18
結花の居る穴に滑り込んだユキは、内部の意外な状態に驚く。
「……階段?」
結花がライトを所持していたおかげで足元が見え、ユキは転倒せずに済んだのだ。
外観では土砂にまみれていたため、比較的小さな建築物が潰れた物だろうとしか思っていたかったが、これは建物ではなく、階段で地下に降りて行くための設備だったようだ。
二人は泥の匂いが立ち込める半壊した階段に立っている。
周りを見渡してみるが他には何もなく、ただ下へと続く階段があるのみだった。
ユキは手早くバックパックを装備し直し、サーチライトを取り出す。
ライトはバックパックの肩掛けに留め具で固定する。結花が手にしているのは小さな懐中電灯のようだ。手で握り込める程度の大きさだが、全く光が差し込まない現状で充分頼りになる光だった。
(さすがは自治隊員、軽装に見えても持つべき物は持ってるんだな)
一体この建築物が何なのかわからないが、今は一刻も早く移動しなければ。
二人がライトの光を奥に向けると階段の途中で何か蠢く。
蛇が数匹いるようだが、もたもたしている時間は無い。奥に進んで状況を確認したい。
広いのならば隠れやすい。この入り口の穴が見つからない保証はない。
ユキは足元にある瓦礫から手ごろな長さの鉄棒を拾い上げる。細いが、蛇を牽制するにはくらいの役には立つだろう。結花を引き寄せて手を貸し奥へ進む。
崩れた下り階段は、足を痛めた結花には一層辛いだろうが、今は我慢してもらうしかない。
できるだけ負担をかけないよう、身体を支えながら降りていく。
蛇が威嚇してくるが、この地方には毒を持つ蛇はいないのだ。結花が噛みつかれないように追い払いながら中ほどの踊り場に行き着く。
ライトでまだ下に続いている先を照らそうとしたとき、外で大きな爆発音。
同時に巨人が足踏みでもしたような衝撃。
天井や壁面からバラバラと破片や土が落ちる。
――(野嶽さん!)
ヘルメットの無線を操作してみるが、距離が離れているうえ地下に入ったせいで全く使い物にならない。
外が気にかかる。野嶽は無事だろうかと考えると内心気が気ではない。
結花も階段の入り口を泣きそうな顔で見上げ、身体は少し震えている。
――更にもう一度爆発音と衝撃。水面を叩いたように落ちた土が跳ね上がる。
天井から降ってくる土やコンクリート片が止まらない。
へたり込みそうになる結花を左腕で支える。傷が痛むが、気にしてはいられない。
(まずい! 進まないと生き埋めだ!)
「結花、進むぞ!」
ユキは呼吸を整え、意を決したように結花に告げる。
野嶽が身を挺して作ってくれたこの時間で、二人で生き残るために、すべき事をするのだ。
この先は足元の階段だけでなく、所々天井も崩れているようだが、通路は塞がってはいない。
「まだ先があるね」
結花が口にした通り、予想外にかなり深くまで続く階段だ。
結花の呼吸が荒くなるまで降りてようやく下層まで辿り着くことができた。
下層部は土砂と泥が堆積し、行き止まりかと思ったほどだが、奥に伸びていそうな通路は人工的に作られたバリケードのようなもので塞がれていた。
人が居た痕跡。しかし足元の泥と土砂には、ユキと結花が付けた意外に足跡は無い。
階段側から人の出入りは無いだろう。
(造りは雑だ。動かせる物で簡易的に塞いだ程度か)
隙間から中を伺うが、光は一切ないようだ。人の気配もない。
(ここが暴徒の拠点ってことは無いようだけど……)
結花を待たせ、バリケードを一部どかせてみる。中は濁った空気と嫌な臭いが漂う、広い空間だった。
中も決して良いところではなさそうだが、この場に留まるわけにはいかない。結花に手を貸し、バリケードの内側に引き入れた。
――二人分のライトで中部を照らす。
何かの施設だったのか、バリケードの内側の空間は壁も天井も大きく崩れているが、元々はかなり大きな人口の地下空洞だったようだ。
完全に廃墟と化してはいるが、崩れていない天井には照明器具が多く、床はタイル張りのようだ。
突然の強烈な光から逃げ惑う鼠が視界の隅で動き回る。
