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番外編09

 少しばかり強く吹いた風に土埃が舞う営庭に、数メートルの間合いで対峙する二人の兵。


 ヘルメットを被ったままの西順にししげは大男と言っていい上背に、剛腕で知られるだけあり特に上半身が発達しており、いかにも力強い。

 噴出しそうな怒りと苛立ちを殺気混じりの視線に込めて睨みつける先には早瀬はやせがいる。


 早瀬はスーツのグローブの絞め具合を確認するように手首を動かしながら逆の手でそれを押さえる動作をする。


 西順は自分を見ていないのを確認して素早くヘルメットを脱ぎ、早瀬に向かって叩きつけるようにブン投げる。が、早瀬はそれを当然のように最小限の動きで回避し何事もなかったかのように、ようやく西順と視線を交わらせる。


 大きく舌打ちしてから、目を見開き脅すように口を開く西順。

「ルールは同じでいいな? 訓練に怪我は付き物だ。お前には念入りに教えてやらんとな。……五体満足でいられると思うなよ」


 数名の兵士の手で外野へと連れ出された菱川ひしかわだったが、自分を助けるかたちで西順と戦うことになってしまった早瀬を案じ、未だ整わない呼吸をおして兵士に頼む。

「私はいいから、あの兵士を止めてくれ! 非道な者だが、あの西順が強いのは確かだ!」

 西順と同じく東方の兵とはいえ早瀬という男はまだ若く、体格で見ても比較にならない。徒手空拳で敵うはずがないとその場に居合わせる殆どの兵士が思ったはずだ。

 しかし、菱川に手を貸し営庭の外野へ運んだ兵士の一人が対峙する二人を見ながら言う。


「いやぁ、わからんですよ?」

 早瀬の部下の一人であるという兵士に、苦しさをおしてどういう意味かと聞こうとする菱川だったが答えを聞く前に二人の格闘戦が始まる。


 西順は野太い腕を存分に活かし、まともに喰らえば吹っ飛びかねない攻撃を何度も繰り出す。

 体格で大きく勝る西順の攻撃に対し防戦一方に見える早瀬だが、機敏な動きで捌ききっている。

 そして攻撃の手数が嵩むほどに、一方的に攻撃を繰り出し続ける西順には苛立つ感情が見て取れるようになる。


 早瀬は西順との間合いを自在に詰め、瞬時に離れ、決して正面から受けることはなく半身を切りつつ左右に受け流す。

 西順は力任せに殴りつけるような突き中心の攻撃を踏み込まれることによって誘発させられ、繰り出した攻撃は常に早瀬の身体の外側をかすめるように空を切り、次の攻撃は腕を伸ばす前に反らされる。


 やがて疲労が見え隠れし始めた西順は、必要以上に大振りになり足を縺れさせた。絶好の機会にもかかわらず、早瀬は体制と間合いを整えるだけで攻撃はしない。


 守りに徹しているように見えるこの男の戦い方に、菱川は本能的に違和感と忌避反応を示す。

 自信を持っている自分の間合いであるのに、どんな攻撃も最適打撃を逸する。要するに完全に見切られているのだ。


 そして力任せであるほどに空振りは身体のバランスを失わせ、撃ちだした力と同等に体制を整えるためにスタミナを消耗させられる。

 大きく躱すでもなく、ステップやフットワークを使うでもない。最小限の動きで間合いを支配されていると言ってもいいだろう。

(何なんだ、一体……あの男は)

 同じく接近戦を得意とする者として、こんなに戦いにくい相手は見たことがないと感じる菱川。


 疲労も相まって西順の怒りと苛立ちはピークに達している。

 しかも相手は仕掛けられるタイミングにも手を出してこない。守っているだけで自分を追い込んでくる早瀬に意地になったように手を出し続けるが、西順の拳がその身体を捕えることはなかった。

