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番外編08

 両手が塞がったニナのため、ユキはキッチンの引違い戸を開けて落とさぬように慎重に廊下を歩く後ろ姿を見送る。

(……缶ビールと豚キムチ持ってくるメイドさんて、どうなんだろう)



 三咲家のキッチンでは、次の料理が用意できるまでの間にと結花ゆかが用意したピザトーストが完成し、霞夏かなが感激する。

 開けられたオーブンからは、ドライソーセージとチーズの良い香りが流れ出す。


「すごい! こんなの簡単に作れるものなのか!」

「い、いや~、ソースとかも適当に作っただけだし、パンに具を乗せて焼いただけみたいなもんだよ」

 冷蔵庫にあるもので短時間に一品見繕った結花の手際に感動する霞夏だったが、結花にしてみればごくごく手抜きの簡単おつまみでしかなく、褒められて少し困っっている。

「実際、パンとチーズとドライソーセージがあったら誰でもできるよ?」

 大したことはない、と霞夏の言葉に気が引けるのだが、結花からすれば『知っているかどうかだけの違い』でしかなくとも、霞夏にすればそれこそが『できる人間の理論』であり、ますます結花を感心し、霞夏は少し落ち込んできた。

 

 ユキが皿に盛り付けてニナが持つトレイに置く。両手が塞がっているので引違い戸を開けて廊下まで見送った。

 振り返るユキの目には冷蔵庫を物色する霞夏がため息混じりで嘆くのが見えた。

「はぁ、おぁに料理習っておくんだったな」


 ユキの知る霞夏は海春みはるのことをははと呼ぶのだが、姉妹のように育った結花が近くにいるせいか油断したのだろう、と思い聞こえなかったことにする。

 古くから見知った三咲家でも、少し堅めの態度と言葉遣いを崩さない霞夏だが、本来の姿は一鉄いってつ野嶽のだけ鐘観しょうかんのことは総じて『おっちゃん』と呼ぶ。

 いずれも、個人企業であるにもかかわらず西方のみならず知れ渡る社長、一鉄。この行政区はおろか、今や島を代表する存在となりつつあるプロフェッショナルである野嶽。自治隊の顔役であり、地域の総意を背負う立場の鐘観。

 

 それぞれに社長・野嶽さん・鐘観おじさんと呼ばれてしまった『おっちゃん』達の方が違和感を訴えたほどだが、そこには仕事で訪れた身であることと、少しでも大人になった自分を見てほしいという感情があるようだ。


「わ、私だってな? 刃物なら得意なんだ。ほら。」

 誰に話すでもなく、突然冷蔵庫から取り出したジャガイモを剥き始める。手つきは素晴らしく、殆ど見ずに剥いている割にごく薄い皮が延々と繋がっている。

「す、すごい、じゃがいもの皮むきってそうだっけ?」

 林檎でも剥くようにジャガイモをスルスルと剥いていく霞夏に驚くユキだったが、言いながら思った言葉がそのまま口にでてしまう。

「でも、そのイモ何に使う……?」

「うっ!」

 言われて我に返ったように動きを止める霞夏だったが、続けるように結花が促す。

「ポテトフライも作ろうか。せっかく一姉かずねぇがフライヤーまで火を着けてるからね」

 霞夏が数個剥いたイモを適度な太さに切り分け耐熱皿に並べて一度電子レンジで加熱する。結花曰く、この方が揚がりやすく中はホクホクに仕上がるそうだ。


 ユキが揚げ仕事をしている最中、横目に何か探しているらしき結花がユキに聞く。

「ねぇ、ユッキー。フザケた恰好した丸鳥があったと思うんだけど……?」


 あーアレね、と言いながら指さすのは業務用の冷蔵庫だった。

「あ、こっちだったか。どれどれ……あ!」

 業務用冷蔵庫の大きな扉を開け、ごそごそやる結花は声を上げ、何事かと聞くユキ。

「どうかした?」

「セクシーチキンの奥にこんなものが!」


 セクシーチキンって、と思いつつも結花の方へ目を向けると、大きめの発砲スチロール箱を抱える結花がいる。蓋は開けられており、氷が敷かれた上に姿ままの魚が数匹ある。

 いかにも活きが良さそうな魚だが、これをどうにかできる知識はユキにはない。料理達者といえどさすがにこの時代の内陸育ちである結花にも、魚であれば煮るか焼くかというところだろう。


「へぇ、活絞いけじめだな」

 ユキと結花がどうしたものかと考えあぐねていると、覗き込んだ霞夏が鮮度を確かめるようにしげしげと見る。

「センギョ?」

「うん。鮮魚、鮮魚。目も綺麗だし、刺身にでもしようか?」

 良く解っていない結花の質問に答え、事もなげに言う霞夏。


「え? さ、刺身? できるんですか?」

「できるぞ? あんなの切るだけじゃないか」

「切るだけって、あまりにも魚ありのままですけど」

 しっかり血抜きはしてあるようだが完全に魚の原型を留め、鱗もついたままの魚など、どうしていいかわからない。もしも危険地帯でどうしても食べなければならない場面があるとすれば、鱗と内臓を取って焼いて食べるくらいするだろうが、これで料理を作れと言われれば手も足も出ないのだ。


