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数日の後、三咲組事務所。
デスクワークに追われる一葉と、自治隊支援のため奔走する一鉄。
負傷した野嶽、早瀬、能登は入院。田羽多は無事回復し自宅療養となっている。
軍は残る戦力で危険地帯に残る残党を捉えるため、連日巡回の車両が絶えない。
危険地帯には多少の残党が未だ潜伏はしているようだが首謀者を失い、投降する者が殆どで抵抗するような気力は残っていない。完全に排除されるのも、時間の問題だろう。
雨谷らの拠点を奇襲した一鉄らは、そこに保管されている金品の他、隠し持っていた麻薬も証拠として持ち帰っていた。奇襲班が忍び込んだときには、拠点には正気を失ったような者が数名残されたのみで、簡単に制圧することができたのだった。
あれほどの凶暴さを見せた雨谷の一団は、雨谷が東方から持ち込んだ麻薬を僅かづつ、そうとは知らずに与えられていたとの事だった。ただし、幹部扱いだった山口をはじめとする軍関係者は当然気づいており、その卑劣さ悪辣さは彼らの処分をより重くし、身を亡ぼす結果となるなるのは必至である。
危険地帯は許可無き者の侵入だけでも犯罪となる。今回のように武装し徒党を組み、抵抗するは勿論、軍籍の者が結託し扇動に加担するなど、極刑もあり得る罪なのだ。
自らの部下から離反者を出した藤田だったが、自治隊、民間との協力のもと暴徒の攻撃を鎮圧した事と、行政区からの嘆願、何よりも藤田の人格と実績による信頼で変わらず西方行政区の部隊を指揮する事となった。藤田自身が自戒のために何らかの処分を自ら受けたようだが、それに対しての詳細は一鉄にも聞かされることはなかった。
警備する軍の体制が整うまで、暫くは危険地帯に出入りはできず、三咲組としても観測業務はできない。今は野嶽らの回復と危険地帯の正常化が待たれる。
三咲組入り口に資材を積んだトラックが乗り付けられる。
「一葉ちゃん! お疲れ!」
トラックから降り、事務所の入り口にひょいと顔を出し、会心の笑顔で一葉に挨拶する稲葉。
壊れたままになっている三咲組事務所のドアや床の修理を一鉄に依頼されているのだった。
「おー、用務員。よろしく頼むわね」
「用務員じゃないっての! 俺は、講師であり私立探偵であり、サーヴェイア。そんでもって一葉ちゃんの未来の旦那――」
「お前も懲りねぇ野郎だな、全く」
ガレージからぬっと現れた一鉄に派手に驚く稲葉。
「い、いらっしゃったんですか、お父さん!」
「コタロー、きもちわるいですよ」
涼しげな淡い青のワンピースを身に付け、三つ編みを結い上げたニナが、人数分のグラスと冷たいお茶を盆に乗せて、慎重に歩きながら現れる。
「おおそうだ! 言ってやれニナ!」
「ちょっと鉄さん! ニナに言われると必要以上にへこむんだから勘弁してくれよ」
「冗談ですよ」
言いながら稲葉にグラスを勧めるニナ。
三咲組での生活にも慣れてきたニナは、稲葉が思うよりも稲葉に懐いているようだ。
検問での攻防の翌日、予定通り現地に到着した藍沢は一鉄に連絡をしてきたが、旅立ってからの数日間に起こった事を知り、とても驚いた。
ニナを保護し、共に生活した藍沢はニナの極度の人見知りとその理由を知っているためニナの身を案じ、すぐにでも帰国したがったが、この時代に国を代表し渡航している責任は重く、希望通りにはいくはずもなかった。施設ではなく一鉄が自ら保護することを申し出、ニナ本人の口から結花や一葉と楽しくやっていると聞いて安堵した藍沢は一鉄に感謝し、暫くニナを預かる事が正式に決まったのだった。
そしてニナの秘密と藍沢の研究は、一鉄と一葉の予想を超えていた。
植物がストレスや外敵からの攻撃を受ける際、化学物質を生成、分泌し、身を守ったり周囲の植物に危険を知らせたりすることが知られている。ニナはそれを機材や測定器を何一つ使わずに感知するバイオセンサーの能力を生まれながらに持ち、相応の肉体的負担はあるが、集中力を高めることでその信号を増幅、更には植物やそれに呼応する動物に干渉することができる特殊な能力を持っていたのだった。
ニナの国は森林面積が世界的にも最大であり、幼い頃から森で暮らしていたためか、ごく自然にその奇跡的な能力を開花させていたのだ。不幸な事故により両親を失った後、その不思議な能力で奇異の目に晒され、孤独な時を過ごしたニナだったが、幸運にも研究で訪れた藍沢に出会い、保護された。
