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chapter2.18

「よう、よう。もときち、元気かぁ?」

「はい。お疲れ様です」


 霞夏かなと共に参道を歩み寄ってくる女性は呑気そうな口調で、随分と気さくに雲秋もときに声をかける。

 妙なあだ名で呼ばれた雲秋は特に気にしている様子もなく、笑顔で答える。

 女性はユキと目が合うと、ニコニコとしたまま霞夏の方を向き、伺うように首を傾げる。

 少し困り顔の霞夏がそれを受けて、仕方がなさそうに頷いて見せると、女性は笑顔のまま再びユキに向き直る。


「あんたが三咲組の人? あたし滝川たきがわ 泉澄いずみ、水属性!」

 ユキの目の前に寄り、膝の上に置かれていた右手を両手で取ってブンブンと振る。

 行動は突飛だが、おっとりした声と特徴的な話し方だった。

 突然のことで呆気にとられ、手を握られブンブンされるままのユキ。

(水? ……何だって? 何なんだこの人は?)



 海洋調査マリン・サーヴェイを専門とするサーヴェイアを、正式にはマリン・サーヴェイアと呼ぶが、その前身に各地の漁協やダイビング協会が含まれ、マリン・サーヴェイアたちは水夫の意からマリナーとも呼ばれる。

 通常重装備で作業にあたるのはマリナーも同じである。バックパックは持たず、酸素ボンベを装備してはいるが、全身をドライスーツに包にヘルメットを被るため、あまり日に焼けることはない。

 

 ユキは戸惑いながらも、身体に張り付くようなシャツを身に付けた滝川と名乗るマリナーの肌がよく日に焼け、小麦色に輝いているのを見る。

 もちろん一鉄いってつ野嶽のだけのように、仕事以外でも屋外で活動してきた人間であれば特に不思議なことではないのだが、若い女性には少し珍しく思う。

 

「……すまない、檜森ひもり君。彼女は今この街の沿岸調査に来ているマリナーの一人で――」

 当惑しているユキに対し、諦めたように解説を始める霞夏。



 彼女は見た目はユキと大して変わらないと感じるが20歳であり、若いながらにフリーランスで活動しているのだという。

 今回もこの第三地区の沿岸調査を請け負った企業からの誘いを受けて調査に参加しているのだそうだ。


「そーそー。んで、かなっぺから三咲組の人が来てるって聞いてさぁ」

 ひとしきり説明を終えた霞夏の後に続いて、変わらず特徴的な口調で話す泉澄。

(かなっぺ……霞夏さんのことだよな……気の毒に)

 そう思うユキは、相変わらず手を握られブンブンされながら、泉澄の特徴的な独特のイントネーションがついた話し方が浜の訛りなのだろうかと思い当たる。

 浜の訛りと言えば早口で、知らないものが傍から聞くと口喧嘩でもしているかと思うほどぶっきらぼうなものという印象だが、おっとりした声と話し方のせいで、やけに呑気に感じるのだ。


「そんで、折角だから営業ね。流しは大変なんだわぁ」

(流しって、フリーのことだよな?)

 そう思いながら、宥めるように言ってみる。

「ええと、生憎ですけど、三咲組には水辺の観測依頼はなくって……内陸ですし」

「そんなつれないこと言うなぁ。三咲組ったら仕事いっぱいだべ? あたし水属性だけど水辺以外も頑張るよ?」

(……この人やっぱり水属性って言ってるよ!)


 聞き違いではなかったことに驚愕するユキだったが、基本的な免許の種類はほぼ変わらないとはいえ、水辺専門のマリナーが水辺以外の観測もやるというのは意外なことだ。

 聞けば冬季や水辺の観測にありつけないときは陸地の観測にも参加しているそうだ。

 そうはいっても軽はずみなことを言える立場ではないユキは、笑顔でぐいぐい寄ってくる泉澄に、やや引きつった笑顔で答える。

 

「俺が返事をできるようなことじゃないですが、帰ったら必ず社長に伝えます」

「ホント? ありがとう。頼むなぁ」

 それ以外答えようがなく言ってみたまでのことだったのだが、尻上がりの「ありがとう」で更に顔をほころばせて笑う泉澄。

 連絡先を渡そうとポケットをごそごそやり始め、ユキはようやく解放された右手を左手で労いながら、若干肩幅が広いかと思う程度で、それほど体格が良かったり筋肉質でもない身体つきが不思議だった。


「あれ? 何かやらしー人? あんた」

 ジロジロ見られたと思ったのか、かなりストレートな言葉を口にする泉澄だが、特に嫌そうにするわけでもなく、むしろニヤニヤしている。

「違いますよ! マリナーの人って初めて見て……水中の観測ってあまり筋肉つかないのかなと思って……」

「いやいやいやいや! 体力あるよ? 筋力はちょっとアレかもしれんけど、仕事は頑張るよ?」

 営業に差し障りがあると思ったのか、必死にアピールする泉澄。

「あ、そんなふうには思ってないです! 大丈夫です。ちゃんと伝えますから!」

 焦って宥めるユキを見て、霞夏と雲秋は忍び笑いを漏らす。


「水中では酸素の問題もあるし、私たちみたいに長時間連続で作業し続けることはないんだ。競泳しているわけじゃないからあまり筋力も必要ないし、私たちに比べたら汗もかかないだろうな」

 楽な仕事と言われたような気がするのか、不満そうに霞夏を見る泉澄。

「……しかし、水中は人間が生きていられる環境じゃない。陸上と違ってほんの僅かなトラブルでも命に関わるからな。そういう意味で私たち以上に危険だから、当然慎重さのレベルも高い」

 見事なフォローなのだが、泉澄はまだ不満そうだ。

「ちなみに彼女は優秀だと思うぞ。お世辞抜きで。この齢でフリーなんて陸の観測でも成り立つ人は少ないしな」

 ようやく機嫌を直した泉澄は頭の後ろに片手をやり、照れたように笑う。


 慎重さは危険地域で作業する者にとって、最大の長所であるといえる。

 そこに評価を得られるなら、多少肉体的に優れている人間よりも優秀とされるだろう。

「わかりました。それも伝えます」

 連絡先を預かろうと泉澄に向き直るユキだったが、視界には身に付けた七分丈の細身のパンツのポケットの内側を左右とも外へ引っ張り出し、笑顔のまま凍り付いた泉澄がいた。


「……名刺……忘れたぁ」

(慎重さ……!)

 涙目で立ち尽くす泉澄を見つめ、心で同時に突っ込む三人だった。


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