「鮭とヒラメ、あと帆立もあるな。さっきの海老もあるし、刺身でいいならさばくけど?」

 ユキと結花にとって刺身など年に何度も口に入る機会はない。危険地帯に阻まれ街間の輸送は非常に困難であり、西方のような内陸で刺身にできる鮮度の魚は高級食材なのだ。

 一方霞夏は第三地区育ち、北の港町で生活している。一番近い街以外に輸送する手立てが殆どないため、第三地区の住人たちは豊漁の日ともなれば食卓はどちらを向いても鮮魚だらけだ。

 この差はあまりにも大きい。霞夏にしてみれば昔から当たり前のようにやってきたことなのだ。刃物は得意、刺身なんて切るだけ……これこそが『できる人間の理論』である。


 ユキと結花は同時に霞夏に向かってこうべを垂れる。

「よろしくおねがいします!」




 ニナが向かったリビングでは、酒が入り親友でもある一葉かずはに語る菱川ひしかわにもすっかり熱が入っていた。


「そのとき! そのときですよ! 静まり返ってた演習場の兵達の間から出てきたんですよ!」

「へぇ~? 誰が?」

 ソファに座って呑み始めたのだが、今では完全に床に座り座卓をペンペン叩きながら興奮気味で話す菱川に、やや白々しく合いの手を入れて続きを促しながら、ニナにありがとね、と小声で伝える一葉。


 一葉は、菱川が酒を呑めば語るこの話を聞くのは何度目だったろうかと思いながら、ユキが作ったという炒め物を取り分けた小皿からもう一口運び、ユキが作った料理が一鉄のものに似てきたと感じ、少し可笑しくなる。

早瀬はやせさんですよ、早瀬さん! かぁー! 今思い出してもトキメクっス~!」

 菱川は少々、酔っているようだ。

 ちょうど顎の前あたりで両掌を握り合わせて、赤い顔で天井を見上げるようなポーズを取る。普段は決して見せない素顔。一葉は改めて、菱川は自分よりも遥かに乙女なのだと思う。




 

 静まり返る営庭、転がる二つのヘルメット。


「すみません。手がすべりました」

 一言づつ、やたらはっきりと言いながら歩いてくる短髪の男は上背はそれほど大きくはないが、均整の取れたがっしりとした身体付きの一人の兵だった。

 まだ若く、西順にししげよりも年下と思しき兵は言葉遣いとは裏腹に、切れ長の鋭い目つきで西順の目を睨みつけて反らさない。


 取り巻く兵達は息を呑む。

 誰から見てもやりすぎだ。そう思い止めに入ろうとした数名の兵。それよりも早く動き、被っていたヘルメットを脱ぎ西順の頭に向けて、ブン投げたのだ。


 厄介がられてはいても、多くの兵達にとって西順は強者である。若い兵にとっては尚のこと、逆らうことは自分の身を危ぶませるのだ。

 さすがに止めに入るため走った兵達も、そこまではしようとしていなかった。恐らく間に合わなかっただろう。早瀬がそうしなければ、今頃は――。



「お前、早瀬だったな……何のつもりだ?」

 

 ヘルメットを奪い、菱川の顔面を潰そうとしていた西順。もともと士官候補だったとは言え異例の昇進を重ね、あっという間に自分を追い抜いた若く端正な女。

 その女を大勢の前で公然といたぶり、興奮も絶頂だったところに水を差してきた男、早瀬。腕が立つと聞いてはいるが、特別目立ったことをする男でもなかった。



「勝敗なら、もうついている。その辺にしたらどうです?」

「上官様が負けをお認めにならねぇんだよ。これは訓練だ、お前も聞いていただろうが」

 話しながら歩き続けた早瀬は、菱川に馬乗りになる西順のすぐ横に立つ。

 早瀬の目には、菱川に跨る西順の股間が、スーツの上からでも盛り上がっているのが解る。


「……糞か」

 途端、早瀬の眼つきは憤怒に染まる。

「あ? お前今なんて言った?」

「お前は弱いって言ったんだ。糞が」

 営庭は凍り付くように静まる。


「お前は目でも悪いのか? 俺はこの小娘よりも強い! わかるか? 上官よりも強いんだ! 生意気な奴には、軍の厳しさを叩きこんでやらんとな」

「なるほど。弱い弱いとは思っていたが、弱いのはおつむの方もだったか。どうりで棒っきれも粗末なもんだ」

 元来言葉数の多い方ではない早瀬だが、今日は随分とよく喋る。完全に、挑発しているのだ。


「お前は負けてないんじゃない。負けたことにしていないだけだ」

「俺たちはお座敷試合してるんじゃないだろうが、勝ちってのは相手を完膚なきまでにブチのめすことだ!」

「ここが戦場で二人が敵同士なら、あんた二回以上死んでるぞ」

「おい! 若造が……てめぇいい加減にしたほうがいいんじゃねぇのか? 年長者に対する態度はどうした?」

 問答でおされた西順は早瀬に対し、脅すように凄む。


「……生憎、糞に払う敬意は持ち合わせてないんでな」

 バイザーの奥の頬をヒクつかせ、西順が立ち上がる。その見開かれた目には、もはや殺意と言っていい熱狂が滾る。


「……生意気な後輩がもう一人いたらしいな」

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