03
翌日早朝、今日は天候が優れない。
曇り空というのは屋外で作業する者にとっては悪いコンディションではないのだが、気分的にはすっきりしない。
どんよりとした空は、言葉にできない不安を思わせる。
野嶽と共に現場へ向かう車中、、助手席に乗るユキがいつにも増して黙り込んでいる。
「随分考え込んでるようだが、どうかしたか?」
ハンドルを握る野嶽が言葉をかける。
「あ、いえ。」と答えたが、野嶽の言う通り、ユキは気になることがあった。
――それは今朝、車に乗り込む前の事である。
ユキと早瀬、能登がそれぞれの車に機材を積み込んでいると、大きなエンジン音とともに、オリーブドラブの装甲車が敷地に入ってきた。
駐屯軍の車両である。駐屯軍はもちろん、軍属は廃墟地帯の警備のために度々やってくるため、それ自体は特に珍しい事ではない。
廃墟地帯には街で犯罪を犯した者が逃げ込んで住みつき、ごく稀にではあるがサーヴェイアや他の廃墟地帯に出入りする者を襲うという事件が起こることもある。軍の警備が充分でなかった一昔前は暴徒の集団が近隣の住宅を襲うという事も度々起こった。
現在は駐屯軍の巡回や自治隊の尽力で落ち着いているが、それでも全く耳にしないわけではない。被害は少なくなったとはいえ、実際に廃墟地帯での武装した暴徒、森林地帯での危険な野生動物による被害はあるのだ。
それ故、国の認可を受けたサーヴェイアや他の危険地域に出入りする業種はもちろん、申請して許可がおりれば一般人も帯銃が許される。銃と弾丸は国が管理し、軍から支給されるので基本的に一般には流通しておらず、検査も厳しいものだ。
もちろん市街地で日常的に銃をぶら下げている人間が居れば警戒され、生活に支障をきたすのは間違いない。軍や自治隊が 飛んでくるだろう。
帯銃はあくまでも、非常時の自己防衛手段なのだ。
他の社員同様ユキの装備にも銃があり、訓練施設以外で撃ったことはないが、整備も自分で行っている。
銃の使用状況と管理の確認のため、不定期で月に2回ほど軍による銃検査が行われる。
今朝の軍の来訪も検査なのかと思ったのだが、いつもと様子が違っていた。
曇り空に一層重々しい色の鉄塊のような車から降りてきた軍人は、車に気づいて表に出てきた一鉄と野嶽と田羽多の三人と挨拶を交わし、何やら話している。
ユキは気にせずに機材の積み込みを続けていたが、気が付くと別の車に機材を積み込んでいた早瀬が別の兵士に呼び止められていた。
早瀬は数年前まで軍に所属していた経歴がある事を全員が知っているので、特におかしなことではないはずだが、早瀬の表情からは相手に対する嫌悪感が垣間見える。
ユキは少し気になったが、何を話しているかは聞こえない。それほど離れた場所にいるわけではないが、エンジン音で聞き取れなくなる程度の小声で話しているようだ。
ほどなく社長と野嶽が対応していた軍人は敬礼をして装甲車に戻り、早瀬と話していた兵士もそそくさと車両に退散し、装甲車は砂埃を上げて敷地を後にした。
ユキは積み込みを終え、さっさと車に乗り込む早瀬に違和感を感じていたのだ。
誤魔化すつもりはないが、たったこれだけの事で何か言うのも心配し過ぎだろうと思い直し、別の質問をする。
「さっきの軍、銃検査じゃなかったんですね」
「ああ」野嶽は簡潔に答え、説明してくれる。
「危険地域で物騒な連中が騒ぎを起こすのはこの時期が多いからな。気を付けろって事だ。」
ユキも話しには聞いているが遭遇したことはない。
(気を付ける、と言ってもな……)
そんな事を考えている間に予定の現場も近づいている。運転する野嶽が軽くからかうように口を開く。
「さて、今日はお茶が飲めないそうだから、着く前に飲んでおくかな」
「ええ、しっかり補給しておいてください」
言われたユキもやり返した。
停車予定の場所に到着し、車を降りる前に車のハンドルを外す。
脱着しやすいように改造してあるため、作業はすぐに終わる。これを離れた場所に隠しておいて、帰りに回収するのだ。
不法に危険地域に侵入した者に車を与えないための盗難対策だが、ここまでやっても盗られるときは盗られる。ハンドルが無くなった時のために車体の下には予備のハンドルも厳重に隠してある。
用心に用心を重ねる。
ユキはこうした知恵を目にする度に、いろいろあったのだろうなと感じる。
崖のふもとに到着し、準備運動を始めるユキと野嶽。
今日は昨日よりも高く険しい崖の高さを計測する。
基準点と測点に計測器を設置し、互いに衛星から位置情報を電波で受信し、距離と高さを計測する。この測定方法は装置も小型で一人でも可能だ。実際に野嶽はユキが来る前やユキが通学している日は一人で行っている。
いずれはユキも一人で作業するために野嶽の指導を受けているのだ。
測定自体は装置が行い、サーヴェイアは装置の設置をするだけなのだが、未開の地に単独で挑むというのは、言うまでもなく危険な行為である。
ユキも機材の取り扱いなら訓練施設で嫌というほどやってきたが、実践の現場では装置の操作などできて当たり前。いかにして測点に辿り着くかに、あらゆる手段と知識・技術を駆使するのがサーヴェイアの行う調査・観測であり、観測中に有益と思われたものをを発見した際にはヘルメットに内蔵されたカメラで記録し、位置情報を残す。
地形的に危険と思われたものや、サーヴェイアの判断で報告すべきと思ったものについても同様である。
準備運動を終えた野嶽は簡単に装備を確認し、ヘルメットを被り岩肌に挑み始める。
それに対し、ユキは焦ることなく装備を安全に使える位置に整え、グローブとブーツの装着を点検する。
ユキが登り始めるころ、野嶽は完全に見上げる高さまで進んでいた。
ベテランの野嶽はユキと違い、装備の位置は用途を問わず、全てがいつもベストな配置にカスタマイズされている。
――(これでいいんだ)
ユキにとって野嶽の教えは、最大限の慎重さと落ち着きにある。いくら口で負けないと口にしても、本当に肝心なのは野嶽よりも先に頂上に到達することではない。
ユ キは最初のハーケンを打ち込みながら、心の中で呟く。
(俺は野嶽さんと競争してるわけじゃない。 焦るな。 大事なのは、集中力!)
