5話「先代の辺境伯爵と現在の辺境伯爵」
「おお、よく来たね。
君が……の……だね」
「申し訳ありませんでした!!」
僕は辺境伯爵に向かって深く頭を下げた。
「辺境伯爵閣下が後妻として所望されたのは、癒やしの雨を降らせるセリアン・エルゼンベルク侯爵令息ですよね?
僕はそのいとこのノエル・リーベと申します!
僕は少量の水を出すだけの無能で、とても辺境伯爵閣下のお役には立てません!
支度金を払って頂いたのに、僕のような役立たずが来てしまって申し訳ありません!!」
額に汗が浮かぶ、ガタガタと足が震える。
怖くて逃げ出したい!
でも、許しを得る前に立ち去る訳にはいかない。
「クラウス、これはどういうことだ?」
「どうやらノエル様は、思い違いをしているようでございます」
辺境伯爵と執事長さんが何か話している。
「なるほど、そういうことか。
ノエル殿、顔を上げよ」
僕は怖くて顔を上げられなかった。
「しかし……閣下」
「閣下など、他人行儀な呼び方をせずとも良い。
そなたはわしの家族になったのだから」
辺境伯爵の声色はとても優しくて、怒っているようには感じなかった。
僕は恐る恐る顔を上げた。
辺境伯爵と目が合う。彼は顔に皺を作りにっこりと笑った。
「わしがこのように厳つい顔をしているせいで、ノエル殿を萎縮させてしまったようだな」
「いえ、そのようなことは決して……」
本当は恐怖で膝が震えていたとは言えない。
「ノエル殿、こちらに来てはくださらんか」
「……はい」
本当は近づくのはちょっと怖い。
だけど、ベッドに座っている人に動いて貰うわけにはいかない。
こちらから近づくしかない。
近くで見る辺境伯爵は、貫禄と威厳を備えていた。
側に立っているだけで威圧感が半端ない。
「ノエル殿、あの時と変わらぬ優しい表情をしておられる」
「えっ……?」
辺境伯爵の言い方だと、僕と面識があるようだ。
「ノエル殿は少し背が伸びたようだ。
わしはあの頃より皺が増えたかのう」
辺境伯爵が顎髭を撫でながら、目を細めた。
彼は息子や孫に向けるような穏やかな表情をしていた。
「ノエル殿は勘違いをしておるようだ。
わしが嫁にと望んだのは、エルゼンベルク侯爵家の嫡男ではない。
ノエル殿、そなただよ」
「僕を……ですか?」
少量の水を出すことしかできない、無能な僕に何の用があると言うのだろうか?
見た目だって金髪碧眼で容姿端麗なセリアンに比べたら、地味でありふれた顔をしてるし。
「二年前の社交界初登場式を覚えているかね?」
「はい」
確かセリアンのお下がりの礼服を借りて参加した。
セリアンは友人と話していたけど、僕は話す相手もいなくて庭をプラプラしていた。
確かその時、誰かに……。
「あの時、ガゼボにいた老人に水を届けた事を覚えていないかね?」
そういえばガゼボで咳をしてる男性がいて、その人に水を出してあげたような……?
「あの時の厳つい顔のおじさん……失礼しました」
本人を前に厳つい顔のおじさんはいないよね。失礼だよね。これは本当に怒られても仕方ないやつだ。
「はははっ! そうだ! 厳つい顔のおじさんだ!
思い出してもらえて嬉しいよ!」
辺境伯爵は気にした様子もなく豪快に笑い出した。
「実はあの時、王太子に嫌がらせをされていてな。
長時間、ガゼボに待機させられていたのだよ」
あの人ならそういう嫌がらせをしそうだな。
「王太子に『陛下がお越しになるまでここで待機せよ』と言われ、ガゼボで待っていた。
しかし、いくら待っても陛下はお越しにならない。
お茶を持ってくるように言いつけた侍女は、一向に帰って来ない。
側を通る人間はおるが、誰もわしの声など聞こえないかのように通り過ぎていく」
透明人間のように扱われるのは、想像しているよりずっと堪えるかもしれない。
「その日は酷く乾燥していて、戦場で鍛えたわしも喉の渇きには勝てず、もはやこれまでかと思った……。
だがそこに天使が現れたのだ」
天使……?
