13
――三咲組宿舎、ユキの個室。
夕食の後、ユキはトレーニングの後シャワーを浴び、部屋で軽いストレッチをしている。
(今日は変な一日だ)
本日2回目のカレーを一鉄、一葉、野嶽、稲葉の4人と共にした事を思い出す。
表面上はいつも通り取り繕う、という空気に満ちた食卓はあまり居心地のいいものではなかった。只ならぬ雰囲気を察して早々に退散した。
問いただすという選択肢もあるかもしれないが、そんな面倒をかけるほどユキの思考は幼くはない。信頼する人たちが、その方が良いと判断したからこそ取り繕っているのだろう。
早瀬達も何も聞かされずに帰って行った。
気にならないというのは嘘になるが、今は黙っているべきだと考えたのだ。
ユキの個室の窓からは事務所の窓が見える。煌々と点る明かりを見ながら部屋の照明を消し、ベッドに潜り込んだ。
――三咲組事務所
椅子に座る一鉄と机を囲む野嶽、一葉、稲葉。
「事故の原因は?」一葉が訪ねる。
「新国道に残っていたブレーキ跡からしても、ただの事故だ。何かに襲撃された様な痕跡は無かったぜ。この子に関しては、護衛の男が身を挺して庇ったんだと思う」と稲葉が事故現場の様相と護衛の男の遺体の状態を思い出しながら答える。
手には野嶽のヘルメットで記録された位置情報と画像を抽出したプリントを持ち、どうしても腑に落ちない様子で野嶽に質問する。
「……野嶽さん、つまりどういう事なんだ?」
言いながら机に置かれたプリントには少女の靴跡らしき画像や樹木に塞がれた風景に紛れ、鹿や猪、熊までが映っている物もある。
「……俺にもよくわからん。しかし状況から言えることは、あの外人のお嬢ちゃんは間違いなくそこにいて森林地帯に入った。そして生きている。恐らく怪我もしていないだろう」
野嶽は早朝の森林地帯で稲葉から探索を引き継ぎ、少女の捜索を開始した。
一帯をくまなく調べた結果大よそ20cmの靴跡が見つかり、それを追った野嶽。
足跡の周囲に血痕は見つからなかった。その靴跡は迷うことなくほぼ一直線に森林地帯の深部に向かい、あるポイントを境に一切の痕跡を残していない。
野嶽は9歳の少女が行動できるであろう範囲よりも、はるかに大きく探索範囲を広げ、崖、藪、川など危険の多い個所をすべて見て回ったが、遺体はおろかそこに近づいた痕跡すら何一つ見つからなかった。
靴跡の続いていた森林地帯に範囲を絞り込み探索したが、地形的に深部に侵入可能なルートの全てが野生動物たちに守られていた。
「それってまるで……」
黙って口に手を当て野嶽の報告を反芻していた一葉が息を飲みながら呟く。
「森に呑み込まれた」我ながら突飛なことを言っていると思いながら野嶽が続いた。
一同は沈黙する。
野嶽はこんな悪趣味な冗談を言うような男ではない。
そして誰よりも森林地帯に精通している。
机上の画像プリントを手に取り確認する一鉄が沈黙を破る。
「俺は自分では経験していないが、光以外からも似たような話は今まで何度も聞いている。森林地帯に長く関わった人間なら、多かれ少なかれ似たような経験を持つ奴もいるだろう」
森が生き物を隠して守る――秘境とまで言われる森林地帯では昔からそうとしか説明がつかない事例が報告されているのだ。
一葉も稲葉も、実践経験では二人に及ばないが現役のサーヴェイアである。類似する話に心当たりがないとは言えない。
それぞれに思案顔の3人を見渡してから一鉄に向き直り野嶽が言う。
「鉄、お嬢ちゃんは研究対象だと言っていたな。一体何の研究だ?」
「詳しくは俺も知らん。知っている事と言えば、約1年前から藍沢がある国から預 かっていたらしいって事だけだ」一鉄は続ける。