一言づつ、噛みしめながら岩を掴み、着実に高みを目指して登ってゆく。
まだ昼まで時間があるというのに、空は随分と暗くなってきた。
崖の頂上に腕を掛け、一息に登りきる。呼吸は大して乱れてもいないが、深呼吸で整える。
切り立った崖の頂上から下を見下ろし、落ち着いた所作で岩を掴み登ってくる少年の姿を確認する体格の良いドライスーツの男性。野嶽である。
軽く頷きながら最後のハーケンを岩の間から抜き取り、左腕のグローブをめくり腕時計型端末に目をやる。これは複合型のアクティブセンサーで気温や湿度などの天候予測に必要な数値の他、方位・高度や電波の受信感度なども測定できるものだ。
だが野嶽はあまりこれを頼ることはない。時間と方位は太陽の位置を見ればわかり、天候は数値を見なくても季節と体感で予測でき、電波の受信は、やってみればわかることである。
野嶽個人にとってはあまり意味のない、煩わしいものだ。
しかしこれには、おまけのような機能として秒時計がついている。用途は様々だろうが、最近になって、自分の後を追ってくる駆け出しのためにこの機能を使い始めた。
野嶽は単独活動を得意とし、あまり新人を任されるのを好まない。
言葉で教えられることが少ない仕事でもあるし、野嶽に言わせれば頭で覚えるような仕事ではないからだ。精神論かもしれないが、目的のためにできることをやっていれば、そのうち体が覚えてくれる。どんな業種でも、仕事というのはそういうものだ。
とりわけサーヴェイアを含めた危険地域で作業する者にとって、命に係わる怪我はついて回る。
安全の確保と危険回避は経験と反省から獲得するものだ。教えられてできるようになるものではない。
野嶽はヘルメットを外し、装備を地面に降ろしながら、ユキの面倒を任された時のことを思い出していた。
――「サーヴェイアになるには若すぎる」
体は多少作ってきたようだが、腕力だけでできることは殆ど無い。
野嶽の行動には見える危険の他にも知らなければならないことが多いのだ。
長い付き合いで、共に何度も修羅場を経験した一鉄の頼みを断ることはまずない野嶽だが、
この若造を自分に付けるというのには反対した。
ついてこられず挫折した者もいた。怪我では済まない危険もあるのだ。
「鉄、田羽多に預けて経験を積ませた方がいいんじゃないのか?」
野嶽は何度か一鉄に掛け合ったのだが、今回に限って一鉄は譲らなかった。
一鉄もまた、野嶽を信頼している。考えなしに無茶を言っているわけではないだろう。それがわかるから、野嶽は渋々了承したのだ。
野嶽の予想に反しその後の半年間、ユキは驚くほどのペースでサーヴェイアに必要な知識と技術を吸収した。行動を共にし始めたころは心配で仕方なかったものだが、ユキは自分で考え、失敗を経験に変える知恵を持っていた。必要な資質を備えていたのだ。
だからこそ、野嶽はユキを単なる観測助手としてではなく、自分に追随させる形で行動を共にさせている。
野嶽は家族を作らなかった。子を育てた事のない野嶽は、自分がこの若造の成長に目を細めているのには我ながら妙だが、悪くはない気分だと感じている。
ハーケンを打ち込む音がすぐそこまで迫り、やがて崖の淵に乗せられた腕が見える。
無事に辿り着いた事に安心を覚え、野嶽は秒時計のカウンターを見てにやりとしてしまう。
崖を登るのに必要なのは判断力と慎重さだ。それらを欠いた速さならば無い方が良い。
ユキはそれを理解し、身に付けている。
その上で、登り始めてから頂上に立つまで、崖にしがみついている時間はもう自分と大差はない事を、ユキは気づいているだろうか? と野嶽は思うのだ。
(そろそろ、駆け出しの若造ってのも返上だな)
思いながら秒時計のカウンターを止めた。
やはり昨日よりも険しい斜面だった。ユキはヘルメットのバイザーだけ上げ、頂上の空気を胸いっぱいに吸い込む。呼吸を整えつつ、最後のハーケンを抜き取る。
野嶽は煙草を咥え、火を着けようとしていた。それを見ているユキに向かい「二本目だ」と笑って見せる。
ユキは装備を降ろし肩で息をしながら、ですよね。と返す。
ますます暗くなった空に浮かぶ雲の下層は墨を混ぜたように黒くなっており、間もなく天候が崩れることを知らせていた。