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――榊神社通信室
一鉄からの無線連絡を受けた一葉は、受話器と無線を持ち慌ただしく方々と連絡を取っている。
既に件の内容は駐屯軍司令 藤田に伝わっている。
三咲組経由で稲葉と早瀬の状況も確認できた。手元にある情報をまとめて一葉と野嶽で今後の行動を予想し、稲葉と早瀬に指示を出す一葉。
不安を払いのけるように頭を使い、余計なことは考えないようにしているつもりのようだが、いつもの一葉には見られないような気弱で浮かない表情だった。
最初に消息を絶ってから、ユキと結花は地下を抜け北東の廃墟地帯で一度早瀬に保護されたものの、ビル倒壊で再び消息を絶ち、遭難信号だけが頼みの綱だったが、今はその遭難信号すら忽然と消失しているのだ。
最後に確認できたポイントに向かう途中、信号を追っていた早瀬がユキのバックパックを発見している。
そこからの消息は不明だが、廃墟地帯に戻るとは考えにくい。数百メートル先に森林地帯が広がっていることからもそこに向かったのはほぼ間違いないだろう。
そこは既に稲葉が張り込んでいる森林地帯なのだ。
早瀬はユキの捜索を続行し、稲葉と合流する予定になっている。
稲葉は夜は軍と交代してニナが消えた森を監視していたが、今は軍の内情も不透明になってしまった。交代に来るような人員を割くことに期待はできず、来たとしてもどこまで信用できるかわからない。
「おっちゃん、藤田さんが絡んでるって事はないよね……?」
「ありえないな。鉄もそこは信じているはずだ」
もちろん一葉も藤田との付き合いは長く人柄は良く知っているつもりだ。藤田が不正を働くような人物とは思えない。そして銃検査に付き添う秘書官 菱川 瑠依は付き合いは長くないが、堅物ながらも一葉と意気投合した親友である。
「ごめん、おっちゃん。信じなきゃね」
「気にするな」
ふう、と息を吐き気を取り直す一葉。
「コタローにも無理させちゃって、何かお礼しないとね」
気分を変え、何か思いついたように手を叩く。
「そうだ! 皆が帰ってきたら、私が手料理でもてなそうか! おなか空かせてるだろうし、喜ぶよね!」
「……気にするな……!」
言葉に詰まりながらも平静を装い答える野嶽。
窓の外はすっかり暗くなっている。
――森林地帯外周
稲葉と無線で通話可能な範囲に入った早瀬はユキのバックパックを背負い、森林地帯を移動しながら稲葉との位置を確認し、合流するために歩いている。
(これは確かに異常としか言いようがないな)
鹿、猪、更には熊。この森林地帯深部に入って行けそうな地形には、まるで門番のようにそれらの動物たちの姿があった。
森林地帯の観測は殆ど経験のない早瀬だが、軍に属していた時も森林地帯での行動があったため、この遭遇率の高さと位置取りの正確さには異様なものを感じる。
素人はもちろん、森林地帯に詳しいものなら余計に、絶対に深部へは近づかないだろう。
早瀬は結局外周を移動せざるを得なかった。
注意深く進んで行くと、明るくなっている一帯が目に入り、位置情報からも稲葉が拠点にしている地点だろうと分かる。
「稲葉、ライトの光が見えた」
「そうか。さっき一葉ちゃんから例の件で連絡があった。着いたら話すよ」
軍の件だろう、と早瀬は思い当たる。
軍と暴徒や犯罪者の癒着は早瀬が軍に所属する以前から度々発覚し、そのどれもが犠牲者を生む事件に発展した。
まだまだこの国は復興が始まったばかりで、体裁としては統合した政府があるが、実質的には国の政治より行政区単位での統治が行われている。
藤田指令は恍けた老人に見えて誰よりも実直な男だ。早瀬も三咲組を紹介された件で随分と世話になっている。この件を知っていたとは考え難い。
更に早瀬は東方に居た頃から訓練を通じて面識のある秘書官の菱川は、兵士としても優秀で若くして昇進を重ねた人物で、同時に堅物で有名であり、真面目を絵にかいたような人柄だ。目の届くところでそんなことがあれば黙っているわけがない。
考えながら歩いているうちに、投光器を森と反対側に向けて設置した角張った岩が点在する草地が見える。
稲葉の姿は見えないが、無線からは早瀬が見えていると応答が入る。
「よう、健さん。お疲れだったな」
声と共に傍らの草が生い茂った藪から稲葉が立ち上がる。
「そんなところで何してるんだ?」
「いやぁ、熊とにらめっこをね」
稲葉のいた場所から更に奥を見ると、熊が自分の爪に刺さった林檎にかぶりつくところだった。
「相変わらずよくやるな、お前も」
呆れ顔を見せ、バイザーを開けながらユキのバックパックを降ろし、手近な岩に座り込む。
