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 ユキは深い昏倒から目を覚ましつつあった。

 仄暗い水底から、ゆっくりと水面へと浮上するように意識を取り戻していく。

 身体はまだ動くことはないが、意識だけが少しづつ目覚めに向かっている。


(夢?)


 ユキは目も開いていないが、徐々に覚醒していく感覚だけで周囲を感じる。

 淡く緑色に光る草原に右向きに横たわり、上からは木漏れ日よりもほんのりとした光に照らされている。

 穏やかな風のように優しく、身体に触れられている感触がある。

 そして、顔も覚えていない母の暖かい掌で、いたわるように撫でられているような気持で静かに身を任せる。


 言葉ではない何かに、目覚めを促されるユキ。

(……このままでも、いいのに)


 もうこのまま、と思うユキは自分の言葉を思い出す。

 それはユキの意識の中を木霊のように響く。


「結花、俺が連れて帰るから、諦めるな!」


(そうだ……! 結花を助けないと!)

 身体を撫でてくれていた掌が、降り注ぐ優しい光が、ユキのその言葉に頷いてくれたような気がする。


 意識が戻る瞬間、記憶の片隅に微かに残っていた母の声を聞いた気がする。

何と言っていたのかはわからない。

 しかし、(がんばって)(気をつけて)(いってらっしゃい)とかそんな言葉で送り出された気がしていた。



 乾いて張り付いたように閉じられていた瞼を開けるユキ。

頬は濡れている。

 慌てて涙を拭おうとして体の痛みに呻き声を上げるが、目の前には見知らぬ少女が横たわるユキに覆いかぶさるような体制で見下ろしている。


 痛みも忘れて呆然と少女を見上げるユキ。


 淡い色の金髪。深い青の瞳。透けるように白い肌。

 不思議そうな表情を浮かべているが、無表情に近い顔にも見え、幼いながら整った顔立ちは人形かと思わせる。


「え……?」

 ユキは訳が分からない。少女はユキに覆いかぶさる体制からゆっくりと体を起こし、ぺたりと座った体制になる。その傍らには雄々しい角を持つ逞しい鹿が控えている。

(うわ!)

 横たわった体勢から見上げている事を差し引いても、通常よりもかなり大きな鹿だと感じる。

 牡鹿は悠然とした佇まいでユキを見下ろす。

 今襲われれば、ひとたまりもないであろう巨躯をもつ牡鹿はユキをじっと見る。

 その瞳は限りなく理性的で敵意を感じさせない。

(すごい。こんな鹿がいるんだ……)

 鹿は少女に頬を近づけ、労うように頬ずりする。



 少女は牡鹿に笑顔で答えるが、どこか気だるそうに目を閉じ、口を開く。

「結花さん、ユキが目を覚ましました」

 少女らしい、高くかわいらしく響く声は良く通る。


 ……返事は無い。

 呆けていたユキは体を起こし、辺りを見回す。

 ユキが横たわっていた傍らにはユキのヘルメットが置いてある。


 ユキは意識が戻ってから、目の前の少女にばかりに気を取られていたせいで気が付かなかったが、今二人と牡鹿がいるのはは緩やかに盛り上がった小さな草原だった。

 十数メートルにわたって円を形作っているらしき草原の周りには崖が近いのか、角張った岩が積まれた様な一角があり、音もなく水が湧き出している。その他は闇に包まれた様な静かな森と、草原を囲むように背の高い草と、淡い緑から黄色に色を変化させながらうっすらと光る不思議な花に囲まれている。

 手入れの行き届いた庭のように、樹木に必要な下草以外は殆どない。

 空は暗く、星も無数に瞬いている。もう夜と言っていい空の色だが、何故かこの草原だけは明るく感じる。

 ユキが横たわっていたのはその中心、一本の樹木の根元だった。

 その樹木を見た瞬間はっきりと確信するユキ。


「御神木……!」


 その樹木は榊神社のものよりも大きく太い幹、中央から大きく左右に割けるように二本に枝分かれし、天を指さすように更に枝分かれし、真上に伸びていた。

 榊神社の御神木も特徴的に思えたが、目の前の樹木は目視できる姿形のみならばはるかにそれを凌ぐものだった。

 どちらのご神木もその枝ぶりは特異で、禍々しく感じてもおかしくはないのだが、微塵もそれを感じさせない清廉さと威厳を持ち、本質的には変わらなく感じた。


 これほどの牡鹿が目の前にいることも、夜にもかかわらず少女の髪や瞳の色まで把握できるほど明るく感じるのも、ご神木がそこに存在するだけで何故か納得できてしまう。


 息を呑み、見とれるユキだったが、結花を呼び続ける少女の声で我に返る。

(今、結花って言ったよな? どこにいるんだ? あ、言葉通じるのか)

 少女がユキにわかる言葉で話していたのに気付いて恐る恐る聞いてみる。

「あの――」

「結花さん、ユキが目を覚ましました」

 少女はユキとは目を合わさず困ったような顔をしている。

「いや、あの、結花はどこに?」

 更に困った顔で声を大きくして姿の見えない結花に訴える。

「結花さん、ユキが目を――」

(困ってるのは俺も同じだよ……)


「ユキ!」

 少し離れた森の樹木の間から、結花が少し足を引きずるように駈けて来る。

 その足元には、少女の髪よりも明るい色彩の黄金の毛並みを持つ美しい狐を伴っている。


 持っていた上着やフリースを放り投げ、倒れ込む勢いでユキの首に抱き付く結花。

 結花の反応に驚き、かなり心配をかけていたことに気づくユキだが、嬉しい反面肩に激しい痛みを感じる。

「ユキ! 良かったよ!」 

 目に涙を浮かべて喜んでくれている結花を見て、痛みに耐えるユキ。

 結花は上着はおろかシャツ一枚しか着ておらず、そのシャツも胸の下からは引き裂かれたように無くなっており、お世辞にも豊かとはいえない胸も少し当たっている気がする。

 いつも頭の後に髪留めで束ねていた髪は下ろされ、まだ濡れている。

 顔を赤くしてされるままにしていたユキだったが、結花が肩に触れていることに気づき自ら体を離す。


「あー、ごめんごめん」

「いや……」


 結花よりもユキの方が意識しているのかまだ顔が赤いまま、目のやり場に困っている。

 その二人のやり取りを見守る牡鹿と狐。


このパートは長くなりすぎたので、分割して投稿することにしました。

次話という形になりますが、続きは本日中に投稿の予定です。

よろしければ、続きもご閲覧ください。

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