20
――三咲神社、境内の一室。
慌ただしく電話をかける坊主頭の巨漢。
野嶽から無線連絡を受けた鐘観は、野嶽に言われた通り電話で一鉄に伝える。
野嶽も鐘観も、非常時であればあるほど一鉄以上に頼りになる人間を知らない。
軍への連絡も一鉄に任せておけば他の誰がするよりも効果的だろう。
鐘観は次に、農園で作業している嘉島と小山内に連絡を取り、未だ境界線に居る野嶽のもとへ急行させる。
無線での様子が、只事ではなかったからだ。
野嶽は一言も口にしないが、負傷しているのは間違いない。
一度ここに連れ戻さなければ、どんな無茶をするかわからない。
方川と畔木には負傷して戻ってくるであろう野嶽のため、医者への連絡と応急処置のため医療品の準備を頼む。
受話器を置き、息を吐き心を鎮めようとする鐘観。
結花とユキの無事を祈りながら、非常時の各連絡先に協力を求めるため、再び受話器を握る。
酷く長く感じた一時間余りが過ぎ、嘉島と小山内に引きずられるようにして野嶽が戻ってくる。ようやく鐘観のいる部屋に連れられ、椅子に座らせられる。
鐘観は自治隊本部からの返信連絡を受けていた。
大きく身振り手振りを付けながら興奮した様子で相手と話す。
「ああ、余裕はねぇぞ! すぐに頼む!」
通話を終え受話器を置いた鐘観は、傍らの椅子に座っていた野嶽がふらりと立ち上がろうとするのを両手で遮って椅子に押し戻す。
野嶽はそれでも立ち上がろうとするが、鐘観に一喝される。
「光ちゃん! 落ち着けよ!」
鐘観は、低く野太く響く声で野嶽を怒鳴りつけ、その場に留める。
睨みあう野嶽と鐘観の荒い息づかいだけが部屋に響く。
二人の豪傑のやり取りに、まだ部屋に留まっていた嘉島を小山内は息を飲む。
野嶽の身体から手を離した鐘観は声を抑えて告げる。
「言いたいことはわかる。だが俺も結花が行くことは了解したんだ。あんたに責任はねぇ!」
野嶽のスーツは腹部数か所と左大腿部に被弾の跡がある。
防弾処理と言っても、辛うじて貫通を防ぐだけで衝撃は防げない。腹部と脇腹の被弾はまず間違いなく数本の肋骨を砕いているだろう。
苦しそうな野嶽に向かい鐘観は落ち着かせるように言葉をかける。
「俺はあんたを信用してる。何もせずに見捨ててオメオメ逃げ帰ってくるような男じゃねぇ。あんたは最善を尽くしてくれたはずだ。そうだろ?」
痛みも構わす両手を握りしめ、音が聞こえるかと思うほど歯を食いしばる野嶽。
「ああ、できる事はした! しかし、連絡が取れない以上、無事とは限らん。座っていられないだろう。武器を貸してくれ!、すぐ迎えに戻る!」
「その時は俺も行くって言ってんだろ! 鉄ちゃんを待つんだ! もうじき来る!」
語勢も荒く続く二人のやり取りは、痛みに顔を歪める野嶽の呻き声でようやく終わる。
(鐘は正しい。今の俺よりも冷静だ。)
それはわかっている。しかし何もせず待っている1秒が惜しい。
野嶽は脇腹に布をあてがい、スーツに直接テーピングできつく巻きつける。呼吸は苦しいが、これで少しは痛みを気にせずに動ける。
――(ユキ、結花、無事でいてくれ!)
野嶽は気が遠くなるが、頭を振って意識をつなぎ、ここへ着くまでの事を思い出していた。
野嶽はユキにすぐ隠れろと無線を送った後、スコープで確認した車――幌付きの小型トラック――をできる限り観察し、一つでも多くの情報を得ようとする。
幌はしっかり結んでおらず、荒い運転と悪路のせいでバサバサと翻っている。
運転している者の他、助手席、幌の巻き上がった荷台にも、幌の骨組みにしがみつく様にして乗り込んでいる2名の男が見えた。その誰もがスーツを着ていないが、助手席の男は銃器らしきものを弄んでいるのが見える。
大きさと形状から拳銃ではない。短機関銃を所持しているようだ。
(目撃されていたのはこの男たちだろう。あの爆発にも関わっているはずだ。)
まだ見つかっている訳ではないはずだが、瓦礫を迂回しながらユキと結花が居る地点に接近している。
無線の向こうのユキは何とか結花を隠せたようだが、歯切れが悪い。
迷っている時間はないようだ。
野嶽から見てこの車は左側面を向けている。
野嶽はスコープをバックパックのポケットに適当に押し込み、崖の岩陰から身を翻した。
車から見えるように移動しながら、注意を引くために狙わずに一度発砲する。
――銃声が崖に反響し、辺りに響き渡る。
走りながら、野嶽は無線越しに反応がないユキを一喝する。
……ユキがどんな状態なのか、見当はつく。
こんな状況で恐怖を感じない人間がいるなら、サーヴェイアだけにはならない方がいい。
恐怖を感じることができるからこそ、危険を回避できるのだ。
怖いもの知らずでも勇敢なだけでも、サーヴェイアは務まらない。
銃声を聞いた一団の車は速度を落としたが、すぐに助手席の男が身を乗り出し短機関銃を構える。注意を引くことはできたようだ。
野嶽の姿を発見した車は、けたたましくエンジン音を響かせ方向転換し、野嶽のいる崖に向かってくる。
野嶽は崖の傾斜の緩い地点から一気に上へ駆け上がろうとする。
暴徒は野嶽が単独だと気づいたのか、崖に向かい発砲を始めた。
(ユキ、無事でいろよ!)
