chapter2.03
テントを張ることなく、ヘルメットを被って岩に凭れたままのユキは浅く眠っていた。
可能な限り迂回を避けた分、距離を稼ぐ事もできたので順調に目的地に近づいていると言えるだろう。
正確に言えば、一日のペース配分次第で何とか今日のうちに到着することも不可能ではなかった。
無理をしないのが鉄則。
だが、理由はそれだけではなかった。
遠くで、ジジジと声がする。
縄張りを巡回する鳥の声だろう。
そう思いながら、ユキは目を開けることもなく低く漂う意識で考える。
もうすぐ、父の墓に辿り着く。
目的地から遠く離れた危険地域を進んでいる間は、あまり現実味を感じることができず、どこかわざとに先送りにしていた考え。
ユキはいつからか、忘れることが上手くなったこのことを考えようとすると、不安を覚えたときのように胸がざわつくのだ。
父とは、母を失ってからの数年間だったが、親子二人で暮らした。
サーヴェイアだった父は普段忙しく、あまり一緒に居られなかったが、仕事から帰ると充分一緒にいてやることのできないユキへの罪滅ぼしと思っていたのだろうか、目を輝かせて語ってくれた。
――今回は大きな滝を見つけた。
――あそこの谷の奥に洞窟があった。
――向こうの地区の学校跡には幽霊が出るなんて噂があるらしい。
無事に帰って来て、一緒に食事ができ、一人で目覚めることがないだけで充分だったのに、大袈裟に身振り手振りを付け、楽しそうに話す冒険譚。
隣に敷いた布団に親子で枕を近づけてうつ伏せで横になり、父の愛用のハンドライトの明かりのもと、たくさんの写真や動物の角などの戦利品を見せてくれた。
時折枕の傍らに置いた皮手帳で話のネタを確認したりしていたのを、今も覚えている。
ユキはわくわくした表情で語る父の顔を見ながら、こんなにも話が尽きない父は自分よりも仕事の方が大事なのではと思うこともあった。
しかし同時に父の語る話はとても面白く、目を瞑って情景を想像しながら聞き入るうちに、いつも先に眠ってしまっていた。
大勢が亡くなった事故。
各行政区から多くの軍、自治隊、サーヴェイアが参加し、新国道開通のため共同で行った大事業。
そこで起こった大きな山崩れで、数十人規模の犠牲を出す大事故があったのだ。
知らせは一人待つユキの元に、すぐには届かなかった。
突然帰って来なくなった父を探し求め、どうしていいかわからずに一人街を彷徨い歩いたこともあった。
結局は集合住宅の隣人が心配し保護してくれたのだが、知らせを持ってきた自治隊の大人たちの言葉をユキは理解しようとせず、聞きあきるほど説明をされていたにもかかわらず、毎日施設を抜け出しては二人で暮らした住まいに戻り、日が暮れるまで父を待つ日々を過ごした。
やがてろくに食事も摂らなかったユキは倒れ、施設のベッドの上でこんなにも衰弱しても迎えに来てはくれない父を想い、回復するまでの何日かをただ泣いて過ごし、泣き疲れては死んだように眠り、目を覚ましては嗚咽を漏らした。
施設の大人たちは、やっと初等部にあがったほどの幼いユキの哀哭に同情もしてくれた。
相変わらず食事をまともに取らないことを心配してくれる者もあった。
泣いている時間を縫って眠るだけの数日。
こんなにも自分が泣いているのに時間は流れ、こんなにも心細くとも日は沈むことを不思議にすら感じた。
枯れることがなかった涙越しに何度目かわからない朝日を滲ませながら、ゆっくりと、本当はもう理解できている現実を受け入れるしかなかった。
一人で、生きて、いかなければならない。
言葉でそう思ったかどうか覚えてはいないが、そんなふうに認識したはずだ。
ユキは凭れた岩から身体を離し、溶け崩れるように、苔生した地面に横たわる。
目頭が少しだけ熱を持った。
呼吸は乱れない。
――本当に必要なのは、考えることではない。
もう十年も前のことだ。
あれからいろいろなことがあったが、三咲組の面々や結花たちとの関わりや経験が、ユキを少しづつ変えていた。
「もうすぐ、着くのか……」
声に出して言ってみる。
少しは現実味が出るかと思ったのだが、何も変わらなかった。
それよりも、丸二日ぶりに発した言葉は上手く発音できず、引っかかったように上ずって出た自分の声に、一人で微かに笑った。
――必要なのは、心の準備と、受け入れられる自分になるための時間。
薄く眼を開けば、すっかり小さくなった焚火の炎が目に痛いほど眩しい。
一度目を閉じ森に目を向けると、変わらず無彩色で粧飾された美しく怪しい静寂。
そして数時間後には再び朝日に彩られ、力強い生命の氾濫と蝉噪が訪れるだろう。
小さくなっていた火に薪をいくつか放り込んで、先ほどまでよりも楽な気持ちで再び横たわる。
明日のためにもう少し眠ろうと、ユキは再び意識を闇に深く染み込んでいく鈴の音と梟の声に委ねた。




