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chapter2.27

 見合わせる笑顔に照れたのか、少し慌てたように霞夏かなが口走る。


「そういえば、君はどうして今ここへ来たんだ? 朝じゃないと意味がないって言ってたな?」

「ああ……、引き取らせてもらった父さ……父の物に――」


 ユキは遺品として受け取った皮手帳を手渡しながら言う。


「その……紐が挟まってるページを見てください」

 霞夏は受け取りつつ、少し遠慮がちに聞き返す。

「いいのか? 見ても?」

 無言で頷くユキ。


 両手で丁重に手帳を開き、そこに書かれた一文に目を通し、納得したように小さく頷いて丁寧に閉じながら東の空へ視線を送る。

 雨雲が点在する空には、夜明け特有の角度からの陽光。

 雪のように白く真っ直ぐな、光の矢。

 それは雨雲の黒さえ射抜いて輪郭を際立たせ、空を輝かせる。



――夜明けは、もうすぐそこだ。



「……いいお父さんだな」

 言いながらユキから見て読める向きにしてからその手に返す。

「……はい」

 少し照れくさそうな、それでもしっかりと答えるユキ。

 霞夏はそんなユキに親しみをおぼえ、性分でもないのに余計なひと言も言いたくなってしまう。


「因みにだ」

 霞夏のごく自然な気の遣い方に感じ入りながら受け取るユキだが、霞夏の言葉に動きが一瞬止まる。


「手帳の紐はちょっと格好悪いな。それはスピンって言うんだぞ」

「し、知りませんでした」

 少しからかうような霞夏の視線に、自嘲気味の照れ笑いを見せるユキ。



 急速に世界が変わってゆく。

 夜から、朝へ。


 登り始めた太陽は音を立てていないのが不思議なほど、つい今までそこに在った影を喰い散らすように輝く。

 どちらともなく、この危険地帯にあってヘルメットを外しその光を浴びる二人。

 目を瞑っても瞼が赤く透けて見えるほどの光。


 頬をかすめる風は少しづつ冷気を帯び、方角もいまいち定まらない。

 吸い込む空気は、急速に上がり始めた気温も相まって不自然な重さと土の匂いを感じる。


――雨の予兆だ。

 幸い大雨の兆候はなかった。

 旅が始まった以上、後戻りの選択肢は考えていないユキと、多少の身の危険では止めても無駄だろうと思う霞夏。


 互いにそれを感じながら、登り始めた朝日に目を奪われる。


『いつかユキにも見せてやりたい』

 ユキは父の残した一文を、受け取った手帳を開いてもう一度読んでみる。


 綺麗な朝日だった。 


 養成所での訓練、三咲組での半年間、今回の旅――

 ユキは危険地帯で朝日が昇るのを何度も見ている。

 天候や状況は違うが、朝日を見ることができたときには、それぞれの美しさを感じた。


 当時のユキにそう感じることができなかったとしても、父を失い泣いて過ごした施設で涙越しにただ見つめた朝日もまた、等しく美しかったはずなのだ。



「綺麗だな」

「はい。いつも通りですよ」


 確かに綺麗な朝日だった。

 しかし、特別ではない。

 ユキは感じたまま答える。

  

「災害レベルの天候変化には、まだまだ人間が気付くことができない要因で様々な兆候が出ることがある」

 ポツリと語りはじめる霞夏の言葉を黙って聞くユキ。

「これは私の想像でしかないけれど……もしかすると、君のお父さんの目にはその変化が特別な朝日に映っていたのかもしれないな」


 事故当日、一時間に数十㎜の瞬間的な大豪雨が突然やってきたと記録されている。

 一生に一度お目にかかるかと言うほどの天候変化。

 ベテランサーヴェイアであってもその兆候に気が付けるものはまずいないだろう。

 霞夏の言う通りならば、父が絶景と感じたのにも納得がいくと思うユキ。

 しかしそうであったにせよ、なかったにせよ、父と同じ場所に立ち、いつか見せたいと綴ってくれた朝日を見ることができた。


(父さんや空太あらたさんが――)

 ユキがそう思いかけたとき、霞夏が口を開く。


「でも、そんな想像よりも私や君の父さんが最後に目にしたのが、綺麗だったと感じるような朝日だったなら――少し嬉しいんだ」

「俺も、そう思ってました」


 再び笑顔を交わし、少し照れるユキと霞夏。


「お父さんの手帳を見せてもらわなかったら、あの日の空のことなんて考えもしなかった。……会えてよかったよ」

 思い込みや嫉妬を捨て、素直な笑顔でユキに告げる霞夏。


 昨日初めて会ったときには少し慌てていたようだが、泣き顔も見せたユキに気を遣ってのことなのかあまり正面から目を合わせることはなく、その後は口数も少なく冷静な態度だった先輩女性サーヴェイア。

 目の前には真っ直ぐにユキに向き合い、年齢よりも幼く感じるほどの笑顔を向ける霞夏に少しドキリとするユキ。



「あの、霞夏さん。俺も昨日聞きそびれたことがあるんです」

「うん? そうなのか。なんだ?」


「霞夏さんは、俺が入る前に三咲組にいたことがあるって聞きました」

「……そうか。うん、そうだよ」

 誰から聞いたか、なんてことは聞かない。ただ静かに答える霞夏。


「どうして、いなくなっちゃったんですか? 聞かせてください」

 我ながらあまりにも直球な聞き方をしていると思うユキ。

 霞夏の言葉や表情に、霞夏が何らかの負い目を感じているとは確信しているのだが、話し方や言い回しで上手く聞き出せるような器用なことができるとは自分でも思っていない。

 ユキは怒られても仕方ないと覚悟の上でそう聞いたのだ。


 聞かれた霞夏は怒っているわけではなく、僅かに声を小さくして答える。

「そんなこと、気になるのか?」

「はい。気になって出発できません」


 ユキのわざとらしい程頑なな言葉に、困った顔で微かに笑う霞夏。

「仕方がないな……そんなに短い話じゃないんだが――」


 ユキは霞夏が言い終わる前にバックパックを降ろし、近くにあった手ごろな岩に腰かけてしまう。

 そんなユキの行動を見て、呆れつつも苦笑いの霞夏。

(意外と頑固だな)


 霞夏は小さく息を吐いた後、ユキの正面辺りにある小さな岩を物色しながら、霞夏の変化を感じ取り意外にも大人しくしている弥七の頭を優しく撫でてやる。

 弥七を撫でながら、やや小声で呟くように口を開く霞夏。

「今まで母や雲秋もときにも、詳しいことは言えなかったんだ。私も、君に聞いてもらいたいのかもしれない」


 手ごろな岩を見つけて腰かけ、ゆっくりユキと向き合う霞夏。


「人に初めて話すから、上手く喋れないかもしれないが……聞いてくれるか?」


 返事はせず、しっかり頷いて返すユキ。


 登り始めた夏の朝日に湿度を持ったままの空気が急激に暖められ、辺りは二人を静かに見守るように霞が包んでいた。


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