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番外編10

「うん。こんなもんでいいかな?」


 三咲家のキッチンではユキと結花ゆか、ニナの三人が見守る中、霞夏かなが刺身の盛り合わせを完成させた。

 一葉かずは菱川ひしかわのための皿と、霞夏を含めたキッチン組四人分のための大皿は、大根と人参の細切りと大葉で飾られて見た目も鮮やか、まるでプロが手掛けたような出来栄えだった。


「す、凄いじゃないですか!」

「うん。これはメインになるねぇ」

 ユキと結花に口々に賞賛されて照れる霞夏は、チラチラとニナを見る。

 ニナはその視線を受けて一瞬考えた後、これでもかと言わんばかりの笑顔で霞夏に言う。


「お姉ちゃん、大好き!」

「ぐはぁ!」

 霞夏は両手で頭を抱えて仰け反る。

 ユキは人はどれくらい嬉しいとこういう反応をするんだろうと思っていた。


 



 所変わって、新市街地の外れのパブはいよいよ賑わいのピークである。

 従業員たちも忙しそうに動き回り、稲葉いなばと馴染みのあるウェイトレスもオーダーを運ぶ途中に別の客にオーダーを頼まれるので休む暇がなさそうだ。

 しかし近くに来たときには必ず稲葉の姿にさりげなく視線を送っていることに、早瀬は少し前から気づいていた。

 当の稲葉は全く気付くことがなく、時折相づちを入れつつ早瀬の話しに聞き入っていた。


「――その一件があって以来だな。菱川が合同訓練で無茶をしたって噂は、ぱったり聞かなくなった。その代り菱川は数か月に一度は東方を訪れ俺に手合わせを願い出るようになった」


(おーおー、その一件で瑠依ちゃんはすっかり健さんにイカレちまったわけか)

 菱川が早瀬に思いを寄せるきっかけになった話が聞けた稲葉は、ニマニマとした表情になる。


「何考えてるか知らんが、お前に伝えたいのはこれから先の話しだ」

「え?こっから? どうせノロケだろ? 何の嫌がらせだよ」


 呆れ顔の早瀬は、敢えてそのまま話を続ける。


「あいつは手合わせに来る度とんでもない技を開発してきていた」

「わ……技? 技ってなんだよ?」


 話しが思いもよらない展開になったため、口に持っていったジョッキをテーブルに戻す稲葉。






 再び三咲家。

 リビングでは、霞夏の力作の刺身に舌鼓を打つ一葉かずはと菱川がいる。


「ああ、因みにですねその西順にししげはまだ東方にいますよ あれ以来大人しくなりましたしね あの一件で出世は遅れたでしょうけど それはまーアレですよ 自業自得ってヤツっスよ」

 菱川はすっかり酒も回り、機嫌が良さそうだ。


「大体早瀬さんに喧嘩売るとかセンスないですよね 頭ぷっぷくぷーのふぁっきん野郎ですよ」


(いや、西順ってヤツは喧嘩売られてしかいないけどな。売ったのお前だし)

 笑顔で相づちを打つ一葉はそう思ったが、気分の良さそうな菱川に水を差すのもどうかと思い、心の中で突っ込んでいた。


「そんで? その後は健さんとどーなったん?」


「ど、どうにもなってないです。暫くは自分の中でも整理がつかなくって。早瀬さんは、私を助けてくれた人は、それまで見たどんな人よりも怖かったですから」

 一葉の問いに少し冷静になった菱川が少し考えながら言う。


「危険地帯に逃げ込んで暴徒化する犯罪者だって、元々は私たちと同じく皆で作った街で生きてきた人間ですよ。きっかけはどうあれ、それが道を踏み外してしまって自分では他にどうする事もできないのかもしれません」


「だから正直危険な人だって思いましたよ。この人が心に闇を抱えて敵に回るようなことがあったら、って考えたらそんな恐ろしいことありませんからね」

 菱川の表情は打って変わって真顔である。一葉も早瀬の家族が暴徒の犠牲になった話しは一鉄から聞いていた。一歩間違えれば、早瀬はまさに菱川の言った通りの危険な男になったかもしれないのだ。


