chapter2.29
時を同じくして2年前。
前世紀の大きな都市一つ分――茫々と広がる廃墟地帯と新市街地を隔てる高い壁。
許可無き者の立ち入りだけでも罪となる危険地帯と、生き残った人間たちが住まう街との間にそびえる防衛線である。
その壁にいくつか設けられた検問の一つに隣接して造られた巨大な砦は西方駐屯軍の拠点。
広大な敷地は区分けされ、車両や武器の倉庫、訓練を行うための営庭や射撃場の他にも医療施設や宿舎等の建物も配置されている。
その中で立哨する兵士に守られる一つの施設。
堅牢な鉄製の門で仕切られたその施設の奥にある一室、西方駐屯軍司令室。
室内には分厚く、広々とした甲板と重厚な造りの黒檀の机があり、備えられた皮張りの椅子に深々と腰を掛けているのは司令官である藤田 兼重。
「私が保証します! 会ってもらえたら納得していただけるはずです!」
目の前の人物に必死で訴え、説得を試みるのは藤田の秘書官である菱川 瑠依。
「折角だが、興味がない。気を遣ってくれたのは有難いが……」
菱川のせがむ様な視線から力なく目をそらし、言葉少なく拒否の意思を変えない人物は上背はそれほど高くないが均整がとれ、ラフに着こなしたロングスリーブシャツの上からでも充分に分かる、よく鍛え上げられた逞しい肉体に短めの黒髪の男性だった。
「早瀬、座るくらいしたらどうだ?」
二人のやり取りに見かねた藤田が男性に声をかける。
「……はい」
既に軍を退役した身だ。適当に断って部屋を出ることもできるが、この二人には世話になった。できるなら失礼のない別れをしたいと思いながら、促された席へ腰を下ろす早瀬 健一郎。
促されるまま指令室の応接ソファに浅く腰を下ろし、少し背を丸めるようにして膝に肘を乗せ、力なく手を組んで押し黙る早瀬。
よく覚えてもいないが、思い出したくもない。
――いやそうじゃない。
本当は只々思い出したくない。そして片時も忘れることができない。
遠征中、東方の一つの街が暴徒に襲撃され、早瀬は家族を失った。
遠征に向かうための移動中、軍車両の無線で襲撃の知らせを聞いた早瀬は、作戦行動中にも拘らず部下達に訴えた。
「責任は全て俺が取る。止めないでくれ」
部下達は狼狽える者、非難する者、黙って頷いてくれる者、様々だったが元々賛同を求めているわけではない。どう言われようが軍車両を使い、すぐに街に戻るつもりだった。
「自分も一緒に行かせてください!」
そう言う若い部下がいた。その年に入隊した新兵だった。
まだ頼りなさもあるが軍の厳しい訓練に必死でついてくる姿は常にひたむきで、早瀬も陰ながら目をかけていた部下だった。
徒手格闘の手合わせをせがまれ、何度か胸を貸したこともある。
しかし、同じ街の出身とは聞いていない。
「理由は何だ?」
「自分は誰かを守りたくて軍に入りました! 街が襲撃されたと聞いて黙っていられません!」
意思を感じる、芯が通った響きを持つ声を張り上げる新兵の肩を、早瀬は突き飛ばす。
正義感に溢れる一人の若者を、その将来を捨てさせるわけにはいかない。
声を張り上げた新兵は車両に一人乗り込む、鬼と見まごうような早瀬の横顔を見送ることしかできなかった。
早瀬はこの後のことを思い出そうとすると肌が粟立ち、頭痛と共に視界が狭くなっていく感覚に襲われる。
無意識に歯を食いしばり、いつでも溢れだしそうな憎悪を抑え込む。
我に返り、呼吸をしていない自分に気が付き息を吸い込みながら俯いていた顔を上げる早瀬。
そんな早瀬を見守る、表情は変わらないにも拘らず悲痛な眼差しの藤田と、何故か早瀬と同じように息を止め、口をへの字に曲げた顔の赤い菱川。
菱川は早瀬が息を吸うのを見て、思い出したように深呼吸する。




