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黒の蛇たち  作者: さらさら
Ⅰ.露出
2/8

世話役

 島は、南国のリゾートというほどではないにせよ、東京の真ん中に比べれば、暖かい春のような空気だった。風は確かに冷たいのだが、どこか、体中を包み込むような陽気がこの島にはある。拓也はそう感じながら、島の船着場へと降り立った。

「現地の案内の人が、四人、来るからね。待ってて下さい」

 老けた船長は、たどたどしい敬語でそう説明した後、船に戻った。そしてそのまま、現地の案内人の到着を待たずに、船は逃げるようにして出発した。

「ほら、あの辺りは、ヒイラギが密生しているようですよ。これは凄い」

 朝倉は、デジタルカメラを起動して、早速何枚か撮ったようだった。こうして急く奴ほど、ろくな写真は撮らない、と拓也は思った。

 一分も経たない内に、そのヒイラギの群生地の辺りから、今は去りし船長の言っていた案内人と思われる四人組がこちらへと歩いてきた。しかし、三人は老若の差あれど大人の男なのだが、あとの一人が十四,五歳ほどの少女に見える。

「皆さん、ようこそです!」

 近付いて、そう拓也達に声をかけた頃には、幼い少女だという事がより明らかになっていた。身長も、周りが男達とは言え、格段に低い。

 少女は、続けて言った。

「この島には、私達四人に、神子様一人を合わせた五人しか住んでいませんです。でも、空き家がありますですので、そこにお泊り頂きますです」

 愛らしいながら、ハッとするほど響く聞こえ易い声だった。そのまま、五人の所へと駆け寄っていって、地図を手渡す。拓也も、地図を受け取りながら、その無垢な微笑みに見とれた。

「地図の中にある、エーからエフの六つの家から選んでください」

「それぞれの間取りは、どうなっているのかね」

「裏に書いてありますです」

 拓也は、地図を裏返してみた。なるほど、間取りを表すための簡易マップが六つ並んでいる。六つの間取りは、大体どれも同じ大きさで、部屋の配置にも大差がない事を示していた。不動産屋の意地なのか、友田はどの家にするか迷って目を凝らしていたが、それよりも、拓也には気になる点があった。

「右下の真菜クイズというのは何だ?」

「それは、私からの暗号クイズなのです。解けたら、私の所に来て下さい。賞品を差し上げますです」

 間取り図の右下の隅の方に、小さな可愛い文字で“真菜クイズ”と書かれていた。そのすぐ下には、『くいりせもい』とある。

「賞品は、何だ」

「秘密なのです。とは言っても、弱冠二十歳の真菜こと私が一生懸命に考えた賞品ですから、期待して下さって大丈夫なのですよ」

 拓也は、何よりも彼女が二十歳という事に驚いた。表情、言葉遣い、身長、そのどれもが二十歳よりはかなり幼い。真菜は、にこっ、と笑って、大宮の方へと駆けていった。

「エーとビーとシーが残っているみたいです。山田さんは、どれにしますか?」

 木田が、三つの鍵を示して、拓也に尋ねた。

「俺は、エーだ」

「分かりました。では、私はシーにしますね」

 何やら、あえて離れたアルファベットを選ばれたような気がして、心中怒りながら、拓也は木田から柄の部分にエーと彫られている鍵を受け取った。もう一度地図を裏返して、表の地図で確認すると、エーの家はここからすぐ近くにあるようだった。

