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 身支度を整えた一葉がガレージに顔を見せたのは、待ちかねた兵士が検査を始めた後であった。

「ユッキーおはよー。ごめんねー」

「おはようございます。さっき事務所が騒がしかったみたいだけど?」

「ああ、煩いのが来てるからさ。ほっときゃいいのよ」

 そう言って検査の兵士を先行して機材を確認して回る。

 準備はユキが整えているので、後は兵士が見て回り、寸法や改造箇所がない事を書類と照らし合わせて確認していく。数が多いので時間は多少かかるが、労力は大したことではない。準備と後片付けに人手が居るくらいである。


(これなら、俺も現場に出ても良かったんじゃ?)

とも思うが、野嶽は急な仕事で既に出発していた。


(そう言えば急な仕事って? 一葉さんはいつもの通りだけど……)

 稲葉が来たことと何か関係があるのだろうかと思いあたり、事務所の窓に何となく目をやると、窓にはイラついたような表情の稲葉が張り付いている。

 視線の先には兵士と笑顔で話す一葉。


(社長の知り合いだし、悪い人じゃなそうだけど……)

 そう思いつつ、一葉を見つめるその表情に若干の不安を覚えるユキ。


 検査は順調に進み、ユキは終わった物から後片付けを始めている。

 稲葉は相変わらず窓から一葉を見ているが、時折鼻の下を伸ばしたりイライラしたりと、忙しそうだ。

 いつの間にか検査も後半に差し掛かり、余裕ができたのか一葉と兵士の雑談も増えてきた。親しくない人間に対しては一葉の口の悪さも目立たないため、相手には 快活な美人に映っていることだろう。お近づきになりたいと思う気持ちもわからなくはない。

 調子に乗ってしまったのか、若い兵士が談笑しながら一葉の肩に触れた瞬間、事務所のドアが壊れんばかりの勢いで開け放たれ、中から文字通り稲葉が飛び出してくる。


「うぉらあ! そこのキャベツ野郎! 俺の一葉ちゃんにちょっかいかましてんじゃねえよ酢漬けにすんぞコラ!」


 勢いに圧された兵士は驚くが、その稲葉の背後に立つ一鉄の貫くような赤く光る眼光で竦みあがる。


「うっせぇぞコタロー! 検査の邪魔だ!」

一葉の大声に更に硬直する兵士達。尚も唸り声を上げる稲葉に一葉が続ける。


「後で遊んでやるから、あっち行ってろ」

 その言葉を聞いた稲葉はパッと顔を輝かせて何度も頷く。

 表情が変わりジロリと兵士を睨みつけ、直後にふふーんと得意顔になり兵士を見下ろす。


 一葉が苛立ったように事務所のドアを指さし、「ハウス!」と叫ぶと、すごすごと事務所に退散して行った。

 後に続いて事務所に戻る一鉄は「お前のじゃねぇけどな」と稲葉の尻を蹴り上げる。


(悪い人では絶対にないけど、思ってたような人でもない、かな……)

 ユキは稲葉に対する認識を改めた。


 その後は兵士との会話も無くなり、検査は非常にスムーズに終わった。

何故かやたら機敏な動きで車に乗り込んでいく兵士達。

 去り際、兵士の一人が一葉ではなくユキに書類の確認を頼んでくる。

 ユキが受け取ると、連絡事項だと言って別の書類も預けられた。


 「では」と手短に挨拶を交わし兵士達を乗せた車は敷地を出て行く。

 事務所のドアからからは稲葉が滑るように躍り出て一葉に擦り寄る。

 ユキは関わらないように事務所に入り、一鉄に書類を渡そうと思ったのだが、事務所の入り口には仁王立ちの一鉄が、再び赤く光る眼光で稲葉を貫いていた。

(これホント、どうやってるんだよ)と呆れるユキ。



 時刻は昼を回り、三咲組では一鉄が昼の支度を稲葉に手伝わせている。

 一葉は事務所で机に向かい書類の確認をしているようだ。

 ユキが一人で検査後の後片付けをしていると、再びエンジン音がガレージに近づく。

 見ると、見覚えのあるくすんだ青の小型トラックが乗り付けてくる。

 中からは大きな革製ケースを抱えた結花が降りてくるが、ガレージにユキが一人だと分かると目に見えて悄然とする。

 ユキがどう声をかければいいものかと考えていると、肩を落とした結花がケースを持ったままトボトボとガレージの入り口をくぐり、入ってくる。

「やあ、ユッキーおはよ」

「もうこんにちはだよ。この前はありがとう」

「だよねぇ、父ちゃんが検査忘れててさぁ。あ、木苺もありがとね」

 言いながら手近な壁に寄り掛かる。

 長めのショートパンツに薄い生地のパーカーを身に付けている。急いでいたのか無頓着なのか、ラフな格好ではあるが、ユキはジャージ姿しか見たことがなかったので、印象が変わるものだと感心する。

「もしかして、銃検査?」と言いながら重そうなケースを預かる。

「うん。うちは三咲んちと違ってちょっとしかないからね。来てはくれないんだ」

「へぇ、検査って弾薬とか全部見に来るものだと思ってたよ」

「まぁ、いろいろあるみたいだよ」


 事務所からは車に気づいた一葉が出てくる。

「おー結花。検査ならとっくに終わったぞ」

「あーもう! 父ちゃんのアホめ!」


(口の悪いのが揃ったな)

