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――地下鉄道、トンネル内部


「おおーい! 待ってくれ! 大変だ!」

 真っ暗な地下トンネルを進む一鉄ら四人は背後からの叫び声で足を止めた。

 四人はユキたちが素通りした空洞を過ぎ、進行方向を北が変わる地点にいた。


 境界線で無線連絡を待っていた自治隊員の一人だ。

 隊員はライトを掲げ必死に追いかけて来る。

「聞こえてるぞ! 一体どうした!」

 鐘観も声を返す。


 息を切らせて追いかけてきた自治隊員の話を聞いて驚く四人。


「どうする鉄?」

「軍が絡んでいたか……藤田に知らせない訳にはいかんな。ユキたちは廃墟地帯に抜けてるんだな?」

「はい。早瀬君が捜索続行しているようです」

「そうか」

 一呼吸分考えて顔を上げる一鉄。

「よし! このまま進めば皆の命の保証ができなくなる。すぐに戻って体制を整えるぞ。ここまで済まなかったな」

「俺は二人を助けられるなら構わねぇぜ」

「俺を信じろ。戻るのが得策だ」

 一呼吸ついて一鉄に向き直る鐘観。

「わかった。信じるぜ」


 五人となった一鉄達は急ぎ足で来た道を引き返していく。






 林を進む結花。歯を食いしばり一歩ごとに痛みに耐える。

 ユキはまだ目を覚まさない。

(ユキ、ごめんね)

 倒壊するビルから身を挺して自分を庇い、その後の事は気を失っていてわからないが、状況的に二人で川に転落したのだろう。恐らくユキは結花を川岸にまで怪我を負いながらも運んで力尽きたのだ。

(……今日は一日中ユキに守られてきた。どんな状況でもわたしを庇ってくれた)

 二人は林を抜け、木々の密度は高くなり、森に差し掛かっている。


(今度は私がユキを助けるから。お願いだから目を覚まして!)

 林に入ったのは廃墟地帯から少しでも離れるため、そして身を隠し易いと判断したからだ。

 ハンターとしての訓練を受けた結花には、廃墟地帯よりも森林地帯の方がよほど心強いのだ。

 しかし、今森の深部に向かっている自分の動機は結花自身にもわからない。

 奥に行けば、ユキを助けられる。と何故か感じているのだ。

 それがハンターの勘なのか本能的な判断なのかもわからない。

 それでも結花は迷うことなく森の深部に向かって一歩づつ進んでいる。


 辺りはすっかり暗くなり、周囲には樹木と生い茂った草花しか見えなくなった。


 結花の体力も底をつきかけた頃、不思議な場所を見つける。

 二本の一際高い針葉樹で作られた門とも見えるような場所に出たと思うと急激に風の気配が消えたのだ。

 普通なら虫の声や山鳩の声くらい聞こえてもおかしくない。いや、聞こえていなければおかしい。

 耳が遠くなってしまったのかと思うほど無風、無音。森の全て、山の全てが息を潜めてこちらを見ている気がする。

(どうしてこんなに静かなの……?)

 静か過ぎるせいなのか、耳鳴りを覚える。


 この異常としか思えないこの状況で、結花は怖さを微塵も感じてはいなかった。


 二本の針葉樹の間には、結花の身長と変わらないような草花が茂っている。

 奥には何も見えない。草が生い茂っているせいか、暗いせいなのかわからない。

『この奥には行けない』結花の視覚から得られる情報はそう告げているのだが、結花はそこから離れられない。


 疲労による額に流れる汗と熱い息を感じながら上を見上げる。


 二本の針葉樹は果てが見えないほど高く感じる。暗くて見えなくなるほど暗くはない。

 そして二本の枝振りは折り重なり、見覚えのある影を形作っているのが見える。


――(これ、鳥居だ)

 思った瞬間、左に見える針葉樹には大鷲が浮かび上がる。

 これほどの大鷲が今飛んできたなら、音に気配に気づかない訳がない。

 それはずっとそこにいたはずだ。結花の目に映らなかっただけなのだ。

 大鷲は結花を厳しい目で見降ろしている。


(こんな立派な大鷲なんて滅多に見ないのに。ここはそんなに山奥じゃないはずだよ)

 大鷲はゆっくりと首を上げ、雄々しく一鳴きした。

いつの間にか右に見える針葉樹には、大鷲よりも一回りほど小柄な灰色の美しい鷹がいた。


(まただ……綺麗。灰鷹なんて初めて見たよ)