「これから、神子様のいらっしゃる神社へとご案内しますです。ですが、先に家に入りたいという方は、仰って下さいなのです。家の方へ、案内人がご案内しますです」

 拓也は、神子様という言葉に、妙に惹かれた。良い写真が取れる気がする、という心の騒ぎを覚えたのである。そんな拓也の隣で、大宮と朝倉が高く手を上げた。

「わてらは、早い目に家で落ち着きたいですわ。朝倉さんは、船酔いですよってに」

 あれだけ喋っていた朝倉は、今、青い顔をしていた。毒でも盛られたかのような突然の変化だが、船中で彼女は何も飲食していなかったから、本当に船酔いなのだろう。

「分かりましたです。では、こちらの、富岡と駿河に案内させますですので、付いていって下さいなのです」

 若い背の低い男と老けた背の高い男が、にこやかにお辞儀をして、朝倉と大宮の隣に付いて歩き始めた。黒い服をまとっている男たちは、さながらSPである。名札には、真菜の言うとおり富岡と駿河と書かれていた。どちらも、微笑みを湛えている。

 真菜は、華やかな笑顔そのままに、

「私達も、行きましょうです」

 と、三人を手で誘導した。最初に友田が動き出すと、次に木田、そして拓也の順で歩き出す。一番後ろに案内人の男が付いて、五人一列となって、さっきのヒイラギの群生地の方へと進み始めた。

 たくさんのヒイラギの下を通った時には、朝倉の言っていた通り、控えめな香りが拓也の鼻をくすぐった。

「霜月ヒイラギ、と私達は呼んでいますです。その名の通り、ここのヒイラギは昔から、十一月の一日に花開き、三十日には花を落とすのです」

「綺麗ですね……それに、いい香り」

 拓也は、見上げた絶景に、カメラを出して撮りたいと思ったが、真菜が立ち止まる事無く歩いていくので、今は諦めてまた一人で撮りに来ようと決心した。

「しかし、ここは暖かいね。何か理由があるのかな」

「寒気が、山にぶつかって止まる、と聞いておりますです。なので、小さい島なのですが、島の反対側は寒いのです」

 真菜は、どこか急いでいる様子で、息を弾ませながらそう説明した。時間は、三時十五分ちょうどで、気温的にも最高気温を記録しやすい時間帯になって、木々の間は船着場にも増して暖かかった。

 それから、いくらか林の端のような道を歩くと、遠くにこじんまりとした神社の姿が見えてきた。一応、鳥居と主たる建物はあるのだが、門がない。そのまま歩いて、小さな鳥居の前まで来た時、やっと真菜は立ち止まった。

「申し訳ありませんですが、今日は鳥居までしかご案内できませんです。元々、私達四人は神子様の護衛役なのです。今は、私と島谷しかおりませんですので、神子様の安全の為に、これ以上はお見せできないのです」

 真菜の隣の男、島谷もこくりと頷いた。

「護衛役か。その割に、君は女性だね」

「神子様も、女性でいらっしゃいますですから、私のような話し相手が必要なのですよ」

「どんなお話をするんですか?」

「……それは秘密なのです」

 真菜は、顔を伏せながらそう答えた。

(神社の写真か。悪くない)

 時間の経過を感じさせるくすんだ朱色をした鳥居を小さく見上げ、拓也はリュックを下ろしてカメラを取り出した。一枚撮っておけば、どこかへ出品する種にはなる。ビルはどうにも向かない素材だったが、他ならば美しい作品を撮る自信が、拓也にはあった。

 二,三分ほど、様々なアングルから鳥居を撮影し、拓也が満足してカメラをリュックサックにしまった頃、島谷が真菜に何かを耳打ちした。

「では、そろそろ、家の方に案内しますです。私は神子様の許へ戻らねばなりませんですので、島谷に付いていって下さいなのです」

 真菜は、ぺこりと頭を下げると、よろしくお願いします、と一言告げて、鳥居をくぐって向こうの建物の方へと駆けていった。

 代わった島谷という男は、真菜と比べるまでもなく、無口だった。何も話さないまま神社を出発し、さっき通った林を横切るようにして進むと、そこがエーの家だった。




 エーの家は、空き家ではあったものの、住んでいた人が突然に消失してしまったような、異質な空間だった。例えば、テーブルや椅子、ソファーなどの家具は、使い込まれてはいるものの置き去りにされているし、冷蔵庫には十数年前のマーガリンが未だに残っている。一体、この家に住んでいた筈の住人は、何を考えてこんなに物を残していったのだろう。拓也はそう、訝しく思いながらも、ちゃんと通っているらしい水道の栓を回して、風呂に水を溜め始めた。