 被害を被る前に退散した方が良いかとタイミングを計るユキ。

 事務所のドアからは稲葉が顔を出し、食事ができたことを教えてくれる。

 結花に気づいた稲葉は一葉に見せる表情とは違い、紳士的な振る舞いで、


「やあ、結花ちゃん。久しぶりだね。一緒に食べていくだろ?」

「おー! コタローさんだ。こんちはー」

(いちいち面倒くさい人だな)ユキの中で稲葉の株は既に暴落している。

 一鉄、一葉、稲葉、結花、ユキの5人で食卓を囲む。

 匂いで分かっていたが、昼食はカレーだった。

 一度に大量に作るため、一鉄の作るカレーは3食ほど続くこともあるのだが、時間をかけて肉を煮込み、具として入れる他にもすりおろした野菜やリンゴを加えて整えられた風味は後を引き、とにかく旨い。何食続いても文句が出ないのだ。


 しかし、一鉄がこれを作るときは規模の大きい仕事で食事を作る暇があまりないときと相場が決まっていたはずだ、とユキが考えていると、無言で一鉄を見る一葉が目に止まる。

 一葉も何か感じているようだ。

 稲葉と結花だけは大喜びでスプーンを口に運ぶ手が止まらない様子だ。


「いやー! やっぱりお父さんのカレーは絶品だなぁ! なぁ、おい!」

 稲葉がユキに振ってくるが、ユキは視線を合わせないように無視する。その表情は稲葉の肩越しに見える一鉄の殺気を感じて蒼白だ。

(この人、わかってて何でやるんだろう。その手の趣味の人なのかな)

 タラタラと汗を流すユキを見て結花は遠慮なく笑っている。


「お前も煮込んでやろうか?」

「一葉ちゃんになら食べられても!」

「お前といい、ユキといい、うちの姫に手ぇ出したらどうなるかわかってんだろうな!」


(姫出た。酔ってないのに姫出た)とユキが思っていると、稲葉が目を見開き、わなわなと震えながら凝視してくる。


「迂闊だったぜ……! 真面目なヤツだって聞いてたのによ」

「ちょ、違うって! 俺は……」

 ハッと気づくと食卓の対面には笑いを堪える一葉と、スプーンをくわえたままジト目でユキを冷たく見つめる結花。


――(巻き込まれた!)ユキは状況を理解し、顔を伏せて苦渋の表情を浮かべる。

「てめぇ、一葉ちゃんに何しやがった? 俺の全てで潰すぞ!」

「誤解ですよ! あれは一葉さんが宿舎の風呂に……」

「風呂ぉ? 裸か! 裸見やがったのか! 俺も見たことないのに!」

「見てないって! 一葉さんが脱衣所に……!」言いながら一葉に否定してもらおうと視線を送るが、当の一葉は完全に観戦モードに入っている。

 その隣には相変わらず無言で軽蔑の眼差しを送る結花。


――(最悪だっ!)

 弁護を得られず孤独な戦いを強いられたまま午後のひと時は過ぎて行った。




 台所では後片付けをする一葉と結花の談笑が聞こえる。

(せめて、結花にはちゃんと説明してくださいよ、一葉さん)と心で抗議しながら、途中だった二輪車の整備でもしようと思っていると、あまりに騒いだため一葉に制裁(ご褒美)を受け、消沈しながらも不屈の闘志を燃やす稲葉の視線に気づくユキ。


(大丈夫かよ、この人)

 辟易しつつも、犬のしっぽの様なわかりやすさで第一印象よりも駆け引き不要な気がして、ある種の好感すら覚えるユキ。


「……あの、誤解ですからね」となだめるように言い置き、ガレージに向かおうとすると、一葉から稲葉に指令が下った。


「おーいコタロー、結花を役場まで連れてってくれ。銃検行きたいんだとさ」

「あー、結花ちゃん公道免許無いのか。そろそろおいとまするし、いいぜ」

「ダメだ。結花は帰ってくる足がない。ここまで送れ。ついでに買い出しもしてこい」

(無茶苦茶言ってるな。さすがに断るんじゃ……)とユキが思ったが、

「よろこんで!」

 稲葉はすかさず立ち上がり今までで一番いい声で返事を返す。


(……もうこの従順さには敬意すら感じるな)

 気を取り直しガレージに向かうユキの腕を稲葉が掴む。


「お前も付き合え。いろいろ聞かせてくれよ」

 何故断らずに渋々ながら一緒に行くことにしたのかは、ユキ自身も良く分からないが稲葉の誤解を解こうとか、結花にも納得してもらおうとか、いろいろ考えた末だった気もするが、どこかで(この人面白い)と感じていたのは否定できない。



 そんな二人を眺める一葉と結花。

一姉かずねぇ、あの二人、なんかいいねぇ」

「ん? お前、コタローは苦手かと思ってたよ」

「いや、見てる分には大丈夫さ。イケメンだし。一姉みたいに絡まれるのはちょっとな……」

「あれはあれで可愛いもんだよ?」

「お? 意外だねぇ どこが?」冷やかすような視線を送る結花。


 一葉は小さく、んー……と唸った後、

「……駄犬ぶりかな……」


 一斉に笑い出す二人。

 それを見る苦労人と駄犬であった。


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