 ついに自ら間合いを広げて乱れ切った呼吸を整えようとする。肩を上下させ顎から汗を滴らせる西順に対し、眉ひとつ動かさず正面に立って見据える早瀬。


 怒鳴り声と共に踏み込み、つま先で地面を蹴り上げて早瀬に土を跳ねさせる西順。

 後に身を引き、下から斜めに突き上げるようなアッパーを回避するが、直後に繰り出された猪の突進さながらのタックルを躱しきることはできなかった。

 二人の体重差は圧倒的。さすがの早瀬も体制を崩し、その隙を見逃さない西順の両腕で両肩口を鷲掴みにされる。

 スーツごと肩を掴み上げられ、吊り上げられるように早瀬の踵が浮く。


 捕まえてしまえばこっちのものだとばかりに口元を歪ませる西順。

 ようやく訪れた機会、西順は握り潰さんばかりの勢いで満身の力を込めようとする。

「やっと捕まえたぜ! 徹底的にブチのめ――」


 早瀬は即座に西順の二本の腕の内側から自由なままの両腕を通し、外回しに抜け出させて巻きつけるようにそのまま両肘を極める。

 腕の太さは比べ物にならないが、満ちる力の密度は引けを取らない。

 鍛え上げられた頑強な腕で下から上へ、曲がらない方向に肘関節を搾り上げられた西順は苦悶の表情で呻きを上げ、早瀬の両足は再び地に着く。


 呻きを叫びに変えた西順は振りほどかれそうな両腕に再び力を漲らせ、血管が浮き汗に塗れた頭で頭突きをしかける。

 しかしその動きを完全に読んでいた早瀬は一瞬仰け反ってそれを躱し、元の位置に戻ろうとする西順の頭に当然のように頭突きで返す。


 体格で勝るため上から振り下ろされた西順の頭が上がる瞬間を的確にとらえ、鈍い張り手のような音と共に鼻の下と顎に痛打を叩きこむ早瀬。

 短く声を上げ体勢を崩すが、腕は離さない。西順は鼻血を吹き怒りに満ちた表情で叫び声を上げて力づくで前進し早瀬を押し倒そうとするが、早瀬は逆関節を極めたまま西順よりも早く後方に踏み込む。


 勢い付いた体勢は西順の思う以上に前のめりに崩れ、早瀬の力に加え自分の体重が掛かった両肘が軋む音は静まり返った演習場で取り巻く兵士の耳にも聞こえるかと思うほどだ。

 止めさせようとしていた菱川すら、茫然とその光景を見ていた。


「うちの隊長に単純な力やリーチの差は通用しないんですよ。ま、見ての通りですがね」


 鋭さを増す早瀬の目。仕掛けるつもりだと理解した菱川は息を呑む。

 肘の痛みに意思とは関係なく、遂に早瀬の肩から西順の手が離される。苦痛の声を上げた西順と早瀬の身体が離れ、一呼吸も開けずに低い姿勢で西順の懐に飛び込んだ早瀬が相手の右足を左の脇に抱え込んだまま勢いよく前方へ投げ捨てるように放ると、西順の巨体は土埃を上げながら地面に背中を擦らせて数メートル追いやられる。


 負傷した腕の痛みと自分の身体が上げた土埃に表情を歪ませた西順が起き上がろうと、身体を起こすために地面に着いた右腕は外側に弾かれ、訳も分からぬまま再び仰向けに倒れ込む。

 土埃が薄まるとたった今自分の右腕を蹴り飛ばした早瀬が身体を跨いで立ち、見下ろしているのがわかる。


 恐ろしいまでに冷静なその双眸に戦慄し、早瀬に向かい左手を突きだそうとする。

 その手が早瀬を掴み引きずり倒すために伸ばされたのか、それとも次の行動を制止しようとしたのか分かる間もなく、腕が伸びきる前に呆気なく早瀬の足に蹴り飛ばされた。


 必死の形相で上体を上げようとする西順だが、左腕を蹴り飛ばした早瀬の足が西順の胸の中心をゆっくり踏みつけるように置かれ、そのまま体重を乗せられる。

 何とか身を捩ろうとするも、肘を傷めた両腕でその力に抗うこともできず、西順は三度地面に背を着く。


 行動はことごとく弾かれ、下半身をばたつかせるが遂には早瀬に完全にマウントポジションをとられる。

 決して西順を案じるものはいないだろうが、営庭にはどよめきが起こる。


(この人は、強い……)

 菱川は人より多くの努力をし、性別や力量、経験の差に甘えることの無いよう努めてきた。そんな自分の実力にそれなりの自信があった。


 力で相手をねじ伏せ支配しようとするなら、それはただの暴力であり、暴徒と何ら変わりはない。

 そんな相手から誰かを守ろうと志し軍に入ったが、しかし誰もが同じ志しであるはずの自分が行こうと決めた道には、そういう輩が多かった。菱川が訓練地で己よりも強者と思しき者に挑むのは、それらに対しての挑戦でもあったのだ。