自分たち以外が出す音は無いかと耳にも集中しながら、ヘルメットのライトも点灯させて広い空洞を探索する。
ユキのライトが一転で止まり、息を飲むのを感じた結花が光の先を覗き込む。
そこには白骨化した人間の遺体があった。
その周りには遺品だろうか、いろいろなものが転がっているように見える。
ライトの光を移動させてようやく気付く。
周囲には、同じく白骨化した亡骸が点在していた。
サーヴェイアは観測作業中に遺体に遭遇することも稀にはある。
未観測の廃墟地帯ならば昔は多くあっただろうが、サーヴェイアの観測が始まる以前の時代、この数十年で軍が回収を進めてきた。
森林地帯では回収するまでもなく、大災害時の遺体は既に自然に還っている事の方が多く、人骨の一部を発見するという程度だ。
しかし今目の前にあるのは無造作に床に転がり、身に付けていた衣服と共にそのまま朽ち果てたであろう事が一見して理解できてしまう状態なのだ。
頭蓋の二つの空洞と目が合うと、死そのものに見据えられているような感覚を覚える。
人間の死がそこに在るという事実を、これ以上ないイメージとして無言で押し付けてくる。
内心ではかなり動揺しているユキだが、結花が両手でかなり力を込めてユキの二の腕を掴んでいるので意識が逸れた。
(バリケードがあるくらいだ。遺体はここに何らかの理由で立て籠もった人たちだろうな)
結花は固く目を瞑り顔を伏せている。
当然ユキよりも動揺していると思うが、先ほどの爆発の時といい、大声を出したり取り乱したりしない事にはユキも感心し、心強く思う。
自分も怯えるているわけにはいかないと気をしっかりと持ち直したユキは再びライトで探索を始める。
耳を澄ましてみるが、エンジン音も爆発音も、もう何一つ聞こえない。誰かが階段を下りてくる気配も無い。
そこははかなり広い空洞だった。ユキが見る限りかなりの期間人が出入りした形跡もない。
入り口は徒歩で探索しなければ簡単には見つからないだろう。車で移動する暴徒が偶然発見する確率は低いと感じる。
身を隠す場所を見つけることができれば、ひとまずの安全は確保できそうだ。
探索しながらユキは今後の行動を考える。
(野嶽さんも心配だし、結花の手当ても必要だ。このままここに留まって様子を伺って、時間をおいてから階段を上って脱出するのが一番安全なはずだ)
この空洞が一体どんなものなのかわからないが、野嶽と別れたポイントから遠ざかる事が得策ではないと判断した。下手に移動して現在地がわからなくなるのも危険だ。
「まずは、隠れる場所を探そう。後の事はそれからだ」
結花に伝えライトで壁面を照らす。
亡骸のあるところではさすがに落ち着かない。
適当な場所を求めて少し奥に進むと、鉄製の扉が見えた。当たり前のように施錠されている。
ユキは近くの瓦礫から重い鉄材を引き抜き、鉄製のドアノブを横から何度も殴りつけ破壊した。銃を使えば簡単に壊せるのかもしれないが、構造もわからずどこを撃てばいいのかわからないし、予備弾もあまり持っていない。
無駄撃ちはできないと思い、強引だがドアノブを完全に破壊してどうにか鍵を開けることができた。
ドアを押し、中に入ると手すりのついた短い踊り場に出た。足から5段ほどの短い階段が下に向かい、ライトの光で浮かぶ視界には人が入れるほどの大きさの鉄製タンクがいくつも並ぶ広い部屋だった。
壁にはバルブ付きの頑丈そうなパイプが何本も走り、扉付きの操作盤がある大きな装置もある。何の装置なのかは見当もつかない。
(機械室? 一体、ここは何の施設だったんだ?)
埃が溜まり、機械油の匂いがするが、他の場所よりはましに感じる。
通風孔が塞がっていないらしく、施錠された個室だったおかげで空洞よりも空気が澱んでいない。
そして、ここには朽ちた遺骨が無い。鼠もいないようだ。
(ここなら結花を休ませることができそうだ)
ユキは入り口からは死角になるよう、タンクの陰の壁際にゆっくり座らせ、結花の傍らにバックパックを降ろした。
(すべきことはたくさんあるけど、まずは結花の手当てからだ)