「そなただよ、ノエル殿。
そなたは何も言わずに水を差し出してくれた。
そなたにとってはただの水でも、わしには命の水のより価値のある物に思えた。
ノエル殿、そなたは喉だけではなく心を潤してくれたのだよ」
辺境伯爵は眉がゆっくりと弧を描く。
僕を真っ直ぐに見つめる辺境伯爵の瞳の奥には光が宿り、表情はとても穏やかだった。
僕の水が誰かの役に立っていたんだ。
胸の奥がジーンと熱くなるのを感じた。
「そんな、僕はただ水を届けただけです。
たまたま水を出す能力を持ってたからで、その能力だっていとこのセリアンに比べたら、全然大したことなくて……」
「ノエル殿、御自分を卑下するな。
例え万人を救う能力を持っていたとしても、人を助ける気持ちが無ければ意味がない。
逆に小さな能力でも、人を助ける気持ちがあればそれは命の水にもなり得る」
辺境伯爵はそう力強く言い切った。
「ノエル殿、わしはあの日、そなたのいとこではなくそなたに救われたのだ。
誰も彼もが見て見ぬふりをする中で、そなただけがわしの声を聞き、水を届けてくれた。
わしはそんなそなただから、辺境伯爵領と二人の孫を任せようと思ったのだ」
僕を真摯に見つめる辺境伯爵の目に、偽りがあるようには思えなかった。
僕の小さな行いが、辺境伯爵を救った。
「エルゼンベルク侯爵家から、『婚姻を承諾する書類』が早馬で届いたので、教会に提出してしまった。
よってそなたは辺境伯爵夫人なのだ。
そなたを手放すことはできない」
評価されたことより、そのことが嬉しかった。
「そこまで僕を後添いにと、望んでいただけたことに感謝します。
辺境伯爵領に骨を埋める覚悟で、誠心誠意お仕えいたします!」
僕は辺境伯爵に頭を下げた。
顔を上げると辺境伯爵と執事長さんが顔を見合わせていた。
辺境伯爵とクラウスさんの眉間に皺が寄っていた。
僕はまたおかしな事を言ってしまっただろうか?
「クラウスよ、これはどういうことだ?」
「どうやらノエル様は、もう一つ誤解しているようでございます」
僕が誤解してる? 一体何を?
「僕は辺境伯爵閣下の後妻にと望まれたのでは?」
「なるほど、ノエル殿はそのような勘違いをしていたのだな」
辺境伯爵は顔にしわを作り、ホッホッホと楽しそうに笑った。
「わしはこう見えて亡くなった妻一筋だよ。
まぁ、若い頃はやんちゃもしたがね。
八年前に妻を亡くし、それまでの行いを悔い改めたのだよ」
辺境伯爵の枕元には、貴婦人の肖像画が飾られていた。
あの方がきっと逝去された辺境伯爵夫人なのだろう。
「えっ……と、それでは僕はどなたに伴侶になったのでしょうか?」
「ノエル様は、辺境伯爵閣下との婚姻が既に成立しております」
クラウスさんが真面目な顔でそう呟く。
「そうですよね。
その辺境伯爵閣下は目の前にいる……」
強面だけど気の良いおじいさん。
「いやいや、違う違う。
わしは隠居したのじゃよ。
だからわしは先代になる。
今は孫が当主をしている」
「お孫様が?」
どうりで話が合わないと思った。
「最も爵位を譲ったのは先月。
モンスター退治や乾季の対策でごたごたしていて、爵位披露の夜会も行っていない。
なので代替わりをしたことを、知っている者の方が少ない」
そうか、それでセリアンも辺境伯爵が代替わりしていたことを知らなかったんだ。
「閣下のお孫様は、庭で会った女の子のことでしょうか?