「でも、まずはこの人を止められるようになろうと思ったんです。西順の件のお礼もしたかったので、指令を通じて面識を持って初めてお話ししたときは緊張しちゃって」

 酒を一気に呷り、ぷはっと息をつく菱川。菱川も早瀬の件を思い出したのだろう。気分を変えるための行動と感じた一葉は、わざとらしく意地悪そうな顔で質問する。


「何々? いきなり求愛したの?」

「そ、そんな! ……最初は敬礼されてて、言葉も上官に対する話し方で。でも指令が、立場は気にせず思っていることを言うように命令したら……がっつり怒られました。戦場でもないのに命かけて、有事には命を預ける相手に意固地になって負けを認めようとしない。お前のやってることは西順と同じだって。全くおっしゃる通りで……」

 菱川の表情はみるみるしょんぼりとなる。


「まぁ、いろいろありましたが、話すようになって不思議な人だと思いました。早瀬さんの強さはやっぱりちょっと質がちがうんですよ」

「うーん。健さんが凄いのは分かるんだけど、私はそういうとこ見たことないしね」

 一葉の言葉に、まかせろと言わんばかりに息を吹き返して説明を始める菱川。


「とにかく頭の回転が早い人です。相手がやろうとすることと、実際にできうることを当たり前のように読み取って先回りしてるんだと思います。普段は無口で仏頂面ですけど、ちゃんと優しい人ですよ。あと頭の回転早いけど言葉の方が追いつかないから面倒くさくなって物言うの諦めたりするんですよぉ」

 早瀬を語る菱川はいつのまにやら、また乙女の表情に変わっていた。


「ほーほー そんで?いつ仲良くなるの?」

「なんないんですよ。直後に奥さんと子供さんがいることを知りまして」

 菱川はそこまで言って背後にあるソファに背中を投げ出すように後ろ向きで倒れる。


「そりゃそうですよ。あんないい男ほっときゃしませんって」

 大きな声の独り言のようにブツブツ言い出す。 


「あーなるほどねー」

 実はこの辺は何度も聞いている一葉は、コロコロ変わる菱川の表情を楽しんでいた。


「でもね、いいんです。早瀬さんが幸せなら。だから早瀬さんは私の大きな目標になったんですよ」

 菱川はいきなり立ち上がり、力説を始める。


「理由を作っては東方に行かせてもらって、その都度稽古をつけてもらって、それが終わったら次に東方に行けるまでに必殺技を磨きました」


何度も聞いていたつもりだったが、それは初耳の一葉。


「必殺……? あんた健さんを殺すの?」

「いえいえ! 弟子たるものいつか師匠を超えるために己を磨くものでしょう? 相手が早瀬さんですから、やっぱり殺すくらいの気合いでいきませんと!」


「あんたの健さんへの信頼感、測り知れんわ」


 今度は身振り手振りで当時考えた技を説明しだす菱川の視線は、初恋の人を思い出すように視線は彼方へ向かう。


「あの日は、雨だったなぁ」


 






――四年前の東方軍敷地内。

 東方を訪れた菱川は、雨天のため屋内格技場で訓練する早瀬を訪ねる。


「今日は屋内ですか! よろしくお願いします! 早瀬さん!」

「……まぁ、構わんが」


 個人的に藤田によろしく頼むと言われてしまった手前、断るにも断れない早瀬。

 格技場の片隅で仰々しい金属製のハードケースから、いつもとは違う、黒塗りで先が太い、素振り用の木刀の形をした得物を取り出してきた菱川。


「……それは、何だ?」

 何やら只ならぬ雰囲気を読み取り、菱川に質問する早瀬。


「今回からは、これが私の相棒です。では、手合わせお願いしまっス!」


 早瀬の問いに大した答えもせず、得物を右で脇構えして姿勢をやや低くとる。握られた黒塗りはマット仕上げでも光を反射する。その輝きはどう見ても金属製の物質だ。

 いろいろ気になるところはあるが、期待に満ちた目で自分を見据える菱川に水を差すのも面倒に感じる。きっとまた、新しい技でも開発してきたのだろう。


 自分との手合わせのために考え出されてくる技。早瀬はそれを初見で見切ってしまうため、菱川は常に新技を引っ提げて東方を訪れるのだ。


 もともと生真面目な菱川は訓練にも人一倍ストイックである。

 稽古をつけ始めてから随分と動きの切れも良くなり、早瀬も油断はしていられない。しかし、菱川の考えてくる技というのは確かに決まれば威力は高いだろうが、どうにも実用性に乏しい物が多い。