(東京にはない風景だな)

 ソファに座っている間にも窓から見えている風景は、全体として緑掛かっていて、島の自然の豊富さを思わされる。拓也が、彼らしくもなく自然の美しさに見とれていると、入り口の扉が静かに開いた。

「やあ。山田さん、だったね」

 外から入ってきてそう拓也に声を掛けたのは、さっき朝倉と大宮を一足先に家へと案内した二人の男の内、背の低い方の若い男、富岡の方だった。富岡は、爽やかな好青年といった風で、体は優男のそれと同じで、非常にしなやかに見える。

「ああ。そうだが、何の用だ」

「いやいや、そう警戒しないでも良い。ただ、カメラマンってのは、独特の感性を持っているそうだから、話をしたいと思ってね。朝倉さんは船酔いでダウンと来ているし、山田さんが適任だった」

 拓也は内心、カメラマンとして自分が見られた事を、快く思った。

「丁度良い。この島の住人はどうなったのか、聞かせてくれ」

「やっぱり、そこが気になったか。まぁ、二つ話はあるんだけどね」

 富岡は、テーブルとセットになっている椅子を、ソファに座っている拓也の前へと置いて、そこへ腰掛けた。やはり男にしては、かなり腰が細い。その割にどっしりとした渋みのある声に、拓也はドキッとさせられた。

「まずは、神話的な話だ。三百年の歴史を誇る神子様を、ある時、島民が殺めようとした。だが、企みは失敗、怒った神子様の神秘の力によって、島民は全滅した。今では、島に残るのは、神子様と、神子様を守ろうと奮闘した四人の勇士のみ。こっちの話だと、俺にも勇気があるらしいね」

「実際はどうなんだ」

「もう一つ、こっちはリアリティのある話だ。三百年の歴史を誇る神子様は、実はとある企業の社長の娘で、娘が神社で祀られてみたいと言ったから、十年ほど前にこの島を買い取って島民を追い出すと、神社を建てて娘を住まわし、身の回りの世話をする者を四人付けた。携帯電話の基地局、水道、電気、ガス、この辺も社長が全部整えたんだな。今でも、島に居るのは、社長の娘の神子様と、その恩恵に与って快適な生活と金を手に入れた四人の人間のみ。こっちだと俺は、守銭奴かも知れないな」

 拓也には、富岡の言わんとしている事が何となく分かった。つまり、後の方の話が事実で、社長の娘を神格化する為に作ったのが先の方の話なのだ。

「金持ちは恐ろしい」

「おっと、俺はもちろん、最初の話が本当だと思っているんでね。勘違いしないでおくれよ」

 富岡はそう、小さく笑った。

「さて、俺は他も回らないといけないんだ。すまないが、今日はこのぐらいで帰らせて貰うよ」

「ああ」

 カメラマン、と持ち上げた割には、あまり話を聞かれなかったな、と思いながら、立ち上がる富岡に合わせて拓也も腰を上げた。

「いやいや、座っていてくれ。見送らせるのは、心苦しいんでね」

「そうか」

「ああ。……ま、この島を気に入ってくれるよう祈ってるよ」

 拓也が言われるままにまた座るのを見ながら、富岡は足早に部屋を出て行った。

(何だ、慌ただしい)

 そう心の中で毒づきながらも、拓也は富岡を、好ましい存在に思った。ああやって、自分に話し掛けてくれる人は、そう多くない。その多くない人の中でも、富岡は特に爽やかで良い男のようだった。

