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「ありがとう!」
既に野犬は移動し、離れたところでこちらを見守っていたが、目を見て礼を述べる。
それを聞いた野犬は返事などしないが、役目を終え、崖を迂回していく。
この崖を登れば、もう検問は眼下に見えるはずだ。銃撃戦の音が鼓膜を刺激する。
樹木に向かい、残り僅かな崖を掴み登りながら一葉に無線を送る。
「一葉さん!」
「はいはい。持ってきてるよ!」
崖を登り切り、検問側から下を覗くと一葉の姿が見える。
「上です!」
肉声で一葉に声をかけながらザイルを降ろすユキ。
一葉はユキの移動の速さに驚きながらも、ザイルにアンカーキャノンのケースを結びつける。
「ありがとうございます!」
引き上げながら、次は早瀬に無線を送る。
「お前、どうやってそんな速度で移動したんだ?」
レシーバーを確認しながら移動していた早瀬は疑問を口にするが、それには答えず続けるユキ。
「早瀬さん! 俺のポイントまで、できる限り急いで来てください!」
早瀬はユキの発信を確認しながら移動したおかげで、崖や川を迂回しながらも目的地には近いところにいた。
「人使いが荒いじゃないか」
負傷しながらもそれを聞いてペースを上げる早瀬。
「少し待て、それほどはかからない」
ユキはそれを聞きながらアンカーキャノンのケースを外し、樹木の幹にザイルを結びつけ、射出準備を進める。
実際にこの機材を使うのは二度目だが、野嶽のおかげでしっかりと身についている。
手順を確認し、ワイヤーが縺れない位置に巻き取り機を置き、低い姿勢で狙いを定める。
照準の先には、未だ銃撃による攻防が続く検問入り口にそびえる鉄塔。
安全装置を外し、その鉄塔を支える一本の柱に向け引き金を引いた。
銃撃の音で火薬の炸裂音もワイヤーが風を切る音もかき消されるが、アンカーは正確に対象をとらえている。
打ち出されたアンカーから延びるワイヤーは、ユキのいる崖の頂上から鉄塔の基部の鉄柱に、やや急な角度で斜め下方向に伸びている。
巻き取り機に本体を固定しながら一葉に声をかける。
「一葉さん、菱川さんに鉄塔から兵士を非難させるように伝えてください!」
「あんた、無茶するねぇ!」
ユキの意図を理解したらしく、驚きつつも応じてくれる。
「ユキ! 着いたぞ!」
早瀬の肉声。早瀬は崖下に到着していた。
「早瀬さん! 上ってきてください」
「怪我人だぞ? 容赦ないな」
言いながらもユキの考えが読めたらしく、早瀬は乗り気の返事で返す。
樹木から垂れたザイルを掴み登ってきた早瀬に頼み、インパクトハンマーを借りる。
「どうする気だ?」
ユキは標準の固定具の他、ザイルを使って左足にきつくインパクトハンマーを固定し、安全装置を外す。鉄筋コンクリートを突き崩すため、三度連続で鉄杭を打ち出すときに行う手順だ。
検問の前方から一際大きなエンジン音と共に装甲車が迫っていた。
「時間がありません! 合図したら巻き取りお願いします!」
「ユキ!」
咎めようとしたのか呼び止める早瀬を振り切り、短く切り出したザイルをワイヤーに引っ掛けるように両手で掴み、鉄塔に向け勢いよく崖を蹴って飛び出すユキ。
ザイルとワイヤーは思う以上に摩擦が少なかったらしく、予想を超える速度で鉄塔めがけワイヤーを滑り落ちていく。
ほぼ落下と変わらないような加速に恐々としながらも、鉄塔にインパクトハンマーを括り付けた左足から着地するように蹴りつける。
身体が跳ね上がりそうな衝撃と共に三度連続で撃鉄が降り、周囲には出来の悪い鐘を乱暴に殴りつけたような音が響く。
老朽化が進み、迫撃砲の衝撃で損傷していた鉄塔は、一度ガクンと大きな震動と共に傾く。
ユキはザイルを放り投げ、鉄塔から離れるように飛び退く。
「早瀬さん!」
「ユキ! 早く逃げろ!」
早瀬の叫びと共にワイヤーの巻き取りが始まり、劈くような断末魔の金切音を響かせながら鉄塔が倒れ始める。
雨谷の乗っているであろう装甲車が勢いを増して突っ込んでくるが、それよりも早く、進路を塞ぐように鉄塔が轟音と共に横たわり、衝撃と土埃が舞い上がる。
装甲車はギリギリで反応したらしく、下敷きにはならなかったものの、避け切れずに側面から鉄塔に衝突し停止した。
「ユキ! ユキ!」
一葉からの無線が聞こえる。ユキは菱川に支えられ、鉄塔からは離れた場所に避難していた。
「ユキ君! 何て危ない真似を!」
菱川は何か言おうとしたユキに構わず、両手で思い切り深く抱きしめる。
「でも、お手柄です!」
ヘルメット越しとは言え、目の前にあたる菱川の胸に密着してうろたえながらも、心配する一葉に答えるユキ。
「だっ大丈夫です!」
兵士達からは歓声が漏れ、滑り降りるようにはしご車を降りて来る早瀬が近づいてくる。
ユキはロープワークで固くしばりつけたザイルを解き、インパクトハンマーを左足から外し早瀬に手渡した。
「お前がこんな無茶する奴とは知らなかったよ」
インパクトハンマーを受け取りながら早瀬がユキの背中を叩く。
その声は、雨谷達と崖上で撃ち合っていた時の物ではなく、ユキの身を案じる先輩の声だった。
「こっちも終わったぞ!」
一鉄から、雨谷達の拠点を制圧した知らせが入る。
無線機からは一鉄の声。再び歓声が上がり、誰もが一瞬気を緩めたその瞬間、一葉の叫び声が聞こえた。
「まだだ! 気を付けて!」
装甲車からは三人の人影、一人は軍のスーツを装備している。
兵士達が応戦を始めようと身構えたとき、ユキ達の背後にあたる検問の入り口で短機関銃を乱射する銃撃音が聞こえた。
「雨谷です!」
菱川の叫びが検問に響き渡った。




