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 翌朝は目覚ましよりも随分早い目覚めだった。

 雨音のせいかよく眠れたという事だろうか、体調は良い。


(最初の定時連絡までは、まだ一時間以上もあるな)

 ユキは装備とヘルメットを持ち、テントを後にした。観測作業は禁止だが、それ以外の事で時間よりも早く行動するのは問題ないだろう。散歩がてら拠点周辺の状況確認をした。風で折れてしまった枝など、天候以外での変化は無いようだ。

 早々にテントに戻ったユキはスーツを脱ぎ、水筒の水でタオルを濡らす。

 スーツは非常に丈夫なうえ体温を保持してくれる、無くてはならないものだが、さすがに3日間着たままなのは少々気持ちが悪い。状況次第ではやむを得ないが、 時間のある今ならば、体を拭くくらいしておきたい。

 せっかく着替えを持ってきたのだからと、ついでにインナーも着替える。


(これだけでも、かなりさっぱりしたな)


 すぐに着るのは勿体ないが、危険地帯で装備解除は避けるべきことだ。

早めにスーツを装着……と思うのだが、身体が湿っているので中々上手くいかない。

 狭いテントの中というのもあって四苦八苦だったのだが、何とかブーツを履いたところで

 いきなりテントの入り口が開き、幌がバサッと跳ね上げられる。

 入り口に対して背を向けていたユキの全身に緊張が走り、弾かれたように振り返る。


「あっさめしを持ってきてやったぞー……」朝から元気な、あの声だ。

 結花は口を開けて硬直している。

 ユキは目を見開き、インナーの尻を結花に向け、完全に硬直している。

 顔を赤くした結花は無言で目をそらし、朝食が入っているらしい包みを、そっとテントに置く。


「い、い、好い尻してんな……」と言い残し丁寧にテントを閉める。


 野営訓練、二日目が始まった。




――10分後、いつも通りスーツを着込んだユキがテントの前に座り、憮然とした表情で結花の持ってきてくれた朝食を食べている。あの時と同じ、おにぎりである。

 結花は隣に腰かけ、両目とも固く閉じた目に涙を浮かべ、両手で腹を抱えて笑っている。

(……最悪だ)無言でバクバクと食べるユキ。


「やー、朝からラッキーイベント発生だったねぇ」

ユキにとってはただの羞恥イベントである。


「何しに来たんだよ」

「いやいや、一姉かずねぇから頼まれてさ、ちゃんと断って野嶽のおっちゃんと来たんだよ?」

 びっくりだ。すぐに無線に手をかけ、野嶽に連絡する。

 野嶽は通信に応じたが、「ユキ」と言った後、「悪かったな」と言う前に低くクックッと笑っていた。ユキは溜息を吐きだした。


 昨夜の雷雨で余程心配だったのだろう。本来は問答無用で断るところだが一葉がどうしてもと譲らず結花に朝食を持たせ、様子を見に来させたのだ。

訓練中ではあるが、無暗に追い込むことが目的ではない。ユキもこれで気が抜けるような男でもないだろう。

 結花の明るさに一瞬緊張を解くユキの表情に、野嶽も頬を緩ませた。


(大雨のせいで一葉さんも、野嶽さんも、結花も心配してくれたんだろう)

 緊張感は一度崩壊したが、気を取り直さなければと思うユキはヘルメットを被り、手早くテントを畳みだした。

 結花は「ごめんよー……」とバツが悪そうに普段よりも小さな声でユキの背中に声をかける。


 時間を気にして動きが早くなっているのだが、怒っていると思っているようだ。

「ありがとう結花。旨かったよ」と伝えると、いつもの表情に戻り、笑ってくれた。

「最初の定時連絡まであと30分なんだ。それまでにテントを地面に埋めて、境界線まで送って行くよ」

 首を傾げ「ん? 何で埋めんの?」特にそうしなければならない決まりは無い。ユキの思い付きだ。

「一日離れて行動するのに持って歩くわけにもいかないし、出しっぱなしにするよりもいいと思うんだ。夕方に回収して次のポイントに移動するつもりだよ」

「へぇ、なるほどね」と、結花はあまり興味はなさそうに答える。


 ユキは折り畳みのスコップを使い、穴を掘る。

 結花が地面を掘るのを手伝うと言ってはくれたが、道具も無いし、手を借りるつもりはない。

 必要以上に深く掘る必要もないのですぐに終えた。

 畳んだテントを収納袋に収め、さらに防水シートにくるんで土を被せた。

 定時連絡には少し早いが、結花を送りに境界線に向かうのを報告するためにヘルメットから野嶽に無線を送る。



 いつも通り、バックパックを背負い境界線までの道のりを歩きながらユキは結花と少し話をした。

 もうさっきまでの事は忘れているかのように話す結花。

 途中、水を補給するため沢に寄らせてもらい水筒を満たす。

 結花も手ですくい水を飲んだ。

 何かにつけて楽しそうに笑う結花は、本当に屈託とは無縁なのだなと思う。


 雨で足場の悪くなった林の中を並んで移動する。

 右手には崖があり、用心のため離れて歩く。見通しは良く、崖の見える方角の彼方には旧市街地のビルが小さく見えている。


 結花はフード付きのパーカーの上に橙地に黄色のラインの入った上着、かなり厚手のブッシュパンツと登山ブーツを身に付けている。鐘観しょうかんのものとは違うデザインだが、彼女もまた自治隊員なのだ。意外と様になっている。