稲葉は早瀬の左腕のインパクトハンマーと、乾ききった返り血を見て表情を曇らせる。
「……相変わらずはお互い様だろ」
向かい合うように岩に腰かける稲葉は既に熊に背中を向けている。
(どれだけ気を許してるんだこいつは)
「ユキの信号が消えたって?」
「ああ、野嶽さんの話しでは、無線が通じないのも信号のロストも森の深部に入ったせいだと言ってたが、そんなことがあり得るのか?」
「健さんも歩いててわかっただろ? 野嶽さんが言うなら、そうなのかもしれないぜ」
確かに、と思いつつも腑に落ち切らない早瀬だが、現状そうであった方が誰にとっても安心できるのだ。
早瀬は話題を変えて一葉からの無線の内容を聞く。
山口の件の知らせを聞いた藤田は、秘書官の菱川を通じ全班の緊急招集をかけたが、壊滅状態の二班以外に山口の三班、その他にも二つの班が戻らなかったという。
今夜にも軍本部と協議し、戻ってきた班にもいるであろう関係者に対しては、厳正な処分を下すという事だった。
「つまりは軍車両三台と兵士二十名ほどが雨谷の手に落ちたわけか」
忌々しげに早瀬が呟く。
「駐屯地に常駐してる人数と危険地帯で実働する兵士を考えると半数近くってことか」
「処分される兵士もいるだろう。軍本部がら人員は回ってくるだろうが、いくらなんでもすぐには無理だ」
「その山口って野郎の他にくっついて行った班二つってのは何なんだよ?」
「金品を受け取って見て見ぬふりか、何かしらの協力をしていたんだろう。戻っても処分を受ける。後戻りできないんだろう」
「……馬鹿な奴らだ、全くよ」
拳を握って憤る稲葉。
「軍本部がこの件を放置するわけないよな」
「当然だ。各行政区から応援を呼んででも雨谷達を殲滅しようとするだろう」
一息ついてから再び口を開く早瀬。
「だからこそ恐らく、数日以内に奴らは動く」
「ああ、さすがにそうだろうな。しかしどこにも逃げ場なんてないだろ。東方に戻るってのかい?」
「そうならまだいいがな……」
「まだいいって、他になにがあるんだ?」
「西方駐屯軍は今手薄だ。本部や他の行政区から援軍が来る前に――」
急に真剣な面差しで早瀬に向き直る稲葉。
「まさか戦争でも仕掛けて来るってのかよ」
早瀬は沈黙で答える。
「じょ、冗談だろ」
「雨谷は東方から西方に流れてくるまでに暴徒を纏め上げ、軍人も取り込んで味方を増やし続けている。少なくても頭の悪い男じゃあない。やりかねん」
「そんな事して、その先どうするつもりだと思う?」
あくまで俺の予想だと前置いてから口を開く早瀬。
「西方行政区ごと自分の物にする」
それを聞いた稲葉はギリ、と歯を軋ませる。
早瀬は稲葉が自分で演じているつもりの軽薄な男でない事も、稲葉自身が思っているほど本人が器用な男でない事もわかっている。
稲葉は元々国営の組織に所属するサーヴェイアだった。エリートと言えるかもしれない。
派遣されたこの行政区の廃墟地帯で起こった事件で大怪我を負い、視力をほぼ失った稲葉は国営組織から切り捨てられるように退役した。そんな稲葉を迎え入れた西方の人たちや、何かにつけて支援してくれた一鉄と三咲組に生半ではない恩義を感じているのだ。
私立探偵を名乗り街の住民に尽くすのも、特別製のコンタクトをしてまで三咲組に協力するのも、全ての動機はそこにある。
照れ隠しのつもりなのか馬鹿を演じるところはあるが、強さと優しさを持った男なのだ。
「明日にでも俺が社長と一緒に藤田指令を訪ねる。今はユキと結花だ」
「ああ……わかってるよ」
目を閉じ眉間にしわを寄せる稲葉、状況的に仕方ないとはいえ、今日は交代もなく目の負担も大きいだろう。おまけに数キロ先で爆発にビル倒壊まであった。逐一情報は入っていたようだが、心労もかなりのかさんでいるはずだ。
そう思う早瀬は気配を感じ、奥の藪に目を向ける。
「お前の友達が心配してるぞ」
早瀬が指さす先には、先ほどの熊が稲葉を伺っていた。
「随分仲良くなったじゃないか」
「二日もにらめっこしてればな」
熊に向かって林檎を放り投げる稲葉。
熊は口を開けて見事にキャッチする。
「多分メスだな。お似合いなんじゃないのか?」
「ごめんよジュリエット、俺には一葉ちゃんという心に決めた女がいるんだ!」
熊に向かって済まなそうに訴えかける稲葉。
「ジュリエット、ね」
緊張をわずかに解き苦笑いを見せる早瀬。
肝心なところでの誤変換がありました。
興ざめしてしまいますよね。反省してます。
既読の方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。




