chapter2.17
木製の賽銭箱に投げ込まれた硬貨が格子に当たり軽い音を立てた後、呆気なく底へ落ちて行った。
(ええと……二回礼して……)
結花に教えてもらった作法を思い出しながら、ぎこちない動きで参拝するユキ。
二度の拍手の後、思い出したように一度礼をし、僅かな間手を合わせ目を瞑る。
霞夏と共に、言葉も少なく宮司家に戻ったユキは、雲秋が用意してくれていた風呂を借り、長旅の汚れを落とすことができた。
父の墓を参ることができたことも、ユキの気持ちを楽にしてくれたのだろう。
途中川の水で身体を拭けた日もあったが、安心して湯に浸かることができ、本当に生き返るような気分だった。
スーツはユキの入浴中、雲秋が洗ってくれていたらしく脱衣所には替えの衣服が置かれ、スーツは屋外に吊るされているのが窓から見えた。
触ってみると念入りに水分を取ってくれたようで、まだ日も高い今日ならば、夜半過ぎには乾くだろうと思うユキ。
礼を言うために浴室の周囲を探したのだが人の気配はなく、用意された部屋に戻ると丁寧に汚れをふき取られたバックパックがあるだけだった。
街を目指した旅だったため、今回は一応金銭もバックパックに忍ばせていた。
境内に出れば誰かがいるだろうと思い、涼むついでに参っておこうと拝殿まで来たのだが、結局誰に会うこともなくユキは参拝を済ませた。
まだ火照った身体に緩く吹く風が心地良く、何気なく参道を歩き脇に建つ小さな社に置かれたベンチ状の腰掛に座るユキ。
ユキは今夜のうちに折り返しの旅を始めるつもりだったのだが、海春と霞夏の猛反対を受け、出発は半ば強制的に明日の早朝に変更となった。
身体を優しく撫でていく風に目を閉じて佇むユキには、今回の旅を経て思うところがあった。
宮司家の人々は空太を、一鉄と鐘観は妻、一葉、そして自分と同じ年の結花も母を――
(俺……自分のことばっかりだな)
自分と関わり、支えてくれた人たちもまた、自分と同じく掛け替えのない誰かを失っているのだ。
聞かされていないだけで、他の人たちもそうであるかもしれない。
つい先ほど訪れた墓、規則正しく立つ数十のひとつひとつが自分にとっての父と等しく、誰かにとっての大切な人だったはずだ。
知っていたはずのそんなことを、今まで考えていなかった自分の浅はかさを恥ずかしく思う。
「檜森さん」
呼ばれた声に目を開け声のした方を見ると、拝殿の方から軽く手を振りながら近づいてくる雲秋の姿があった。
「ああ、見当たらなかったから、少し休ませてもらってたよ」
「すいませんでした。今丁度、三咲組と連絡がついたところで」
恐らく検問に到着した時点で三咲組には連絡が入っていたとは思うが、雲秋は気を利かせ無事到着の知らせを三咲組にしてくれていたのだ。
本来は自分でした方が良かったのだが、いいから風呂に入りなさいとスーツを脱がす勢いの海春に圧され、ついつい甘えてしまったのだ。
ユキの元に着いた雲秋は、やはり羽織を踏まないようふわりと裾を後ろへ送ってユキの隣に腰を下ろす。
自分の一つ年下だという雲秋は、細やかな配慮と優しげな雰囲気、そしてユキよりも長身ということもあり、とても大人びて見える。
「いろいろありがとう、雲秋君」
「雲秋でいいですよ。君なんてあまり呼ばれなくって」
特別対人関係が苦手ということはないのだが、学校では寝てばかりのユキは齢の近い知り合いは少なく、養成所でも訓練以上のトレーニングに明け暮れ誰かと親しくなることはなかった。
「じ、じゃ、俺もユキでいいよ。苗字なんて……滅多に呼ばれないし」
「そうですか? なら、ユキさんて呼ばせてもらいますね」
妙に恥ずかしそうに話すユキに、笑顔で返す雲秋。
親しく話せる齢の近い同性ができたことに、ユキは内心嬉しくて仕方ない。
しかしユキは宮司家の人たちにに言わなければならないことがあるのだ。
父を含めた事故の犠牲者達を丁重に弔い、この場所を守ってくれるとに礼を言うと、雲秋はとても喜んだ。
「是非、母にも言ってあげてください」
「うん。そうするよ」
雲秋が参道の入り口を気にしていたので聞いてみると、霞夏が現在この第三地区の沿岸調査のため訪れているサーヴェイア達の報告を受けるため出かけているのだそうだ。
「簡単な日次報告の受け取りだけなので、いつもはあっという間に帰って来るんですが、何かあったのかな」
入江の整備のための調査を請け負うサーヴェイアが、この地区の自治隊員として窓口になっている霞夏に観測の進捗を報告しているということだったが、今日は帰りが遅いので雲秋は心配しているようだった。
三咲組が所在を置く西方第一地区は海に面していないためあまり関わる事はないが、沿岸だけでなく沖合や内陸の湖、規模の大きい河川など水辺と水中の観測を専門とする、専用機材とダイバーを有した観測企業もある。
同じく国や自治体からの依頼によって調査・観測を行うサーヴェイアではあるが、廃墟地帯と森林地帯で観測するするサーヴェイアとは活動の場によって完全に別扱いになっているといえる。
港を築くような大事業の折には合同で作業することもあり、海に面した街ではそれほど珍しいというわけでもなく、ユキも認識はしていた。
不意に車のものらしきエンジン音が聞こえ、参道の石段を登ってくる二つの人影があった。
困ったような表情の霞夏と、ニコニコと隣を歩く女性。
身長は霞夏と同じ程度、少し長めの髪に褐色の肌が似合う健康的な女性だった。