 ただの暴力。早瀬はそれとは違うような気がした。

 相手の思考、行動よりも先に動き、相手が攻めることも守ることも許さない戦い方。

 狡猾にして重厚。体格や経験の差など全く感じないほど相手を圧倒する早瀬の強さは菱川の知らないものだった。


「やるなら徹底的に、か。なるほど一理はある。完膚なきまでに打ちのめすのが当たり前だっな?」


 その言葉を聞き、今や成す術もなく恐怖に息を詰まらせる西順。

 誰の目から見ても勝敗は決している。しかし早瀬の瞳の奥から底光る捕食者の威が消えることはない。


「わ、分かった、俺の負けだ。ま、負けを認める……!」

 蚊の鳴くような小さな声は早瀬のグローブから上がる繊維の軋む音にも絶え絶えとなる。

 硬く握られた拳が振り上げられる。


「や、やめろ」

「どうした? 人前で傷めつけて屈服させるのがあんたのお好みだろう。悪趣味なことだが……あんたに合わせてやるよ」


 兵士を振りほどき、早瀬を止めに入ろうと駆け出した菱川だったが、受けたダメージは回復しておらず前のめりに倒れる。

(これでは、同じだ! あの人を止めないと!)


 躊躇なく振り降ろされる早瀬の拳は突然相手の顔を覆った何かに反応し、ピタリと止まる。



「おお、悪い悪い。落としちまったよ」

 一転静まり返る営庭に低く響き渡る声。


 声の主を見ることもなく、振り下ろしかけた腕をゆっくりと降ろし、握られた拳を開く早瀬。

 確認の必要はない。今回の演習は西方と合同だ 訪れていたのは知っていた。菱川の性格を理解していれば、この場に来るのもあり得る話だったのだ。


 降ろしたその手で西順の顔を覆った物を持ち上げる早瀬。


 早瀬の手にあるのはダークブルーのクラウンに仰々しい天張りの入ったトップ、重苦しい金属製の印章、鍔には金糸で連なる葉の刺繍が施されている。

 軍の制帽、しかも高官のものだ。


 相手にマウントしたまま制帽を持ち、面倒なことになったと小さく溜息をつく早瀬。

(どうやったら落とすんだ白々しい)


 一瞬のざわめきの後、水を打ったように静まり返った営庭で早瀬の左方向から足音が聞こえる。


 動かない西順の身体からようやく立ち上がり、左手に制帽を携えてビシリと敬礼する早瀬。

(いつからいたんだ? どうりで静かなわけだ)

 苦笑いで敬礼を返し、制帽を受け取る西方司令官、藤田ふじた 兼重かねしげ


「うちの菱川が面倒かけたな。東方は荒いのが多いと言ってあったんだが、まぁ菱川なりに思うところあってのことだろう。若気の至りってやつかね?」


 早瀬は軍に籍を置いてもう長い。当然藤田のことは知っており、合同訓練に同行する際などに言葉を交わすこともあった。

 軍本部にすら絶大な信用をおかれるその人物は、自分達から見た己の地位を理解しているのかと疑いたくなるほど気さくであり、数え切れぬほどの実績で培われた人柄は緻密に相手を見抜き、ときに豪放磊落でもある。

 底知れぬ深さを感じるその人物は、早瀬のような武骨者には扱いにくく、苦手とも感じるのだ。


「一応聞いた方がいいか? 経緯はどうであれ、互いの了解の上でのことだったはずだ。何故お前は止めに入りこの状況に至る?」

 威厳ある白い髭を蓄えた口元に微かな笑みすら湛えているがその瞳は岩山のように厳しく、齢を重ねた小柄な老人が何気なく立っているだけとは思えぬほどの存在感を放つ。


 その問いにどう言ったものかと思いあぐねる早瀬だが、相手が悪すぎる。

 飄々としているように見え、老獪極まる古強者に自分が頭を捻っても無駄と割り切る。


「……胸糞悪かったからです」

 胸を張り、敬礼の姿勢のまま、目を逸らさずはっきりと言ってのける早瀬に白い歯を見せて大笑いする老人。

(これだから苦手なんだよ。全くこの人は)


「良い答えだ! 平和は大いに結構だが日々の安寧は目的を曇らせ、地位や力は人を傲慢にする。お前のその単純な考えが、人を守る理由であるなら大いに結構じゃないか」


 西順は気絶していた。早瀬に見下ろされ決定的な一打を受ける瞬間、藤田の投げた制帽でいきなり視界を覆われたのだ 自分がどうなったかもわからなかっただろう。

 担架で医療棟に送られ、訓練の時間は終わる。

 そしてその場で起こったことは藤田の同席があった、というだけで全ては不問となった。

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