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chapter2.14

「立派になって、お父様も喜ぶわね」

「いえ……」

 労わるように肩に触れられ、優しく撫でられる。


 ユキは表面に出ないように気を付けているつもりだが、内心ではどうしていいかわからず狼狽え、徐々に顔が赤くなっていくような感覚がある。


 他人の自分が、甘受してはいけない優しさ。

 何故かそんなふうに思い、胸に痛みを覚える。


「あの……」

 居た堪れなくなって目を逸らし、立ち上がろうとするユキ。

 疲労が蓄積された身体にぎこちなさを感じながら膝に力を入れるが、海春みはるは両手を使い腕を支えてくれる。

 海春にっとては何気ない行動でも、ユキには慣れない気遣いだった。

「だ、大丈夫ですから。……汚れるし」


 立ち上がったユキは旅の汚れの残るスーツを気にしたが、海春は気にも留めていないようだ。

 ユキはスーツの左胸の保護具を捲り、その下にある小さなポケットから二本の鍵を取り出す。検問での攻防の前夜、一鉄いってつ野嶽のだけから渡された物だ。

 それを見た海春は無言で頷き、視線をユキに戻す。

「そうね。お父様に立派な姿を見せてあげて」


 海春は霞夏かなに案内するように言う。

「いいけど、先にお風呂に入れてあげたら?」

「いいのよ。それは後で」

 霞夏にそう言うと、今度は雲秋にバックパックを持って付いてくるように促す。


「志矢君。ゆっくり、してきてね」

 再び柔和な笑顔を残し、敷地の奥へ去っていく海春。



 霞夏の案内で、小さな砂利が敷き詰められた道を歩き敷地の裏へ向かうユキの視線の先には、木材を加工して造られた堅固な外観の小屋が見えている。

 遠目にも整った印象のその小屋は深褐色で飾り気はないが、力強く存在する威厳が感じられた。


 鍵を握り小屋に近づくユキは意識できないほどゆっくりと、それ以外のものを感じなくなる。

 少し前を歩いている霞夏の姿、ブーツの底に感じているはずの砂利を踏む感触と、それらが重みを受け止め擦れる音。

 ただ小屋の姿を見つめながら、無心で歩みを進める。


「……入らないのか?」

 そっと置くようにかけられる霞夏の言葉にハッとする。

 気が付けばユキは足を止め、静かな空気が流れる木造きずくりの小屋の前に立っていた。

 

「私は戻っているから、自分で開けて入ってくれ。小屋の裏にはお墓がある……気が済むまで居ていい」

 気遣うように小さく言葉を残し、霞夏は背を向けてきた道を戻っていく。


 一人残されたユキは視線を小屋に戻し、緩やかな風を感じながら深呼吸してみる。

 小屋の体ではあるが、それは思いのほか大きく、住居とするなら二人が不自由なく暮らせる程度の大きさがあり、立てた丸太を基部に高床に造られた小屋の前には五段の階段がある。


 足を乗せるとブーツの底に柔らかい感触とともに、耳には小さく軋む音が聞こえた。

 足音と小さな軋みを聞きながら無言のまま五段を登り切り、正面に閉ざされた大きな扉を見るユキの目に建物全体に浮かぶ斑紋が映る。

 重厚ながら装飾は見当たらないと思っていた小屋は扉だけでなく、見える限り全体に点描を施して浮かび上がらせたように不定形の斑紋があるようだった。


(……水楢みずならだったかな……?)

 木材は耐久力や加工のし易さ、質感や香り等、種類によって様々な特徴がある。

 詳しいわけではないユキだったが、虎斑とらふと呼ばれる特徴的な斑紋の浮かぶこの木材が、耐久性に優れた貴重なものだということは知っていた。

 近づかなければ分かりにくいであろう小屋全体に散りばめられた斑紋は、文字通り生命力あふれる虎の紋様のようでもあり、静かに舞い落ちる木の葉のようでもあり、風に舞う鳥の羽の姿にも見える。


 山林に囲まれたこの土地ならば木材を集めるだけなら容易いだろうが、貴重な品種だけを選び運び製材、加工しているのだ。

 形だけ整えたような小屋ではない。間違いなく、かなりの時間と労力を費やして造り上げられたものだと言える。

 犠牲者達を惜しみ、残ったもの達が手向けにとできる限りのことを成し、心血を注いだのが見て取れた。


 鍵を受け取った夜の一鉄と野嶽を思い出す。

 犠牲者の遺体を運ぶことができなかったと語る二人の表情は、悲しげであり険しくもあった。

 それが自分達への自責の念であろうことは理解していたつもりだったが、小屋の在りようを目の当たりにした今、改めて残った人々の悼みの深さを実感する。

 

 しばし目を奪われたユキは、扉に取り付けられた金属に鍵穴があるのを見つけた。

 磨きこまれた黄銅にキーシリンダーが埋め込まれているようだ。

 ユキは握りしめていた掌を開き、二本のうち大きい方の鍵を鍵穴に挿す。


 ゆっくりと回された鍵は一瞬僅かな抵抗を感じた後、小さな音と共に手に確かな残響を残して閂を外した。

 取っ手の見当たらない扉を押してみるユキ。

 扉は重い感触と小さな軋みを感じさせながら、ゆっくりと開け放たれる。


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