子供達
島のホームページによれば、島には、“神子”と呼ばれる信仰対象が存在していて、その守護役として数人が住まっているらしい。住民は十名以下で、日々の食事などは神子様の力によって得ているというから、何らか大きな宗教団体の力が働いているのかも知れない。
(それにしても、良いところ!)
正直、こうして実際に到着してみるまでは、そんな宗教じみた島へ何故兄が行ったのか、その意図を理解し切れなかった。今に至って、雄大な自然に温かみのある風景、心地の良い風、加奈子は島に優しく抱かれ、兄がこの島を選んだ理由を何となく理解させられた。
だが、とにもかくにも、その守護役の人々に会わなければ、話が始まらない。加奈子は、まとわりついてくる抱擁の腕を振り払って、道なりに木々の茂る方へと歩みを進めた。
ひどく香りの良い花を付けた樹が、いっぱいに並んでいる所まで来ると、加奈子は思わず立ち止まって、空を覆うその枝振りを見上げた。
「キレイだよね。お姉さん」
そんな加奈子に、後ろから誰かが声を掛けた。
「多分この花は、この世のどこの花よりも、キレイなんだよ」
「そうなの? それは、どうして?」
「どこのどんな花よりも憎まれて、それ以上にどんな花よりも愛されたから」
振り返ってその声の主を見て、加奈子は少し驚いた。体格や声は、十に足りないぐらいの小さな男の子のそれと一緒なのに、その表情だけが、とても穏やかに見えたからである。
「そうなんだ。……あなたは、島の子?」
「ううん、違うよ。僕は康弘っていうんだ」
しかしすぐに、加奈子の注目は男の子の表情から、その落ち着いた口ぶりへと移った。口調はともかく、言葉一つ一つが丁寧だし、全く詰まりもしない。幼少の男の子特有の高い声と、大人びたその対応のギャップに、加奈子は少なからず違和感を抱かされた。
ただ、取るべくもないそんな疑念に動かされる訳にもいかず、加奈子は男の子にしゃがんで向き合って、
「康弘君か。康弘君、ここの守護役さん、ってどこに居るか分かるかな?」
と尋ねた。男の子、康弘は少しの間考えた後、右手の人差し指だけを上に立てて、加奈子の目の前に差し出した。
「お空に居るよ」
「……お空に?」
「うん。ちょっと前に行ったきり、帰ってこないんだ」
加奈子は、急に康弘への興味を失った。この男の子は、なるほど年相応の、悪戯っ子だ。
「そっか。じゃあ、神子様はどこ?」
「神子様? 神子様は、いつでも、神社の方に居るよ。ここを真っ直ぐ行ったところ」
康弘は、立てた人差し指を、さっきまで加奈子が歩き続けていた方へと傾けた。
「じゃあ、私は行くね。バイバイ、康弘君」
「行かない方が、良いと思うなぁ。あそこは、牢獄だから」
「ふふ、なら、気をつけて行く事にするね。ありがとう」
頭を軽く撫でてやってから、加奈子はまた振り返って、元の道を歩き始めた。よく分からない男の子だったが、少なくとも助かった事には違いない。通りすがりの男の子に、加奈子は心中感謝した。
康弘の言うとおり、木々の間を抜けると、遠くに小ぶりな鳥居が見えてきた。
(神秘的って感じじゃないなぁ)
神子様が居ると言うからには、もっと神格化された、仰々しい建物があるのかと思っていた。拍子抜けである。段々と近付くに連れ、その感覚はより強くなっていった。
鳥居をくぐって中へ入ってみる。神子様が居るのであろう一番大きい建物の前にある賽銭箱は、ひどく年季が入っているようだ。賽銭箱の奥では、ふすまで閉ざされているようながら、建物の一室があらわになっているようだった。
「すいません、誰かいらっしゃいませんか?」
加奈子は、失礼にならない程度の音量で、そう声を掛けた。守護役の人々は出払っているのか、近くで返答する声は聞こえてこない。
「すいません、誰か」
もう一度、さっきよりも少し大きな声で言おうとした時、ほとんど何の音もなく、目の前のふすまが開いた。
「……どちら様ですか」
ふすまの奥で加奈子に応答したのは、薄桃色の着物を着た少女だった。着物は、強く色を放ってはいないのに、何故か絢爛に見える。
「山田加奈子と申します。神子……様、ですか?」
「そうです」
神子は、こんな少女だったのか。さすがにさっきの男の子よりは年長のようだが、十二,三ぐらいにしか見えない。だが、徹底した無表情と冷たい声は、何となく威厳を感じさせた。
「わたくしに、何か御用ですか」
「いえ……ええっと……。神子様の、守護役の方はいらっしゃいますか?」
少女の肩が、びくんと揺れたように加奈子には見えた。
「……ここにはおりません」
「そうですか。あの、どこにいらっしゃいますか?」
「わたくしには分からない事です」
そう言うと、少女はピシャン、とふすまを閉じた。閉じしな、大きいクリッとした目が、一瞬加奈子の後ろを見たのに、加奈子は気付いて振り返った。
「あーあ。神子様、怒っちゃった。中々会えないのになぁ」
いつの間にか賽銭箱に座っていたらしい康弘の視線が、加奈子の目を射抜いていた。