 さすがに女性であるため筋力で早瀬には遠く及ばないが、得物を使うため弱点とはなり得ない。加えてしなやかな身体はバネがあり、瞬発力に富む菱川。

 当然得意とする戦術もそれを活かしたものが多い。さて今回はどんなものか、と神経を菱川に集中する早瀬。



 間合いを取り呼吸と集中力を整えた菱川が、背後に風を生むほどの勢いで一気に踏み込む。

 我流にも近い戦闘姿勢で間合いを詰めさせず、背後に踏み込み初弾の逆袈裟斬りを躱す早瀬。


 早瀬の眼前の空気を、素直で鋭い、菱川らしい剣線が裂いていく――が、閃く剣線が放つ音はごうと鳴り、同時に早瀬の脊椎に冷たい電気が奔った。


 刹那にあの得物は危険だと判断し、今の素直すぎる斬撃が次に繋げるための予備動作でもあると見破る。

 命の危険を感じて鋭さを増した早瀬の目は菱川の肩の筋肉の動き、足の運びを捕えて次の攻撃が逆袈裟の勢いを利用し、そのまま身体を捻っての胴であると見切るが遠心力が加わった菱川の斬撃は速度を一段と上げ、懐に入る選択肢を捨てて間合いギリギリで後ろへ回避する。

 またも僅か数センチの間合いに鬼一口。すぐそばの空気が唸る黒塗りに切り裂かれる。


 止まることなく空を裂き続ける切っ先がその身を翻す菱川の身体に隠れた瞬間、早瀬から見えない位置で左手一本に持ち替えられ、逆回転するように上半身を捻る菱川の右足は大きく早瀬に向かって踏み込まれる。


 体勢が崩れている。次が最後の一撃である。


 言葉など思いつく間もなく、次の一瞬一瞬に死の予感すらちらつく早瀬は集中力は更に上げ、最早直感で次の攻撃を予測する。

 逆回転で虚を突く攻撃は一度回転を殺したため勢いは失せるはずが、しなやかな身体と菱川のバネ、更に空いた右手で身体の後ろ側にある黒塗りの峰を強く弾き、勢いそのままで返す刀が唸りを上げる。

 左手一本で支えられた黒塗りの金棒の切っ先で床を擦りながら回転し、勢いに乗って跳ね上がり早瀬の脇腹めがけて牙を剥く。


 最大の集中力で先を読んでいた早瀬だが、フルスイングで振りかぶられる攻撃は間合いが広く、躱すことは不可能と判断した早瀬は、全身に火の粉を被っていると錯覚するほどの危機に、本能だけで前に出る。


 早瀬の慧眼は菱川の姿が一瞬止まって映る。

 菱川の瞳は真っ直ぐに自分を見つめ澄んでいる。いつかの自分を追い込むような表情ではなく、のびのびとこの一戦を楽しんでいるのだ。


 それを認識した早瀬は、猛然と襲い掛かる肉食獣の如き爆発的な踏み込みで菱川の懐に入ったが、まだ距離を殺しきってはいない。

 菱川を中心に描かれる円の中心に入るため、咄嗟に左手で菱川の腰を取って引き、自分の身体に密着させつつ右手で襲い来る黒塗りを菱川の手首を掴んで止める。


 二人は勢いのまま半回転ほど回り、菱川の身体の回転もようやく止まる。

 腰を抱き寄せられ、手を取られ、菱川と早瀬は情熱的なタンゴのフィニッシュのような体勢だった。



「いやぁ! 今思い出しても、照れますなぁ!」

 思い出のせいか、酒のせいか、それとも身振り手振り付けて暴れたせいか菱川の身体は全身薄っすら桜色だった。


(健さん、マジすげぇな……)

 初めて聞いたこの後日談に聞き入るうち、一葉は少し酔いがさめるのを感じた。



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