しかし、多くの者にニナの持つ可能性を知られれば、決して平穏な暮らしはできないと危惧した藍沢は、孤児となっていたニナを個人で引き取り、自らの娘として養子に迎えようとしたのだが、国交すらまともにない時代に国籍を移すのは容易ではなかった。結果、研究対象として保護しているという体裁を取っているため、今回のように現地に赴き、小出しに研究成果を発表し、現地の研究機関に藍沢と共に暮らすための手続きを繰り返す事となったのだ。現地にニナを連れて行かないのは、連れて戻ってくることができない可能性を懸念しているためでもある。
研究に没頭するあまり人付き合いを苦手とする藍沢はニナに出会い、守る対象ができたことでその人生に希望と潤いを持つことができたと語る。そんな藍沢の気持ちを汲んだ一鉄はニナの秘密を漏らすことなく、責任をもって保護すると約束したのだった。
ニナもまた、幼くして天涯孤独となり心を閉ざしながらも、純粋に自分を守ろうとする藍沢に出会い、掛け替えのない存在として慕っている。
男手一つで育てることになった一葉がニナを妹のように可愛がっている事も、一鉄にとってはこの上なく嬉しく、心温まるのだった。
「ん? ところでユキはどうしたんだ? まだ夏季休暇だろ?」
ユキの顔を見ない事に気が付いた稲葉が首を傾げ、一鉄が静かに答える。
「……墓参りさ」
昨日の夜、体力も回復し、暫く観測ができないと知ったユキは、一鉄に父の墓の場所を改めて聞きに来たのだった。
「そうか……うん、そうか!」
ごく最近事の詳細を知った稲葉だが、考え過ぎ、真面目過ぎるとも思える、年齢の割に可愛げのない奴だと感じていたユキの精神的特徴の理由に納得し、自らの意志でそこを訪れると決めたユキの気持ちを察し、心から嬉しそうに笑った。
「何だか、嬉しいね」
静かに口を開く一葉。
そんな皆の表情を見渡し、顔をほころばせるニナの表情は天使のようだった。
「野嶽さん、本当に無理しないで下さいよ?」
「心配するな。何の問題もない」
一鉄からの知らせを聞いたという野嶽は、北の果てに旅立つユキを、森林地帯の観測時の停車位置まで送ると言って病院を抜け出してきたのだ。
「大怪我なんですから、大事にしてくれないと」
「こんなもの、かすり傷だ」
「そんなわけないでしょう……」
気持ちは嬉しいが、ユキは事務所の前に車を止めて待っていた野嶽を見たときは驚いた。
「待ってますから、ちゃんと治して帰ってきてくださいよ」
「当然だ。そんな事より、準備は大丈夫なのか?」
「はい。片道三、四日かかるつもりで準備していますから。現地の宮司さんにも連絡してくれたそうですし」
ユキが目指す北の果ての墓には、管理と維持を申し出てくれた、実質墓守とも言える北方自治区の自治隊員がいるそうだ。一鉄からユキが赴くことを前もって知らせておいてくれたと聞いている。
野嶽の運転する車は森林地帯の入り口に到着する。
車から降り、装備を荷台から降ろすユキ。見送るために運転席からぎこちない動きで降りて来る野嶽。
天候は晴れ。西からの微風。
ヘルメットを脇に抱え、バックパックを足元に置き、野嶽の正面に立つユキ。
言葉はなく、向かい合うユキと野嶽。
厳しく、優しい眼差しで立派になったユキを見つめる野嶽と、その視線を真っ直ぐに見返すユキ。
別れではない。すぐに戻るのだから。
何だか自然に改まった立ち位置になってしまい、気恥ずかしくなるユキは入学式や成人式に親が来たら、こんな気持ちになるんじゃないかと、胸の奥がくすぐったい。
「行ってきます!」
「ああ。行って来い」
深く頭を下げるユキと、深いしわに笑みを乗せる野嶽。
ユキはヘルメットを被り、バイザーを降ろす。
バックパックを背負い、振り返らず目的地への一歩を踏み出す。
力強く歩き出すユキの背中を、誇らしく想い、見送る野嶽。
眩しそうに目を細め、進んで行く姿を見守る。
(生きることは戦いだ。戦いには、力が必要だ)
(だが、壊すこと、殺すことだけが力ではない)
(誰もが自然や時間には抗えない)
(そして誰もが、孤独と絶望に苛まれていたとしても、何かを守り、何かに守られている)
(それに気づき、手を差し伸べる事も、お前を助ける力になるだろう)
天候は晴れ。西からの微風。
太陽は頂点に向かい、ゆっくりと着実に、今日も当たり前のように登ってゆく。
風は木々の葉の香りと雲を運び、やがて季節を塗り替えていく。
全てはあるがまま、時は流れ時代は動いて行く。