無線の向こうからユキが呼んでいるが、応えている余裕は無い。
幸いあまり狙いは定まっていないようだが、向こうは複数。
足を止めたら終わりだ。
崖を駆け上がり、そのまま離脱を試みるが、左の腿に強い衝撃を覚える。
声を出す暇もなく、体制を崩してしまう。崖下から何やら叫び声が聞こえる。
野嶽の長い経験の中でこんな場面は何度もあった。
今も五体満足で観測を続けられているのが、我ながら不思議に思えるような事もあった。
それでも恐怖は全身を包む。
――(こんな事に慣れてたまるかよ……!)痛みに顔を歪める野嶽。
立ち上がらず、腹這いの低い姿勢のまま後ろに向かい、殆ど狙わずに三発発砲する。
銃撃戦をして立ち向かっているわけではない。
向こうは車だ。的は大きい。スーツも着ていない。
応戦されれば身を隠すだろうと考えたのだ。
隙を作って移動を再開する野嶽。
足に激痛が走るが、歯を食いしばり無理にでも動かす。
何度も転倒しかけるが持ちこたえる。
何とか崖を登りきったが、今度は腹部と左脇腹に穴が開いたような衝撃を受ける。
痛みと衝撃に呼吸が止まる。
瞬間的に振り返ると、短機関銃を構えた男が車から出てこちらに発砲している。
隠れるどころか前進しているのだ。
――(随分ふてぶてしいのがいやがる……!)
続けざまにバックパックに被弾する。
息ができないが、今止まったら狙い撃ちされるだろう。
姿勢を低く保ち、無呼吸で崖上の死角になるところまで走り、そのまま前方に倒れ込む。
地形は充分頭に入れた。ここに簡単に移動して来れるルートは無い。
息を整えたいが、呼吸をすれば脇腹の痛みで息が詰まる。
まともに呼吸ができないまま這いつくばり、それでも先へ進もうとする野嶽。
(助けを呼ぶんだ……!二人を、ユキと結花を助けなければ!)
次の瞬間、崖のすぐ下で爆発が起こる。
一瞬周りの何もかもが浮き上がる様な衝撃。
光と熱、衝撃と震動。巻き上げられた土や岩があたりに降り注ぐ。
野嶽は大地の震動に耐え切れず前方に転げる、脇腹の痛みに呻き声が漏れる。
直撃したのは崖の斜面だ。崖上まで飛んできていれば、野嶽の命は無かっただろう。
(やはりそうだ。こいつらにはこれがある!)
野嶽は草を掴みながらも這いずり、前身する。
こちら側から境界線はもう目と鼻の先だ。結花と乗ってきた車もそこにある。
ろくに酸素を吸い込めず目が眩む。
(ここで俺が死んだら、二人も助からない!)
――直後にもう一度爆発。
野嶽は衝撃で転倒するが、一度目よりも狙いが悪かったらしく、土や岩は殆ど飛んでこなかった。
右腕でヘルメット前面を庇いながら痛みに呻く野嶽。
(まともに扱えてないようだが、一体何発もってやがる!)
崖方向に体を向け後方に体を引きずるように移動し、樹木を盾に後退する。
それ以上爆発が起こる事はなかったが、崖下の状況は全くわからない。
耳を澄ませばエンジン音が聞こえる位置に車はあるはずだが、立て続けに起こった爆発で耳が使い物にならないのだ。
痛みで呼吸もおぼつかない状態で体を無理やり動かし車に向かう野嶽。
ゼェゼェと悲痛な呼吸を漏らしながらも歯を食いしばり車に辿り着き、崩れるように車体に倒れ込む。しかし倒れながらも動きを止めず、無線機を取り出す。
ここからは一鉄に直接連絡はできない。鐘観に無線を送った。
応答を待つ間、結花が車に乗り込むのを、止めなかった事を責める自分がいる。
しかし今は鐘観に詳しい説明よりも、三咲組への連絡を優先してもらわねばならない。
愛する娘の無事よりも、それを優先させなければならないのだ。
(……鐘、すまん!)
応答した鐘観に、事実を手短に伝え、とにかく一鉄への連絡を頼む。
後でなら、どんな叱責も受け入れる覚悟で頼んだ。
爆発音で鈍くなった耳と焦りのせいか、大声で無線機に叫ぶ。
「鐘!、一刻も早く!、頼む!」
連絡を受けた鐘観は、野嶽の呼吸の乱れで事の深刻さを悟る。
野嶽ほどのタフな男が、息も絶え絶えなのだ。只事ではない。それだけはわかる。
野嶽との無線を一度終わらせ、すぐに一鉄へ連絡を取る。
野嶽はその後、鐘観からの無線を待ちながら、痛みと疲労で意識を失っていた。
やがて意識が回復し、車に隠してある予備弾丸を持ち、再び崖下に向かおうとしていたところを嘉島と小山内に力ずくで止められ、ここに戻ってきたのであった。