 出していた水の事を思い出して、拓也は風呂場へと戻った。水道の栓が、どうも緩いらしく、溜めた時間の割に、水はそこそこ溜まっていた。どうせ一人で入るのだから、と、拓也は水を止め、ガス栓を回して風呂を沸かし始めた。音はゴゴゴ、と物々しいが、どうも加熱は遅そうだ。

(大体、三十分ぐらいか)

 拓也はそう定めて、また部屋へと戻った。テレビもないから、この際なので家中の探検でもしてみようと、奥の和室へと入ってみる。暗幕に遮光されて真っ暗な部屋に電気を点すと、和室には和風たんすや立派な囲碁盤のほか、部屋の真ん中には丸机が置かれていた。丸机の上には、古い埃を被った本が、山積みになっている。

 普段の拓也なら、あえて本を手に取る事はしなかったのだろうが、今の上機嫌な拓也は、少し厭いながらも上から二番目の本を掴んで開いた。本の表紙は真っ黒になっていて分からなかったが、一ページ目には大きく、『神子伝説』と題名が書かれていた。

『神子様は、古く昔から島に住んでいらっしゃいました。鉄を水に変え、恵みの雨を降らす神子様は、島の誇りでした。神子様の生まれには諸説ありますが、難産だったという説が現在の主です。神子様と一緒に産まれた双子の片割れの女の子は、二人とも死産になる所だったのを、神子様を助ける為に自ら命を投げ打って胎内で死されていたらしく、産声を上げたのは神子様だけでした。神子様は、この世に生まれてよりすぐ、その事を悲しみ、泣いたと伝えられています』

 そんな文章から始まる『神子伝説』は、その後も同じ言葉の流れで、つらつらと続いているようだった。拓也はすぐ、読むのを止めようと思い始めたが、不思議と手から本から目を離せず、ついに最後のページまで辿り着いてしまった。

『神子様は、島を滅ぼしました。神子様に対して、島民が暴虐の手段を取ったからです。神子様は、自らと、命を投げ打って彼女を救った双子の片割れの女の子に対する冒涜を、お許しになりませんでした。島は、滅び、島民は、滅す。かくして、神子様は、神子様となられたのです』

 そこで、本は終わりになっていた。拓也には、全体としてぼんやりと輪郭が掴めた程度で、深い内容は全く理解できなかったが、ただとりあえず、最後の部分に違和感が感じられた。

(……誰がこの本を書いて、誰が売って、誰が買ったというのか)

 拓也は違和感の原因を、そんな矛盾に求め、納得した。島民が全滅したのなら、誰にも書けないだろうし、誰にも売買できないだろうという考えである。

(もう三十分か)

 腕時計の分針は、さっきとは正反対を指している。拓也は、手に持った『神子伝説』を、少し迷ってから元の机へと放り投げ、和室を後にした。

 放り投げられた『神子伝説』は机に積まれた本に的中し、山は崩れて丸机の外へと散らばった。散らばった本のタイトルは、『神子民話』『異説神子神話』『神子の謂れ』……その全てが、神子伝説に関わる書籍である事を示していた。

 風呂に入った後、拓也は持参した発泡酒を一缶空けると、酔いが巡るまでにと窓から外の景色を見た。時計は午後五時を指していて、外は見事なまでの夕焼けに包まれているようだった。つい、外の空気を吸いたくなって窓を開けてみると、夕方になって冷たくなったらしい空気が、拓也の頬をかすめて吹き込んできて、拓也はすぐに窓を閉じた。外の気温は、昼と夜で大きく違うらしい。拓也はリュックからカメラを取り出すと、窓枠を含めた外の景色の写真を、二,三枚撮影した。現像は東京に帰ってからになるが、良い写真が撮れているという根拠なき確信が、拓也にはあった。

(後は明日で良いだろうな)

 拓也はそうと決め込んで、発泡酒の缶三つ,四つと裂きイカの袋をリュックから取り出し、机に置くと、プルトップを起こして口に運んだ。

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