07
幾日かが過ぎたある日、ユキと野嶽は非番である。
ユキの休日の過ごし方は主に通学だが、また半月ほど夏季休暇が残っている。
ハードな観測が続いていたので、今日はゆっくり休むつもりだったのだが習慣で早起きしてしまい、軽いトレーニングの後、三咲組のガレージで一葉の整備作業を手伝っていた。
整備の手伝いは、まだ使ったことのない機材の扱い方や修理方法を知ることができためになるので、できるだけ手伝うようにしているのだ。
一葉は毒舌を地で行く女性だが、面倒見がよく非常に働き者である。
ユキの目にも、一葉は頭が良く頼りになる女性、という風に映っている。
いつもの作業ツナギ姿の前を大きくはだけた一葉が、傍らでオイルで汚れた顔で自分の手伝いをしてくれるユキに声をかける。
「おかげで捗ったわ。粗方終わったし、せっかく休みなんだから出かけてきたら?」
作業グローブを外して汗を拭いながら声をかけるが、情けない事にユキには特に用事もないのだ。
(……洗濯でもするか)
ユキが考えていると、外ではエンジン音と共に一鉄が見慣れないトラックでガレージの前に乗り付けた。荷台には古びた二輪車が一台、ロープで固定されている
「お疲れ様です」挨拶をするユキ。
ユキは一鉄が出かけている事も知らなかったのだが、一葉曰く「何にでも首を突っ込み、誰とでも絡む」との事だ。
挨拶に「おう」と答え、運転席から降りてくる。
荷台のロープに手をかけ、ユキに声をかけた。
「ユキ、お前これ乗れるよな?」と聞く。
250ccのようだ。ユキは訓練施設で運転の免許もいくつか取得している。四輪車は年齢のために制限もあり、作業のために限定された条件でしか運転はできない。
三咲組と観測現場を行き来するのは問題ないが、公道を使い市街地には行けないのだ。
先日境界線まで迎えに来てくれた結花も同じだろう。
しかし二輪車なら400ccまで乗ることができる免許を持っている。
「はい、大丈夫です」
そう答えたものの、実はユキは四輪も二輪も運転はあまり得意ではないのだが、そこは黙っておく。
「そりゃ良かった。お前普段足がないだろ。これ使え。」
言いながらロープを解きにかかる。一葉も一緒に手伝いながら、
「へぇ、これどうしたのさ親父?」と聞く。
ユキも気になるところだ。
「ああ、所々いかれてるらしいんだがな、馴染みから貰ってきたのさ」と答える。
「直さないと走らんと言ってたが、お前なら直せるだろ。」と一葉に言う。
「んー、壊れ方にもよるけどねぇ」
何枚かの厚い板を荷台にかけ、坂にしてゆっくりと車体を地面に降ろす。
「んで? どこが壊れてんの?」
一葉が聞くが、一鉄は天を仰ぎながら、何かを思い出そうとして、あー…と呟くが、すぐにニカっと笑う。
「色々言ってたが、忘れちまった」
「始まったよ! 人の話聞けよ!」
すかさず一葉からと毒舌の洗礼を受ける。
よく見ると、確かに型の古そうな車体だ。内燃機関周りには痛みのある個所もいくつか見受ける。
しかし手入れが良いらしく、目立つ傷はどこにもないようだ。
車体が長く、車高が全体的に低めのタイプだった。どう見てもオフロード車ではないので、現場に乗っていくのは無理そうだが。
一葉が点検した結果、手持ちに無い部品もあるため修理には時間がかかるという事だった。
午後から一葉の手の空いた時間にこちらの整備も教えてくれるという。
「さて、まずはお昼にしようか」
準備してくるね、とガレージから出ようとするが、ユキが呼び止め、一鉄と一葉に今日のお礼も兼ねて昼の準備は自分がすると告げる。
口は悪いが、いつも世話を焼いてくれる一葉は資格も装備も持っており、実は現役のサーヴェイアでもあるのだが、仕事では現場に出ない。
しかし、その他はほぼ一手に引き受ける有能な女性で、スタイルも良く長い髪の似合う美人だが、料理だけはできないのだ。
無自覚とまではいかないが、自分ではそれほどひどいとも思っていない。気の利く性格なので度々作ってくれるのだが、その都度社員たちの間では物議を醸すのだ。
