chapter2.10
(まだ、こっち見てるな……)
ユキは今回の旅で最大の危機を感じさせた、霞夏と名乗る女性サーヴェイアの腕で悄然としつつも、時折自分を鋭く睨む鷹の視線が気になる。
樹上からの攻撃行動を何とか回避したように見えるユキだったが、鷹が本気で獲物を狩るために下降する速度は軽く時速100㎞を超える。
ましてこの鷹は普通の鷹ではないのだ。
(熊鷹か……初めて見た)
頭部がやや黒く頭頂には後頭部にかけて白く、鋭く尖るように後ろに跳ねる特徴的な羽冠。
成鳥でも僅か4㎏にも満たない身体で数倍の体重を持つ哺乳類をも狩り、小動物ならいとも簡単に、文字通りの八つ裂きにするほどの強靭な猛禽類。
森林生態系の頂点の一角と呼ばれる、森の王。
小動物の首を掴めば切断してしまうほどの爪と握力を容赦なく振るうつもりだったなら、今自分は少なくても無傷ではいられなかったであろうことをユキは理解していた。
「街はもう目前だ。身体は傷めていないか?」
言いながら歩みより、座ったままのユキに右手を差し伸べる霞夏。
「はい。大丈夫で――」
答えながら霞夏に向かい右手を伸ばそうとしたユキは、霞夏の肩、肘、膝以外ほとんどの補強部を取り外したスーツを間近で直視してしまう。
左腕の特異な装備に目を奪われていて目に入らなかったが、一葉のような、いかにも色気を感じさせるような魅力とは違う、鍛えられ引き締まった身体は菱川を思い出させるが、身長は自分と同じ程度で細身の身体付きはそれともまた違う健康美を主張している。
そして補強部の凹凸がない分、隠されることのない身体のラインは目のやり場に困らせ、ユキは思わず俯いて伸ばしかけた手を引っ込めてしまう。
(……胸、結花より大きいな)
思わずそんな感想が頭を過るが、いかんいかんと目を瞑って軽く頭を振る。
「い、いや、一人で立てます」
「ん? そうか?」
急に視線を逸らし膝に力を入れて立ち上がろうとするユキに少し首を傾げる霞夏だったが、霞夏の左腕に留まる弥七が見透かしたようにユキに向かい羽をバタつかせる。
「こら! 大人しくしろ」
好戦的な種ながらも、弥七の個性としていつもは比較的大人しい性格なのだが、今日に限って妙に不機嫌なことに戸惑う霞夏。
(今、絶対怒られたな俺)
立ち上がったユキは、意味もなくもう一度センサーを見て街のある方角を確認する。
熊鷹――翼は他の大型種の鷹に比べ短く幅を持つ分、森林という障害物の多い地形に於いて他を寄せ付けぬほどの機動力を誇る。
角鷹とも呼ばれる特徴的な羽冠は、畏怖をもって『森の王』と呼ぶにふさわしい威厳と貫録を持っている。
……はずなのだが、弥七に関してはまだ若いせいもあるのだろうが、とても表情豊かであり、明らかに霞夏に対する特別な感情を感じる。
鷹飼に限らず、動物を使役する者は幼生からの給餌や調教等、何らかの形で使役する動物を掌握しているが、根底には心を通わす信頼がある。
霞夏は若くして圧倒的強者であるはずの『森の王』の確かな信頼以上の何か得るに足りる人物なのだろう。ユキは霞夏と弥七のやり取りを見てそう思う。
「もう! 先に検問に行ってろ弥七」
すっかりへそを曲げ機嫌を直さない弥七に手を焼き、頭を冷やさせるために先に戻るように指示する霞夏。
それに対し不満を隠さず、嘴を開いて抗議しようとする弥七を、腕を曲げて眼前に持ってくる。
「け・ん・も・ん・だ! いいね!」
渋々皮手袋の指先に移る弥七。霞夏はそれを確認して上空に向かい左腕を振り上げる。
霞夏の指先から飛び上がり、中空から幅広の翼を一瞬で広げて力強く羽ばたく弥七。
上空まで一気に飛んで見せ、風を捕えて北へ向かい、滑空していく。
「何度も済まなかった。ああ見えて人見知りなんだ」
「ああ、いえ。初めて見たので、俺も少し驚きました」
(多分人見知りだけが理由で怒ってるんじゃないよな……)
応答しながらユキはそう思っていた。
検問までの残り僅かな道のりを、横並びで弥七の飛び去った北へ向け林を歩くユキと霞夏。
「それにしても、随分早い到着だったんだな」
「そうですか? 必死だったから、よくわかりません」
(謙虚なんだな)
ユキの答えに、そう感じる霞夏。
通ってきた道のりは、地図上の直線距離なら120㎞ほどだろうが、地形の高低差など無視した距離だ。
たった一人で自分の手足だけで進み、未開の森林地帯で野営を繰り返しての移動距離として考えると命がけなのだ。
(……私に同じことができるかな?)
そう考えただけで劣等感を感じてしまう。
ユキを伴った霞夏は慣れ親しんだ林を進み、普段出入りしている町の南口を目指す。




