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chapter2.20

「すぐに戻って休むか? どこか見てみたいなら案内する」

 霞夏かなに言われ、少し考えるユキ。


「それじゃ、波止場をみせてもらってもいいですか?」

「ああ、すぐそこだ」

 車を方向転換させ、多くの漁具やブイがぶら下がったままのガードレールがある道を通り波止場へ向かう霞夏。


 目と鼻の先といってもいい距離だった波止場へはすぐに到着し、ユキと霞夏は車を降りる。

 はっきりと感じられる潮の匂いを含んだ風と波の音。

 水平線まで見通せる空の彼方で太陽は南中を過ぎ、西へ傾いている。

 寄せ返す波は光を乱反射し、防波ブロックに打ち付けられては砕け、再び輝く。


 大きな波止場ではなかったが、不揃いの大きさの石が組み合わされて敷き詰められている埠頭は長閑な雰囲気にはよくあっていた。

 遠くに止められた漁船が数隻あり、水揚げされた魚が入っているらしきコンテナをリフトで降ろす人たちが見える。


「……やっぱり、第一地区にいると、海は珍しいか?」

 作業する漁業者たちを静かに眺めていたユキに言葉をかける霞夏。

「いえ、実は俺、第二地区の出身で」

「そうだったのか」

「はい。漁業に関わったことはないですが、ちょっと懐かしくて」


 ユキが三咲組に所属する以前、養成所を出るまで生活していた西方第二地区は第三地区と同じく港があり、特に生活するうえで意識してはいなかったが、やはり幼い頃海が見える環境で育ったせいか懐かしさを感じていた。


「なるほど。私は行ったことはないが、ここと似ているらしいな」

「そうですね。果樹栽培も盛んだったみたいだし、似ていると思います」


 この街に到着したとき、果物と潮の香りがする風に懐かしさを感じたことを思い出すユキ。

 少し前なら幼い頃を思い出せば家族の姿が浮かび、僅かでも寂しさを感じれば感情を押し込め誤魔化していたのだが、自分でも不思議なほどすっきりとした気分で目の前の情景を懐かしむことができるようになっていた。


「……来てよかった」

 誰に向けられているわけでもなく、ごく自然に口から出たユキの言葉にこもる想いを慮る霞夏は応えることなく、視線を遠くへ向けた。



 しばしの間無言で潮風に吹かれたユキは、黙して傍らに立ってくれた霞夏に顔を向ける。

「……もういいのか?」

「はい。ありがとうございます」


 霞夏の無言の気遣いに感謝しつつ、車に戻るユキ。

「他に見たいところはないか? 小さいが市場もあるんだ」

 霞夏は少ししんみりしたユキを元気づけようとしたのか、そんな提案をする。

 止めはしたものの、遥々父親の墓を参りに来たユキに営業したいと言ってきかない泉澄を引き合わせてしまった罪悪感もあるのだろう。

 タイミングか悪いと言ってはみたものの、西方の王手観測企業に顔を繋ぎたい泉澄の気持ちも分かるだけに、断り切れなかったのだ。



「あまり二人を待たせても悪いですし、それは次来た時の楽しみにしておきます」

「……そうか。身体を休めるのも大事だしな」

 少し残念そうに霞夏が答えた後、「あ」と声を上げるユキ。


「ん……、どうかしたのか?」

「ああ、いえ。そういえば、見ておきたい場所がもう一つあったと思って」

「なんだ。あるなら言えばいいのに。……どこだ?」

「いえいえ。この街を出発してから寄ることにしたんです。……朝じゃないと意味がないから」


 霞夏は不思議そうな顔をするが、泉澄の車に付いて宮司神社を出る際、雲秋もときが夕食を作る母を手伝うと言っていたのを思い出し時計を見る。

 ユキの言う通り、待たせてしまっては二人のユキへの気遣いを台無しにしてしまう。

 車を自宅に向け出発させた霞夏は、ユキの言葉への疑問は保留とすることにした。


「あまり期待するなよ? 明日からまた長旅だ。食べ過ぎると辛いぞ」

「はい。大丈夫です」

「ああ……私に言われるまでもないかな。悪かった」



 家路につくために車を走らせながら、何故か少し気まずそうに言う霞夏を不思議に思うユキ。

 雲秋が口にした言葉を思い出し、思いを巡らせる。

(父と姉がお世話になった……って言ったよな)


 車内の空気に居た堪れなくなり、考え込むユキに対して自嘲気味の笑顔で言葉を掛ける霞夏。

「実は今朝、君が崖を登っているところを弥七が見つけてね。少しだったけど、私も見ていたんだ」

 黙って聞くユキに、やや恥ずかしそうに続ける。

「あんなことは、私には絶対できない。……齢も一つ上だし、危険地域ではそれなりに経験もしてきたつもりだけど、サーヴェイアとしては君に敵わない」


 静かに言葉を重ねる霞夏に対して、ユキは首を捻るばかりだった。

 いまいち考えがまとまらず、霞夏に言葉を返すことができないままに、傾いてきた陽光のなか二人の乗る車は目的地である宮司神社に到着してしまうのだった。


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