12
ようやく車に荷物を積んだ頃には日も頂点を過ぎてから随分経っている。
相変わらず稲葉はユキに言いがかりを付けるが、ユキも慣れてきたのか、動揺せずに対応できるようになってきた。
夕食の用意があるという結花をあまり暗くなる前に帰してやりたいと思うユキだが、それよりも目が疲れているのか、運転中や買い出し中に目頭を押さえる仕草が増えた稲葉が気になる。
「あの、大丈夫ですか?」
「ん? ああ。昨日徹夜だったしな。気にすんな」
心配して聞いてみたユキだが、当の稲葉は通りかかった知り合いらしき若い女性に、にこやかに手を振っている。買い物をしている間もずっとこの調子だ。
一鉄と出歩いた時もそうだが、とにかく顔が広く、好意的に受け入れられている。
初対面からまだ半日も経たないうちに印象がめまぐるしく変わる。
表裏が極端な人、と思っていたユキだが、今はこの人に裏も表もなく常にありのまま出しているだけなのかもしれないと考えていた。
荷物を全て積み込んだ二人は、これから役場で銃検査を受ける結花を迎えに行ってから三咲組に戻る予定である。
「そういや夏季休暇もあと半月ちょいだろ。新学期からサボんなよ」
稲葉は言いながらダッシュボードから頑丈そうなハード仕様の眼鏡ケースを取り出し、コンタクトを外し始める。
稲葉がコンタクトをしていることも知らなかったユキだが、周りに眼鏡をかけている人がいないせいか、珍しそうにその様子を観察する。
「自由登校とはいえ、お前はもう少し登校したほうがいいぜ」
「何で稲葉さんがそんな事言うんですか?」
さすがに訝しく思って聞いてみたのだが、その質問に稲葉は呆れたように返す。
「お前学校で寝てばっかだから気づいてないかもしれないけどな、俺は講師もしてるんだよ。非常勤だけどな。」
「ええ? 見たことありませんよ」
「だから非常勤だって言ってるだろ。それに講師といっても、授業なんて滅多にしないしな。」
「じゃ、何してるんです?」
「いろいろやってるぞ。校舎修繕したり、草むしったり、壊れた机直したり」
「それ用務員さんでしょ」
四角の細いフレームのメガネをかけた稲葉はユキに向き直りキメ顔で言い放つ。
「馬鹿野郎、こんなイケメンの用務員がいるか」
「この世のすべての用務員さんに謝ってください」
そんなやり取りをしながら稲葉の運転する車は役場に着く。
探すまでもなく結花が役場の前の階段に腰かけて二人の到着を待っていた。
「あーやっと来たよ。随分買ったねぇ」
車の中にどっさりと積まれた食材や生活用品を見て驚く結花は、次に稲葉を見て心配そうな顔をしながら後部席に乗り込む。
「いやー、待たせちゃってごめんね結花ちゃん。こいつがトロくさくてさ」
言われたユキは反論するのも面倒で小さな溜息をつく。
「そんな事よりコタローさん、大丈夫? 誰か運転できる人に来てもらった方が――」
「あーあー! いいのいいの! 昨日からコンタクト着けっぱなしでちょっと疲れただけだって」
心配そうに見る結花にオーバーリアクションと笑顔で答える稲葉。
(よくわからないけど、何かあるんだな)と察したユキは気になるが、稲葉に聞いも煙に巻かれれそうだと思い何も聞かなかった。
「公道抜けたら交代しましょう。運転は得意じゃないけどゆっくり運転しますから」
「得意じゃないのかよ、情けないねぇ。ま、サーヴェイアに運転技術は無くても問題ないか」
「ええ。問題ないから情けなくありません」とやり返すが、しきりに目頭を押さえていたのを思い出し、「無理させてすみません」と付け加えておく。
「気にすんなって言ってんのに面倒くさい奴だなお前も」
「その辺はあなたに言われたくありませんよ」
後部席で結花が縁側に座る老人の様な穏やかさでそれを眺める。
「二人とも仲良くなったねぇ」
運転席と助手席の二人は歯牙にもかけず、という表情で聞き流す。
運転を交代してからは教習所の教官のような態度でユキにダメ出しし続ける稲葉だった。無事に辿り着きガレージに着くと、一葉がわざわざ待っていてくれた。
視線で稲葉を心配していたのがわかる。
「コタローごめんな、無理させて。知らなかったんだ」
「無理なんかじゃないって。っていうか聞いちゃったんだ」
まぁまぁと一葉をなだめながら、ユキに目くばせをして事務所に二人で入って行く。
荷物はよろしくという事だろう。
(ただ眼が悪いってわけじゃないんだよな)
結花が手伝ってくれようとしていたが、暗くなる前に出発した方が良いと断り、トラックまで猟銃の革製ケースを持って送る。
運転席の窓から顔を出す結花は別れの挨拶をしようとしたが、それを遮って稲葉の事を聞いてみるユキ。
「結花、稲葉さんの目の事何か知ってるなら教えてほしいんだ。言いにくければ本人に聞くけど、あの人はすぐはぐらかしそうだから」
「うん。あんまり詳しくは私も聞かされてるわけじゃないけど、何年か前に廃墟地帯で起こった事件で大怪我しちゃってね」
「そうだったのか」
知らなかったとはいえ、ユキはもっと気を遣えばよかったと思う。
言いにくそうにしている結花にこれ以上聞くのも悪いと思い、できるだけ明るく言葉をかける。
「引き留めて悪いね。気を付けて帰って」
「うん。ユキもたまには遊びに来てよね」
「ああ、ありがとう」と言ってハッと思い出す。
「そうだ、お賽銭借りてた」と言って小銭を取り出そうとするユキに結花は笑いを堪える。
「ユッキーは真面目だなぁ」
ユキはこのセリフをよく言われるが、言われると何故か小馬鹿にされたような気がするのでいつものように答える。
「真面目は長所だ」
「うん。褒めたんだよ」
珍しい反応が返ってきたと思ったユキに笑顔を向けエンジンを掛ける結花。
「じゃ、それはまた今度うちに来て賽銭箱に入れるように」
窓から手を振りながら、日が傾きかけた敷地から結花の乗る小型トラックが出て行くのを見送るユキだった。