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chapter2.19

「やぁ、悪かったねぇ。うっかりうっかり」

「大丈夫ですよ。気にしないでください」

 別れ際、くれぐれもよろしくと言わんばかりにユキの手を取りブンブンと振る泉澄と困った顔で笑うユキ。

 

 忘れた名刺を取って戻ってくるという泉澄いずみを三人で宥め、折角だから第三地区の街を見るついでにと泉澄の車の後を、霞夏かなに車を出してもらいついてきたのだ。

 正直別な方法で連絡先を知る事もできたのだが、直接渡したいと言う泉澄の意見に折れた形だ。

 持ってきてもらうのを避けたのは、泉澄が何となく危なっかしいと感じてしまったからというのは本人には内緒である。


 ここは西方第三地区の港付近にある建物の前。

 木造だが大きく新しいその建物は、海で働く女性たちの宿舎として使われているのだという。


「えらい快適だよ。寄ってくか?」

「いえいえ! 明日早いので」


 運転席で待つ霞夏の車の助手席に乗り込み、別れを告げようとするユキに慌てたように駈け寄ってくる泉澄。

「ねぇねぇ。あんた名前聞いてなかったわぁ。教えて?」

「ああ、すみません。檜森ひもり 志矢ゆきやです」

 挨拶されたのに名乗っていなかったことに反省しつつも、名前も知らない相手にあれほど親しめる泉澄に内心改めて驚く。


「ひもり……ゆきや……」

 名前を聞いた泉澄は何故か目を瞑って顔を空に向けて思案顔である。


 そんな泉澄を見てユキは何だかギクリとする。

 特に理由はないのだが、どこかで聞いた名前だとか、実は父の知り合いだとか、そんな展開を一瞬予想したのだ。


「あの……もしかして、聞き覚えがあるとか……?」

「んん? 全然。んー……ひもり……」


 いとも簡単にユキの問いを否定し、小声でブツブツと呟く泉澄。

 戸惑うユキに、霞夏が小さく耳打ちする。

「泉澄さんは人にあだ名を付けるんだ……」


 霞夏を「かなっぺ」、雲秋もときを「もときち」と呼んでいたことを思い出すユキ。

 読み方に工夫があり、洒落ている部類と言えなくもない姉弟の名前を一瞬で田舎者にしてしまう破壊力を秘めたネーミングセンスに恐怖を覚えるユキ。


「なぁ、ひもりん――」

「嫌です」

 秒殺で拒否するユキに口を尖らせる泉澄。

「なぁんだよ、ゆきやんより呼びやすいべ。やっぱり、ひもゆきの方がいい?」

 ひもゆきがツボだったのか、運転席からは霞夏が軽く吹き出したのが聞こえる。


「いやホント、あだ名とかいいので……」

「そんなこと言うなぁ。いいの考えるから」


 何とかやり過ごそうとするユキの顔を見て、何か思いついたようにハッとなる泉澄。

「ああ! あんたよく見たら、あたしの愛用の抱き枕のダッキーに似てるわ。よし、決まり! あんたユッキーな!」


 もう、どこをどう突っ込めばいいのかわからないユキだったが、一葉かずは結花ゆかからいつの間にかそう呼ばれていたので、これには特に抵抗はない。

『抱き枕のダッキー』が一体どんな抱き枕で、どこがどう似ているのか問い詰めたい気もするが、他のものよりもましと言える。ユキにとって耳に馴染んでいるので許容範囲なのだ。

 結局は泉澄のペースのまま、無言で承諾したことになる。



 ブンブンと大きく手を振る泉澄に見送られ、車を発進させる霞夏。

 ユキは預かった泉澄の名刺をしまい込む前に眺めてみる。

 名前や連絡先はもちろん、車に積んでいるであろう個人無線の他、安全衛生のためであろう血液型等の情報もあった。

(確かに連絡先だけ聞いておくよりも役に立つものだけど……)

 ユキは納得しつつも名前の上に何よりも大きく書かれた『体力充実! お役に立ちます水属性!』のキャッチコピーに苦笑いする。


「その……仕事のときはしっかりしてる人だから。沿岸調査ではベテラン並だ。経験も豊富で陸上の観測実績もある人だし――」

 間の悪さを披露してしまった泉澄を何とかフォローしようとする霞夏の言葉。


「大丈夫ですよ。俺もマリナーの人と仕事してみたいですし、ちゃんと伝えます」

 墓のときもそうだったが、霞夏はぶっきらぼうな物言いに思えて気を遣う性格なのだなと思うユキ。


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