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過去を知った夜、俺は泣いた

「ご主人様」


「なんだ」


「私、幸せです」


「……そうか」


「前のご主人様は、酷い人でした」


 シエラの声が、少し震えた。


「殴られたり、蹴られたり……」


「……」


「ご飯も、一日一回しかもらえなくて」


「……」


「寒い部屋で、床で寝てました」


「……」


「時々、怖いお客さんが来て——」


 シエラが、言葉を途切らせた。


「……何をされた?」


「……言いたくないです」


 シエラの手が、震えている。


「でも、逃げられなかった。どこにも行く場所がなかったから」


「……」


 俺の目から——


 涙が、こぼれた。


「っ……」


 十五歳の女の子が。


 こんな目に遭ってたのか。


 俺と同じ世界に生きてる人間が。


 こんな酷いことをしてたのか。


「ご、ご主人様!? 泣いてるんですか!?」


「泣いてない……」


「嘘です。涙が出てます」


「……これは、汗だ」


「目から汗が!?」


 シエラが、慌てて俺の涙を拭った。


「あの、私のせいですか? 悲しいこと言っちゃいましたか?」


「違う……お前のせいじゃない」


 俺は、シエラの手を握った。


「俺が——もっと早く見つけていれば」


「え?」


「お前に、そんな思いをさせなかった」


「ご主人様……」


 シエラの目が、大きく見開かれた。


「私のために……泣いてくれるんですか?」


「うるさい……泣いてない……」


「泣いてます」


「泣いてない……」


 シエラが——


 俺を抱きしめた。


「っ!?」


 シエラの体が、俺に覆いかぶさっている。


 柔らかい胸が、俺の顔に押し付けられた。


 小さいけど、確かな膨らみ。


 いい匂いがする。


「し、シエラ!?」


「ありがとうございます……ご主人様……」


 シエラが、俺の頭を撫でた。


「こんなに優しいご主人様、初めてです」


「っ……」


 ——やばい。


 感動してたのに。


 シエラの過去に泣いてたのに。


 今——


 めちゃくちゃ興奮してる。


 シエラの胸が、顔に当たってる。


 シエラの体が、俺に密着してる。


 柔らかい。


 温かい。


 いい匂いがする。


 ——待て。


 俺、今、何を考えてる?


 かわいそうな過去を聞いたばかりなのに。


 シエラが泣いてたのに。


 俺も泣いてたのに。


 なのに——


 興奮してる。


 かわいそうな少女に興奮してる。


 ——俺、人の道を二重に外れてないか?


 一つ目:十五歳の女の子に興奮してる。


 二つ目:過去に酷い目に遭った女の子に興奮してる。


 ——犯罪者どころの話じゃない。


 ——人間として終わってる。


「ご主人様? 顔が赤いです」


「っ……!」


「体も、熱いです」


「お前のせいだ……」


「私のせいですか?」


 シエラが、首を傾げた。


 ——可愛い。


 ——いや、可愛いって思うな。


 ——お前は今、最低のことを考えてたんだぞ。


「反省しろ……俺……」


「え? 何がですか?」


「なんでもない……」


 シエラが、不思議そうな顔をしている。


 ——知らないほうがいい。


 俺の頭の中は、知らないほうがいい。


「でも、あなたは違う」


 シエラの手が、俺の頬に触れた。


「優しくしてくれる。綺麗な服を買ってくれる。美味しいって言ってくれる」


「そんなの、当たり前のことだ」


「当たり前じゃないんです」


 シエラの目から、涙が溢れた。


「初めてなんです。こんなに、大切にしてもらえたの」


「シエラ……」


「だから——」


 シエラが、俺の顔を覗き込んだ。


 涙で濡れた青い瞳。


「私は、もう——あなたから離れられません」


 シエラの唇が——


 俺の唇に、近づいてきた。


 シエラの吐息がかかる。


 甘い匂いがする。


 シエラの目が、潤んでいる。


 長いまつ毛が、俺の視界いっぱいに広がる。


「っ——」


 キス——される。


 そう思った瞬間——


 シエラの唇が、俺の額に触れた。


「……おやすみなさい、ご主人様」


 シエラが、微笑んだ。


 いたずらっぽい笑顔。


「お、お前——!?」


「ふふ。ご主人様、顔が真っ赤ですよ」


「うるさい!」


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