chapter2.16
穏やかな風に吹かれ、ユキは祭壇のあった小屋の裏口から出て緩やかな坂を下り、事故の犠牲者たちの墓が並ぶ広場に居た。
遺体は運ぶことができなかったというからには、ここに遺骨は眠っていないのだろうが、手入れされた草原に均等な幅で整然と並ぶ、白地に黒の粒子が混じる数十の墓石。
そのうちの一つ、父の名が刻まれた石の前に座り込み、手帳を眺めるユキ。
マメな性格だった父が、語ってくれた話に記号を残しているようだった。
○、×、△……内容と照らし合わせ、それが幼かったユキに受けたかどうかの評価であろうことがわかる。
あまり気に入っていたものでない話に○がついているのが、父としては受けたつもりだったのだろうと思うと何だか微笑ましい。
思えばあまり器用な性格ではなさそうだった父は、一人で自分の帰りを待っていたユキを少しでも楽しませようと苦心していたのだろう。
(ありがとう、父さん)
最後のページには、事故が起こった現場のことも少し書かれていた。
息絶える前に書き残したとか、そんなものではない。
事故は突然で、そして一瞬で犠牲者たちの命を奪ったのだから。
書かれていたのは、事故が起こった山の裾野から東の空に昇る朝日が素晴らしいという走り書きだった。
そしてその下には、『何時かユキにも見せてやりたい』という一文があった。
事故のあった10年前といえば専業のサーヴェイアがまだ少なく、各地で引き合いも多かったと聞く。
父も観測依頼で遠征もしていたはずだ。ユキはそんな父が絶景と評する場所に思いを馳せ、視線を空に向ける。
ふと背後に草を踏む音が聞こえ、振り返ると小さな花束を持った霞夏が遠慮がちに佇んでいた。
ユキが振り返ったのを見て霞夏は少々気まずそうにしている。
「供える花がないと思って……邪魔してしまったな」
「いえ、長居しちゃってすいません」
ユキはまだ瞼に違和感があるのを感じながらも、そう答えて立ち上がる。
差し出された花束を礼を言って受け取ると、父の墓石の前にそっと置く。
霞夏は墓に向かい、手を合わせていた。
「私はすぐ戻るから、ゆっくりしていていい」
「もう充分ですよ」
指輪と鍵が左胸のポケットに入っているのを確認し、閉じた手帳とハンドライトを持ったユキは深く息を吸って墓を後にしようとする。
「ごめん、邪魔するつもりはなかったんだ」
「ちょうど戻ろうと思っていたところです」
済まなそうにする霞夏にできる限り笑顔で対応するユキ。
「こんなに良くしてもらって、ありがとうございます」
小屋から出るときに一度振り返り中を見渡したユキは、多くの祭壇が全て整えられ手厚く弔われているのを改めて感じた。
入ってすぐに蝋燭の光に気を取られ、よく見ていなかった小屋の中央に供えられたたくさんの花は、どれも色鮮やかで瑞々しく美しかった。
倒れ窓から入ったのだろう蝶が光を受け、静かな時が流れる室内で緩やかに舞う姿は幻想的で見とれるほどだったのを思い出す。
「母と弟がやっているんだ。私は大したことはしてない」
そう話す霞夏はユキの顔を見ない。気を遣っているのだろう。
霞夏はゆっくりと家とは別の方向に歩き出す。
少し離れた位置にある、既に花が供えられている石の前で立ち止まり、同じように手を合わせ目を閉じる霞夏。
石には『大竹 空太』と刻まれていた。
(大竹 空太……)
ユキにはその名に覚えがあった。
三咲組での入社時の面談で事故をよく覚えていると語った一鉄は、父が犠牲になった事故で自身も部下を一人失っていると言っていた。
手帳とハンドライトは小脇に挟み、霞夏の隣に立って手を合わせるユキ。
何故霞夏が?と疑問を持ったユキだったが、雲秋から聞いた言葉を思い出した。
先に顔を上げていた霞夏が隣で手を合わせたユキに礼を言う。
「ありがとう」
「いえ……この人は……」
「父だ」
「……俺、鈍くてすいません」
「気にしないでくれ、宮司は母の旧姓だ。変えたくなかったみたいだけど、ここに戻るのには仕方なかったんだと思う」
そう言いながら家へ向かう霞夏の後に続いて歩き始めるユキ。
同じ痛みをもつ二人は言葉もなく、ゆっくりと歩いて行く。




