた。
ただ彼の持つ影に余人のうかがい知れない深さを感じた早瀬は、彼が今後一緒に仕事をする同僚になることはないであろうと察していた。
作業を指示すれば動いてくれるし連携のための会話や質問はあったが、雑談は一切なく垣間見える表情には哀傷が宿る。
彼は恐らく何らかの義務か、義理を果たすためにここに来ている。そう感じさせたからだ。
他人に踏み込もうとしない人間は、他人にも踏み込まれたくはない。そういうものだと考える田羽多は、大声で通信を試みながら走る一鉄を追う早瀬の行動は意外なものと映るが、今はそれどころではない。自分がそうできない以上、取り乱す一鉄を追ってくれるのは助かる。
田羽多は早瀬が何も言わずそれができる人物であることに頼り甲斐を感じつつ通信を続けた。
「お、おいおい。 何だありゃ? 何かあったのかよ?」
さすがの葦利にも只ならぬ雰囲気だけは伝わったようだ。
能登は一人残り、三咲組の車両で無線に向かう男に向かって歩きはじめるが、葦利に止められる。
「おーい能登ぉ。お前何するつもりだよ?」
「何って、何かあったみたいじゃないですか」
「だから何だよ。頼まれたわけでもないのに首突っ込むんじゃねぇよ」
「……そうかもしれませんが、三咲組の人にはさっき助けてもらいましたし」
機材の修理作業を、休憩時間だったにも関わらず手助けしてくれた早瀬に義理を感じる能登がそう言うのだが、葦利には通じぬ理屈だったらしい。
「はぁ? 俺がやろうとしてたら勝手に手を出してきただけじゃねぇか。 知るかよそんなもん! なぁ、そう思うよな?」
傍らに居た社員の男に話を振る葦利。
「そ、そうっスね! そう思います」
聞かれた男は葦利が社長に就任してから入社してきた作業員であった。技術者ではなく作業員だが、葦利のご機嫌を取る技術であれば間違いなく能登を凌駕するだろう。
「だろう? やっぱりお前は能登と違って分かってるよなぁ!」
そう言いながら、相変わらず着崩したスーツ胸の前に腕を組んで大笑いする葦利。
相手にするのを止め、無線を握る男を見守る能登だったが、どうにも思う以上に良くない状況のようだった。
車載されたレシーバーからは聞き慣れない警告音と共に、遭難信号発信機からの信号を捕えて赤く光る点が明滅していた。