規模の大きい作業の時など、野嶽はもちろん通いの早瀬や田羽多、能登も宿舎に泊まったりする。その日は不運にも一鉄が風邪で寝込んでしまっていた。
知っていれば一葉を引き留め、他の誰かが作るなり、遠くても買いに走ったりして全力で事無きを得るのだが、急なことで知らずに現場から戻った時は既に一葉が用意してくれていたことがある。
その時は、元来口数の多くない野嶽と早瀬は料理を口に運んだ箸を咥えたまま目を見開き、饒舌な田羽多はやたら水を飲み、よく笑う能登は悲しそうに微笑んでいた。
ユキはそれ以降の記憶がはっきりしない。
ただ、翌日現場は荒れ、一鉄が豪勢な夕食を振舞ってくれたのを覚えている。
普段の食事は現場で摂る昼食も含めて一鉄が用意してくれている。今日の二輪車も恐らくそうだと思うが、一鉄はとても顔が広く、多くの人から感謝もされているため、頻繁にいろいろなものを分けてもらうのだ。
そういったものが食卓に並んでいることが多いが、一鉄自身料理は得意でレパートリーも幅広い。ユキは三咲組に来てから初めて口にした料理も少なくないのだ。
多少影響されたせいもあり、ユキも習っていくつかの料理が作れるようになった。
料理は面白い。ユキにとって料理は仕事に似ていると感じるのだ。
一つの事を身に付けるとき、何のためにその工程が必要なのかと考えると応用が利く。
自分が食事をとるときも、味付けや食材で気に入ったものは覚えておき、自分が作る機会があればいろいろと試してみる。それは教えられた仕事を自分でどう活かしていくかという事に感覚的に似ている。下茹でなどが必要な、時間のかかる物を手掛けながら他の下ごしらえをするなど、自分で作業順を組み立て能率をよくする工夫ができるのも面白い。
何にせよ、思ったような仕上がりになると達成感もあるし、それを誰かが食べておいしいと言ってくれると単純に嬉しいのだ。
エプロンをつけ台所に立つユキ。それほど経験はないが、手つきは悪くない。
ふらりと台所に入ってきた一鉄がニカっと笑い右手の親指を立てて見せ、去ってゆく。
何を意味しているかは分かっている。一鉄が料理を覚えたのは、亡くなった奥さんと一葉があらゆる意味で似ているから、だそうだ。彼にとって必然だったのだ。
あまり時間がかけられないので、パスタ料理にした。
冷蔵庫に残っていた挽肉と、玉ねぎと茸を刻んで炒め、種を抜いたトマトを煮ながらほぐし唐辛子で辛味をつけた簡単なものだが、味付けは上手くいったと思う。
麺の湯で加減は難しいが、これもまずまずだ。
出来を見て一鉄はユキに深く頷いて見せた。ユキは笑いそうになってしまう。
三人で談笑しながら食事の昼食はなかなか楽しかった。
夕暮れ近くなり、早瀬以外はいつも賑やかな三人が帰ってくる。
ユキは一部を一葉が解体してくれた二輪車のパーツを磨いていた手を止め、労いの言葉で三人を迎え入れた。三人も車から装備を降ろしながらそれに応じ、ユキがやっていることに興味を示す。
「おいおい、どこから持ってきたんだ?」と田羽多がからかい半分で聞いてくる。
ユキはいきさつを説明する。とりわけ早瀬は、自身も通うために二輪車を使っているため詳しい様子で手入れのアドバイスもしてくれる。話しぶりからもわかるが、昔から好きなのだそうだ。普段は寡黙であまり楽しそうに話すところを見ることはないが、半年も一緒に過ごしていれば同じ現場に出たことも何度もあり、話が盛り上がればそれなりに乗ってくる人だとは知っていた。実は先日の軍人に話しかけられた場面を見て気になっていたのだが、心配するようなことではなかったように思え、ユキは少しほっとした。
「俺は分解して組み立てるようなことはさすがにできないが、何か解らなかったら聞いてみてくれ」と言ってスーツを洗いに行った。
三人は談笑しながら機材の片づけを終え、それぞれに帰宅して行った。
今 日は時間も早めの為か、入浴はしていかないそうだ。