 灰鷹は動物とは思えない、慈悲を宿す目で結花を見つめる。

 目が合った結花は説明のつかない感情で灰鷹に懇願した。


「お願い! ユキを助けて! 大事な人なの!」


 灰鷹は意思を伝えるように大鷹に向かい首を動かす。

 それを見た大鷹は頷くように首を振り姿を消した。

 飛んで行ったのではなく、姿が見えなくなったのだ。


 灰鷹が翼を広げる。

 今まで全くの無風だった周囲には、かすかな風と木々の葉が重なり合う音、草の揺れる音が戻ってくる。

(なんて綺麗なんだろう)

 灰鷹は翼を広げたまま、微かな風を切る音を伴って、風に流れる木の葉のように結花の肩に乗る。

 重さは感じる。これは幻ではないはずだ。しかし灰鷹を乗せる結花の肩には全く苦痛は無い。


 猛禽の爪は小動物の皮や魚の鱗をいとも簡単に突き破るほどの鋭さを誇る。

 今結花の肩に乗る灰鷹は、結花の上着に傷も残さないほどの穏やかさでそこにいる。

 懇篤な淑女のような灰鷹は小さな声で優しく一鳴きする。

 促されたように前に視線を戻す結花。


 そこには遮るように生い茂る草花は無かった。

 奥へ続く道は無明ではない。さっきまで真っ暗に思えた針葉樹の奥は、今はそこだけ月の光が差しているように明るい。獣道とは違う。獣や人が踏み馴らしてできたような通路ではない。

 樹木に必要な下草以外はそこだけ生えないよう、自然にできたような道は山の中に在って不自然なほど起伏も少ないまま奥へ伸びている。


 奥へ進むと、一頭の牡鹿が待っていてくれたように結花を見つめながら道の傍らに動かずに佇んでいる。

 大きな体躯は逞しい骨格と隆々とした肉付き、頭には目を見張るほどの威厳を感じる四叉五尖の角、目には静かな厳しさを湛えながらも何故か穏やかさを纏う牡鹿。


(こんな鹿、父ちゃんでもきっと見た事ないよ)

 牡鹿は結花に静かに近づき首を垂れ、背を寄せて来る。

 ユキを乗せろと言っているかのようだ。


「え? いいの?」

 牡鹿は結花の言葉に反応して小さく嘶いた。

 牡鹿はユキを乗せやすいように腰を下ろしてくれた。


 稀ではあるが、鹿は人を襲う事もある。彼らの領域で不遜な行いをすれば最悪、死もあり得る。これほどまでに立派な角を持つ大きな牡鹿ならば、まともな武器すら持たない小柄な結花が敵うような相手ではない。野生の鹿が人の前で膝を折るなど、通常はありえない話なのだ。


「ありがとう」

 鹿に礼を述べる結花。

 ハッと気づき、腰に下げているナイフを鹿に見えないように隠そうとする結花。


 結花のナイフの握り部分は山で拾った鹿の角を加工したお手製なのだ。

 触れた感触が暖かく手によく馴染み、濡れても滑りにくいお気に入りである。

(怒られないよね……?)

 牡鹿はそんな結花を気にすることなく、ユキを乗せるのを待っている。


 牡鹿の背に横向きに伏せる格好でユキをもたれさせると、落とさぬようにゆっくり立ち上がる牡鹿。


 ユキを乗せ立ち上がった牡鹿は道の奥を見つめ、結花を待つように立つ。足を引きずる結花に合わせるように、ゆっくりと道の奥へと先導する。


 いつの間にか肩の灰鷹は姿を消していた。

 牡鹿に見とれていて気づかなかったのだろうか、感じていたはずの重みも、始めから無かった気さえするほどに意識から消えていた。


 道は均一の幅を保ったまま奥へ奥へと続き、進むほどに道だけでなく、森そのものがやんわりと明るくなっている。


 木々の間からはするりと躍り出るように真っ白な鼬が現れる。

 結花を見上げる事もなく、牡鹿の隣に並び結花の先を歩いて行く。


(いたち道 血道 横道 近い道 我が行く先は 黄金花こがねはな咲く。だったかな……?)


 結花は昔、父である鐘観しょうかんから教えられた遠くの土地の迷信のようなおまじないを、一度だけ唱えてみる。

 鼬が前を横切ると良くない事が起こる。そんなとき三度唱えるまじない文句だったはずだ。


 自然に触れる機会の多いものは身をもって知っている事だが、迷信と言っても過去にあった事実を教訓としているものがとても多く、蔑ろにしてよいものではない。

 それを知りながら結花は、これからよくない事が起こるとは微塵も感じない。


(鼬が前を歩いて案内してくれてるときは、何が起こるんだろうね)

 そう思いながらも結花は奥へと近づくにつれ、この先に何があるのか理解できていた。


 鼬と牡鹿に先導され、結花は森の深部へ辿り着こうとしている。


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