「藍沢は地質と地史学の傍らバイオテクノロジーにも造詣が深い。特に樹木に関する研究で各国ともつながりがあったようだ」
「……何か怪しい研究とかじゃないだろうな?」と稲葉。
「いや、信用できる男だ。北方に研究室を持つ前は暫く西方に居たからな。俺も何度も会っている」野嶽が稲葉の疑問を退ける。
「そうだね。私もそう思うよ」一葉が野嶽を後押しする。
一同の真剣な顔を確認したうえで稲葉が口を開く。
「わかった。信用するよ。そっちの線は無いとするなら、できるのは捜索だけだよな」
一鉄と一葉が頷く。。
地図を広げ、衛星の俯瞰画像を見ながら稲葉が言う。
「ローテーションでしらみつぶしに探すか?」
「親父! 私も行くからな!」
話を蒸し返し始めた一葉だが、野嶽が一鉄と一葉の間にスッと手をかざし、やり取りを中断させ一鉄に尋ねる。
「鉄、藍沢と連絡がつくのは何日後だ?」
「少なくても今日を含めて4日後だ。到着後すぐに連絡を入れると言っていた」
それを聞いた野嶽は改まって口を開く。
「みんな、頼みがある」
それを聞いた全員が野嶽に注目する。
「ユキを独り立ちさせたい」
一鉄、一葉、稲葉は顔を見合わせる。
「おっちゃん、何だってこんな時に……?」
「上手く言えないが、お嬢ちゃんは無事だ。今のところはな」
「それとこれと、何の関係が――」納得いかず苛立った声を上げる一葉。
「一葉」一鉄が声をかけ一葉の言葉を遮る。
野嶽は一鉄に「すまん」と言い、少し間をおいて口を開く。
「俺が今日見た野生動物の数は、通常半日やそこらで遭遇するようなもんじゃない。これまで森林地帯を見てきた俺に言わせれば常軌を逸してる。今のあの森は不可侵状態だ。だが、安全に絶対の保証がない以上、救助に入らないわけにもいかん。あれを無理やりにでも連れ戻そうとするなら命がけになるだろう」
「ユキは俺の手で独り立ちさせてやりたい。時間が欲しいんだ」
真剣な顔で聞いていた一鉄が低く響く声で野嶽に言う。
「お前がそこまで言うなら俺は納得しよう。今あの森には入れない。その間にユキを独り立ちさせたいのもわかった。問題はその後だ」
黙っている野嶽の正面に立ちさらに続ける一鉄。
「光、お前にユキを預けたのは俺だ。気持ちもわかってるつもりだ」
「しかしお前、それが終わったら死にに行くような言い方じゃねぇか。それを撤回しないなら賛成はできねぇな」
「みすみす死ぬつもりはない。最大限の事をする以上、最悪の場合もあり得るという事だ」
「俺たちがお前一人ににそれをさせると思ってるのかって言ってるんだよ」
荒げた声を呼吸で打ち切り、一息ついてから続ける。
「あの子が野生動物に守られて、今俺たちが森に入れないと仮定して、救出のヒントが得られそうなのは4日後、藍沢からの情報だな。そこまで森に守られているんだ、何かがあるんだろう。その間ユキをお前に預ける。その後は全員で救助活動だ。それでいいな?」
野嶽は黙って全員に深く頭を下げる。
「皆がそれで納得なら、わたしは何も言わないよ」
「……マジかよ」
稲葉はそう言いながら再び地図に向かい、画像と位置情報プリントと手にして言う。
「……コタロー?」一葉が稲葉に疑問を向ける。
「あいつが卒業試験受ける間に何にもしないのは寝つきが悪い。その間、俺と軍で こっちの森を見張る。鉄さん、軍に話しつけてくれよ。あと、動物を刺激するなってな。余計に入れなくなっちまう。」
「それはいいが、お前の目も心配だ。交代で――」
「一葉ちゃんを危険地帯に行かせたくないのは俺も同じだ。これくらいさせてもらうぜ」
眉間に手をやり眼鏡を直しながら、熱い視線と会心の笑顔で一葉にアピールする稲葉。
徹底した稲葉の在り様に、3人は感心するやら呆れるやらで棒のように立ち尽くし、しばし稲葉を見つめた。