でも、まだ子供でしたよね」
庭で見かけた女の子は八歳くらいだった。僕と結婚するには歳が離れすぎている。
「うむ、それについてはちと複雑でな。
わしには二人の息子がいた。
長男のジギスムントと次男のホルスト。
ジギスムントにはなかなか子が出来ず、先に子供を授かったのはホルストだった。
名前はレイヴン、若い頃のわしに似て結構な美男子だ」
辺境伯爵……ではないんだった、先代と呼んでおこう。
先代は、顎髭を撫でながら頬を緩め口角を上げた。
先代は意外とナルシストのようだ。
「その十年後、ジギスムントの家に娘が生まれた。
孫娘の名前はリゼット。
ノエル殿が庭で見た子だ」
なるほど、長男より先に次男の家に子供が生まれてその子が男の子で、後から生まれた長男の家の子供が女の子だった。
世継ぎ争いで揉めそうなパターンだな……。
「長男夫妻も次男夫妻も、わしの妻と一緒に八年前の馬車の事故で命を落とした」
一度にご家族を亡くされたんだ。先代はそのとき、どれほど辛かっただろう。
「当代の当主はレイヴン。
子を持つ気も、結婚する気もない男だ。
奴はリゼットの為に生きていると言っても過言ではない。
と言っても恋愛感情ではなく、純粋な家族愛なので安心してほしい。
家族愛というより……罪滅ぼしというべきか……。
リゼットを養女に迎え、彼女が婿を取るまでの中継ぎで終える気でいる」
世継ぎ争いはあっさりと解決していた。
「レイヴンは生涯独身を貫くと言っている。
誰も愛する気も、誰にも心を許す気もない。
しかし、わしは奴の行く末が気がかりでな。
日々モンスターとの死闘に明け暮れ、表情を失っていくあの子が心配でなるのだよ」
先代は眉を下げ、目を細めた。その表情は寂しげで、レイヴン様を心の底から心配しているように見えた。
「リゼットは病弱な上に人見知りが激しい。
家族と執事長のクラウスと、メイド長のヨハンナにしか心を開いておらぬ」
庭で見たリゼット様は、かなり臆病な性格のようだった。
彼女が女当主として家の一切を取り仕切り、噂とゴシップが大好きな社交界で上手く立ち回っている姿が想像できない。
先代が思い悩むのは無理はない。
「レイヴンは幼い頃に、リゼットは赤ん坊の頃に両親を亡くした。
リゼットは親の顔も覚えておらぬ」
僕も五歳の時に両親を一度に亡くしたから、二人の気持ちはわかる。
「レイヴンの説得は難航したのが『辺境伯爵領の役に立つ人間で、リゼットを害せず、子孫を残す心配のない男なら伴侶に迎えても良い』となんとか承諾をとった」
そういうことだったんだ。
「レイヴンには支えになってくれる伴侶が、リゼットには心を許せる母親が必要だ。
心根の優しいノエル殿なら、二人を救ってくれる。
そう信じてそなたに孫息子との婚姻を申し込んだのだ」
先代が縋るような、祈るような瞳で僕を見つめた。
あの書類は最初から僕宛だったんだ。
セリアンが自分宛てだと勘違いしたのは、僕のところに婚姻の申し入れがあるはずないと決めつけていたからだろう。
僕は男だからレイヴン様とその……にゃんにゃんすることになっても子供はできない。
子供ができなければ相続争いで揉めることもない。
時機が来れば、リゼット様にすんなりと爵位を譲渡できる。
男の僕が彼女の母親になれるかはわからない。でも悩みを聞いて側にいることはできる。
先代様は体調を患っているようだし、レイヴン様はモンスター退治が忙しく屋敷を開けることが多そうだ。
執事長さんやメイド長さんにだってお仕事があるだろう。
誰かが側にいてリゼット様の支えになってあげないと……!
「わかりました。
僕で良ければそのお役目を務めさせていただきます!
誠心誠意、辺境伯爵閣下とリゼット様にお仕えします!」
僕は姿勢をただし、真っ直ぐに先代の顔を見つめそう伝えた。
「ありがとう! ノエル殿!
そなたの誠意に感謝する!」
先代はそう言って頭を下げた後、目頭を押さえ目を伏せた。彼の頬に涙が伝う。
きっと先代も辛いんだ。
自分が元気ならモンスター退治も、辺境伯爵家の書類の仕事も、二人の孫の世話も全部出来たと思ってるんじゃないかな?
先代は責任感が強そうだから。
でも、そんなに一人では背負えないよ。
僕にできるなら、半分だけでも背負ってあげたい。
モンスター退治や書類仕事は無理だけど、レイヴン様とリゼット様の支えには慣れるはずだ。
僕の事を必要としてくれた先代の期待に応えたい。彼らの力になりたい。
この時、僕はそう強く思った。
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