宿舎の風呂はユキが住み込んでいるため、大概は沸かすのだが、この三人が入るかどうかはその日次第という感じだ。田羽多は既婚者で家族が待っているし、早瀬は既婚者だが、単身赴任状態だという。能登は気楽な独身だが、三人とも早く現場からあがれた日には入浴せず、さっさと帰宅したいという気持ちもわかる。
実は作業の合間にユキが風呂の準備しておいた。明らかに自分しか入らないと分かっている日はシャワーで済ませるようにしているので、入浴せずに帰ると聞いたときにはもったいないし残念にも思ったのだが、今日はオイルでベタベタだし、一人で堪能しようと思ったのだ。
邪魔にならない位置にパーツを片づけ、ガレージの照明を落とした。
今日は殆どの時間をガレージで過ごしたが、それなりに充実した一日だったと感じる。
一度部屋に戻り、着替えを持って浴室に向かうが、宿舎は造りも単純でそれほど 大きくない。廊下の照明はつけていなかったので、脱衣所から光が漏れているのが見えている。
――(おかしい。あからさまに)
一鉄か、まさか一葉なのか、玄関に靴はなかった。悪い予感がする。
それ以外の誰がいるとはとても思えないが、一応、確認した方がいいのだろうか。
なんと脱衣所のドアは少し空いているのだ。当然だが、脱衣所の中に浴室へのドアがある。
ユキは確信する。
――(これは罠だ!)
敢えて、そのドアをわざわざ閉め、ドアの外からノックする。これで散りばめられた数々のフラグを一気に数本はへし折れただろうか。これは勇敢な行為なのだ。
中からの返事はない。少なくても脱衣所には居ないという事なのか。
それとも返事がないのが罠なのか。通常こういったシーンでされるのとは全く逆の意味で生唾を呑み込むユキ。廊下の照明を点けてくればよかった。ユキの周りは闇が立ち込めている。もう一度先ほどよりも強く、ドアをどんどん叩きながら声をかける
「だ、誰か入ってますよね?」
ユキの声は廊下の深い闇に飲まれてゆく。
(これはシャワーでも浴びていなければ確実に聞こえる!)
自分が毎日入っているのだ。間違いなく聞こえている音だと確信がある。
しかしシャワーの音はしていない。そして返事はない。
(……もうだめだ、耐えられない)
山でちょっとした野生動物と睨みあったような緊張感に耐えられなくなるユキ。
全てを投げ出し、ふらふらと自分の部屋に戻ろうとする。
すると今まで気配のなかった闇から延びる太い腕が、ユキの肩を掴む。
心臓がどうにかなるかと思うほど驚いた。体は強張り、叫び声など出ない。
蒼白となって恐る恐る振り返ると、先ほどの闇は心なしか晴れ、そこにはユキを優しく見つめる一鉄が立っている。
「ユキ、信じてたぜ」
その瞳には、ユキに寄せる厚い信頼の光を感じるのだ。
そして深く頷く。ユキもそれに倣い、深く頷いた。
ユキは今ちょっと泣いているかもしれない。
そして脱衣所のドアの向こうからは、舌打ちと共に一葉の声。
「何だよ、せっかくハプニング演出してんのに邪魔すんなよ」
――(いい迷惑だよ!)
「一葉、そんなことをすると社員が一人いなくなるんだぜ?」
――(何て事だ!)
「バレなきゃいいじゃん。減るもんじゃなし」
「当の昔にバレてるだろうが! あと俺の理性と社員が減るんだよ!」
――(恐ろしいやり取りだ……)
声にならない突っ込みを入れているユキの目の前で不意に脱衣所のドアが少しだけ開き、
「ユッキー一緒に入るぅ?」
ドアの隙間からタオル一枚で前屈みの一葉の姿がユキの目に――
ミシミシ……あまり聞いたことがない音と共に万力で搾り上げられるような痛み。
未だユキの肩に置かれたままの一鉄の手に力が入った気がした。いや絶対に入ってる。
きゃっきゃと笑いながら、閉じられたドア。
もう一葉の気配のしないドアに向かい、青ざめた顔で力なくユキが言う。
「いや、マジで勘弁してください……」
予約掲載機能を使ってみました。
無事掲載されているといいなと思いつつ投稿。
一葉に頑張ってもらった回。