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無線から聞こえる野嶽の声に弾かれるようにレシーバーを見るユキ。
(ここから近い!)
「早瀬さん! 応答してください!」
ユキはヘルメットでの通信を試みる。無線機での通信ができるなら、野嶽と通信しているはずだ。無線が使えない状況か、負傷している可能性がある。距離が限界に近いのか、雑音に塗れて断続的に聞こえる早瀬の声。
「……キ、雨谷……」
ユキはよく聞き取れないまま早瀬に呼び続けながら、動きにくいボディーアーマーを乱暴に脱ぎ捨てるように解除する。三咲組の車から一鉄達が持ち出した物と同じ、暗視ゴーグルと登山用具が入ったワンショルダーの小型バックパックを持ち出しはしご車を登る。
用心の為か、一通りの機材は積んでいるようだ。
登ってきたユキに驚きつつも応戦を続ける一葉。一葉の弾薬も底を尽きかけていた。
「早瀬さん! 応答してください!」
崖を登ったせいか、雑音交じりながら、通信はできるようだ。
「ユキ! 聞こえるか! そっちはどうなってる? 装甲車は何台見た?」
「攻撃続いてます。装甲車は二台です。もう大破しています」
「そうか! なら間違いないな。雨谷の装甲車を発見した! 足止めしているが、このままでは持ちそうにない」
早瀬の呼吸は荒い。やはり負傷しているかもしれないと感じながら話すユキ。
「早瀬さん、今どこですか!」
「健さん!」
一葉も溜まらず割り込んでくる。
早瀬はユキと一葉の言葉には全く答えず、自分の用件だけを伝えようとする。
「雨谷達にも、もう戦力は殆ど無いはずだ。後続の自爆車両はあるだろうが、俺が追跡した限りでは見ていない。残りは奴らの拠点にいると思うが、社長が何とかしてくれるはずだ」
「早瀬さん! 逃げてください!」
早瀬はユキに何も言わせない勢いで続ける。
「この装甲車を破壊すれば、この戦いは終わる! 俺ができる限り引き留めるから、今のうちにそっちを何とかしろ!」
「早瀬さん!」
「俺の事はいい! 今俺の遭難信号が出ている場所が、雨谷の装甲車がある場所の崖の上だ! 時間は稼ぐが、後は頼むぞ!」
(もうやめてくれよ!)
ユキは無線機に向かい、一鉄に通信を送るが、応答はない。
タイミングとしても、既に交戦中と思った方がいいだろう。
ユキは無線機を腰のホルダーに固定しなおし、一葉に告げる。
「一葉さん。聞こえてましたよね?」
「うん。……全くどいつもこいつも」
口から出る言葉は苛立っているが、言い方は酷く悲しそうだった。
「俺、早瀬さんを迎えに行きます」
「ユキ、あんたが行ったって――」
「早瀬さんは俺を助けに来てくれましたよ!」
「あんたまで危ない事しないでよ」
押し殺した声で一葉が言う。
「俺だって誰も死んでほしくないんですよ! 俺は行きます!」
ユキは感情に任せ、強い口調で一葉に言う。
いつもは礼儀正しいユキの勢いに驚くが、一葉も早瀬が心配なのだ。言葉に詰まる一葉。
「装甲車の一台や二台、どうとでもしてやるから! 健さん連れてすぐ逃げるんだよ!」
「はい! 行ってきます!」
レシーバーの発信源に向け、走り出すユキ。
一葉はそう言ったが、弾薬がもう殆ど無い。自爆車両を相手にしながら、装甲車に突っ込まれれば、今度こそ検問は崩壊しかねない。
ユキは考えがまとまらないまま、とにかく早瀬の救出のために崖を通り抜け、森林地帯に入る。
廃墟地帯ももちろんだが、夜の森は危険が増すため、観測作業は通常昼間にしか行われない。
野嶽の指導により森林地帯の観測ではそれなりの経験を持つユキも、夜の森を移動した経験はニナ救出時を含めても数えるほどしかない。単独でとなれば、初めての経験だ。
夜の森は人間の踏み入る事の許されない、野生動物に還された、まさに秘境と呼ぶにふさわしい。
月明かりはあっても、樹木が作る影が足元さえもまともに確認することのできない状況にユキは戸惑っていた。
敵に所在を掴まれる恐れもあり、不用意にライトを点けることもできないため、歩みを進めながらバイザーを開け、暗視ゴーグルを装備する。
慣れないせいもあり、スコープ越しの視界も良好とはいえないが、レシーバーと方位を頼りに早瀬の居場所へと急ぐ。
木々を抜け、藪をかき分け進むユキの耳には、銃撃と叫び声らしき声が微かに聞こえて来る。早瀬に無線を送るが、応答はない。交戦中なのは間違いだろう。
ユキは暴徒たちに感じた怒りが再び湧き上がるのを感じる。
他人の命を自分の都合で奪う事を躊躇なく実行する人間に憎しみを覚える。
いつしか思考を優先するようになり、ユキは必要以上の感情の起伏は意識して持たせないようにしていたせいなのか、頭に登る血液と怒りで濁る思考に頭痛を感じる。
ユキは廃墟地帯で垣間見た、憎しみに満ちた早瀬の目を思い出す。
(早瀬さんも、こんな気持ちで戦っているのかな)
自分の呼吸に必要以上の熱を感じ、視界もいつもよりも狭く、注意力も集中力も落ちているのが自分でも分かる。
頭を大きく振ってみるが、気分は変わらない。
レシーバーの反応も、耳に聞こえてくる音も次第に近づいている。
呼吸と感情を制御できなくなり、一本の大木に手をついて立ち止まる。
(こんなの、嫌だ)
「ユキ、そんな顔していると結花さんが悲しみますよ」
突然腰の無線機から聞こえたニナの声に驚くユキ。
何事かと思いながら腰の無線機を掴み、何気なく視線を上に向けると、大きな目を憐みに染めた梟が一羽、頭上の枝からこちらを見下ろしているのが目に入る。
無線機を手に持ったまま、茫然とその目を見返すユキ。
ヘルメットと暗視ゴーグルで表情など見えるはずもない。いや、そもそも三咲組にいるニナがそれを指摘できるはずはない。
「ニナ……君は一体――」
ニナ救出時、森林地帯での体験とそこにいた動物たちを思い出す。
ニナには何かがあるのだ。そう思いながらも、ユキは自分が考えたところで分かるはずもないと感じる。しかし、おかげで少しは冷静になれた気がする。
早瀬の遭難信号を確認し、ヘルメットから早瀬に応答を求めながら崖へと近づいて行く。
銃弾が岩や樹木を弾く音が耳に入る。
(近い!)
姿勢を低く保ち早瀬の姿を探す。
崖の下から聞こえるのだろう、早瀬を挑発するような叫び声が銃声に紛れて聞こえてくる。
口汚く罵っているであろうその言葉は、まともに呂律がまわっていないように感じる。
酒にでも酔っているのだろうかと思うが、同時にそんな奴らに仲間が命を脅かされているかと思うと、再び憎しみが胸を染め、気分が悪くなる。