 他に気を取られていたので歩き出すまで気が付かなかったが、腰には大きめのナイフケースを装備し、肩には滑車のついた洋弓を掛け、背には矢束が入っているであろうハードケースを背負っている。

(コンパウンドボウってやつか。実物は初めて見た)


 小柄で華奢に思える結花には、これでも充分に物々しい。

 ハンターの武器は個人により様々だが、軍人に次いで殺傷力の高い装備を扱う。

 相応の戦闘訓練も受けており、戦う能力自体はサーヴェイアを上回るかもしれないが、基本的に集団で山に入り、動物を相手にするため軽装だ。


 ユキはニコニコ笑いながら話す結花の横顔を見て、危ない事はしてほしくないと思う。


 

 「ん」と短く呟き、結花が足を止める。動物の足跡と糞が点在する。群れいてるならキツネの類ではないだろう。これは恐らく野犬のものだ。

 もう境界線まで遠くないが、迂回した方が良さそうだ。

 森林地帯でのこうしたフィールドサインは無視できない。数も多そうだ。

 ユキは周囲に注意を払いながらヘルメットで野嶽に無線を送る。


「野犬と思われる痕跡があります。足跡と糞です。すぐ近くには……いないようです」

「状態を確認しろ」と野嶽。確かに。大雨の直後だ。形からして雨に晒されたものではない。

「原型留めてます。数も5以上ですね。地面は荒れていて足跡はありますが、数までは、はっきりしません。」

「警戒しながら後退して迂回しろ。俺も向かう。結花を守れよ」

「はい」ユキは通信を終える。結花を呼び、警戒しながら後方にゆっくり後退し始める。

 見通しの悪い道を選んではいない。すぐ近くに潜んでいることは無いはずだ。


 不意に、視界の片隅で一瞬何かが光る。直後、光の方向から爆発音が聞こえた。

何があったか理解できないが、瞬時に状況はめまぐるしい変化を見せる。


 ユキは自分の周りにはこんなに生き物がいたのかと信じられないほど、鳥は一斉に飛び立ち、木々に隠れていたリスや、視界の隅の藪にいたであろう姿の見えない野生動物も息を飲む勢いで移動した。周囲全体が動いたかと錯覚したほどだ。

 爆発音がした方向には黒煙が見えた。更に光と爆発音が2回続いた。


――(一体、何が?いや、それより結花だ)結花はユキの斜め後方にいた。

 ヘルメットのない結花はユキ以上に音に驚き混乱している。

 とっさに引き寄せようと手を差し出すが、結花の姿はガクンと地面に下がる。

 足を踏み外したのだ。引っ張り上げるため近づこうとするのだが、また爆発音が響く。

 その音に驚いた結花は体制を崩し、崖下へと姿を消す。

 這いつくばるように崖に近づくユキ。野嶽からの通信が入っているが、応えている余裕がない。崖下を確認すると、結花はうずくまっている。

 ほんの2mほどの崖だ。ユキはすぐに降りようとする。結花が立ち上がろうとしているが、岩陰からは野犬が数頭姿を見せる。

 ユキは考えるよりも早く野犬の一頭に体当たりするつもりで崖を滑り降りる。

 あっけなくかわされたが、警戒した野犬の注意は結花からユキに移ったようだ。ヘルメットからは野嶽のユキを呼ぶ叫び声が聞こえる。

 おかげで一瞬冷静になれた。結花の近くに身を寄せ、腰のホルスターから銃を取り出す。

 野犬の位置と数を確認しながら銃の安全装置を外し、同時に野嶽に応答する。


「結花が転落して負傷しました。目の前に野犬が三頭。囲まれてます」

「銃だ!結花を守れ!」

 返事はせず、後は野犬に集中する。野犬も爆発で混乱している。

 牙をむき出し、唸り声をあげているが、膠着状態だ。


「結花、動けるか?」

「うん……」

 野犬から目を逸らせないが、声の出し方で無理をしているのがわかる。

(結花、足を痛めたのか……?)

 崖の上に辿り着いた野嶽に気づいた野犬の一頭が後ろに下がり始めるが、別の一頭は立ち上がろうとして体制を崩した結花に飛び掛かった。

 瞬時に発砲する野嶽。

「ギャン!」と叫び声が響く。

 横たわり、もがく野犬。

 合図のように残る二頭が飛び掛かってくる。


 ユキは発砲をためらった。体は反応していたが撃てなかったのだ。

 結花に襲い掛かる野犬と結花の身体の間に割り込み、左腕に噛みつかれる。もう一頭が飛び掛かってくるが、それに対しては反射的に右手に持つ銃で殴りつけた。もう一度、野嶽の「ユキ!」という叫び。通信だったのか肉声が聞こえたのかはわからない。

――迷っていられない!

 左腕に噛みつき頭を振る野犬の腹に接射で一発撃ちこむ。

 表現できない声を漏らしながらユキの腕を離し地面に落ちる野犬。

 殴りつけた一頭は視界に居ない。

 気を取られているうちに回り込み、未だ立ち上がれない結花に迫っていた。

 飛びつかれた結花はユキと離れ、後退してしまう。そこはさらに崖になっていた。


 転落する結花に飛びつき、抱えたまま崖下に転落していく。




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