30話「ノエル絶対絶命の危機!」
「絶対に嫌だ!
僕はアルベルト様の婚約者だ!
王太子妃になるんだ!
その僕が各地を巡り雨を降らせるなんてありえない!!」
セリアンは殺意のこもった目で僕を睨みつけ、ギリリと奥歯を噛んだ。
「王太子妃の仕事は王都にいて家臣に命令を下すことだ!
国中を巡り、王都を不在にしている者が王太子妃になれるわけないだろう!!」
セリアンは王太子妃になることに強いこだわりがあるようだ。
「これがここにいる皆にとって、またこの国の民にとっても最善の策であると思います。
王太子殿下、どうかご再考願います!
何が民にとって最良の決断になるか、どうかご考慮ください!」
僕は覚悟を決めて伝え、深く頭を下げた。
王太子の中にも、きっと民を思う心が少しは残っているはずだ。
「フッ、何を言い出すかと思えば。
くだらない戯言を並べたものだ。
田舎男爵の子息風情が知ったようなことを口にするな!」
だが殿下から返ってきたのは、氷のように冷たい言葉だった。
ゆっくりと顔を上げると、王太子は不機嫌そうに顔を顰め、鋭い眼差しで僕を見据えていた。
「能力を取り戻したことで、己が偉くなったと勘違いしているのか?
それとも辺境伯爵夫人になったことで、傲慢な心が芽生えたか?」
殿下がククッと喉を鳴らし、忍び笑いを浮かべる。
僕の誠意は彼には届かなかったようだ。
「お前は自分が影武者になれると思っているようだが、そんなものは必要はないんだよ」
王太子は僕の言葉を容赦なく切り捨てる。
「なら何のために、僕を王都に連れてきた理由は何なのですか……?」
僕を影武者にするしか、セリアンの名誉を守る道はないはずだ。
王太子は何をたくらんでいるのだ?
「『譲渡の術式』というのを知っているか?」
王太子が笑みを消し、真面目な表情をした。
譲渡の術式……?
そんなもの聞いたことがない。
強奪の術式の他にも禁術が存在していたのだろうか?
「簡単に言えば、強奪の術式の上位互換だ」
殿下が得意げな表情でフッと鼻を鳴らす。
強奪の術式の上位互換……?
そんなものがあったなんて……!
「百年前、隣国との戦争の末期だった。
当時の国王は、戦後のことを考え強奪の術式を術者の一族ごと闇に葬った。
他国に渡ったら面倒だからな」
歴史について説明し始めた。
「だが、いつか再び戦乱に巻き込まれることを憂慮し、上位互換の譲渡の術式は残し、王家で保管した」
殿下はそう言って、ジュストコールの内ポケットから一冊の本を取り出した。
手のひらサイズのその本は、背表紙が傷みタイトルが擦り切れていて、紙は茶色に変色していた。
「この本は城の地下深くにある宝物庫に厳重に保管されていてな。
王族の中でも限られた者しかその存在を知らない。
国王と王太子のみが本を手にすることが許されている。
禁書扱いされているので、本来は持ち出してはいけないのだかな」
王太子は禁書に目を向けた後、僕に視線を向けニヤリと口角を上げた。
背筋がぞわりとした。
「ノエル、顔色が悪いようだな。
愚かで無知なお前でも察したか?
そう、これからお前の体に譲渡の術式を施す」
王太子はカエルを捕食する時の蛇のような目をしていた。
心臓を直接掴まれたみたいな痛みが走る。
背筋が凍りつき、全身に鳥肌が立ち、額から汗が溢れて止まらなかった。
殿下は僕の能力を奪おうとしている!
しかも強奪の術式より質の悪い方法で……!
「強奪の術式は相手から無理やり能力を奪える利点があるが、全ての能力を奪えないという欠点もあった。
術が破られ呪い返しを受けるリスクもある」
王太子がコツリコツリと足音を立て、こちらに近づいてくる。
「譲渡の術式の凄いところは、相手の能力を根こそぎ奪い取ることができることだ!
解除不可能ゆえ、呪い返しの心配もない!
この術式をお前の体に刻めば、お前の能力は全てセリアンのものとなる!」
殿下は口角を上げにたりと笑う。
しかし目元は全然笑っていなかった。
「アルベルト様、本当ですか?
本当にそんな術があるのですか!?」
セリアンが希望に満ちた瞳で王太子を見つめる。
「ああ、本当だともセリアン。
ここを立つ前にもそう説明しただろ?」
「あの時は気分の落ち込みが酷くて……。
あまりよく覚えていないのです」
セリアンは気恥ずかしそうに呟いた。
「そうだな。
セリアンはあの日パーティーで倒れ、能力を失ってだいぶ混乱していた。
覚えていなくても無理はない」
王太子はセリアンを落ち着かせるように、優しく声をかける。
「全ての能力を相手から奪い取れる!
しかも解呪は不可能!
奪われた相手は廃人同然!
実に便利な術式だ!
父も先代も先々代も、こんな便利なものを宝物庫に寝かせておくなど……なんと愚かな!」
「だがこの術にも一つ欠点がある」
王太子が僕に向き直り、獲物を狩る時の狼のような目で僕を見る。
「譲渡の術式を使うには、相手に全て説明した上で、相手の同意が必要なのだ」
「廃人になるのがわかっていて、同意する人間なんていません」
僕は王太子から距離を取ろうと、ゆっくりと後ずさる。
「お前は必ず同意するさ。
そのために辺境伯爵領の民を人質にとったのだからな」
胸をナイフで抉られたような痛みが走る。
王太子が正規軍を引き連れて辺境伯爵領に来たのはこのためだったんだ!
いつでも王国の正規軍を動かすことができると、僕に思い知らせる為に……。
「ノエル、俺が言いたいことはわかるよな?
辺境伯爵領の民を殺されたくなければ、セリアンに能力を譲渡することに同意するんだ!」
王太子がゆっくりと僕に近づいてくる。
彼の表情は威圧的で、目は氷のように冷たい。
僕はあまりの恐怖に、声を発することもできなかった。
「ただ殺すだけではつまらんな。
お前の返答次第では、辺境伯爵領の民は拷問より酷い目に遭うことになるぞ」
王太子が冷たい目を細め、クククッと声を上げて笑う。
そんなの……絶対に駄目だ!!
気がつくと僕の足は小刻みに震えていた。
「さぁ、言え!
『能力の全てをセリアンに譲渡することに同意します』と、本に手を乗せ誓うんだ!
同意した後はお前の体に術式を刻む!
辺境伯爵領の民を助けたいんだろ?」
辺境伯爵領の人たちを見捨てることはできない!
頭ではわかってる!
でも声が出せない!
王太子は僕の手を掴み、禁書の上に乗せた。
禁書に触れた瞬間、力を抜き取られるような感覚がし、強いめまいに襲われた。
本から見えない鎖が出て、僕の体を縛り付けているみたいだ。
術式に触れただけなのに、体にこんなに影響が出るなんて……!
承諾したらどうなってしまうんだろう……?
心臓がバクバクと音を立てる。
怖い、どうしようもなく怖い。
「どうした?
さっさと言え!」
腕を強く握られ、骨がきしむ。
「…………っ!」
「辺境伯爵領の民とレイヴンがどうなってもいいのか?」
レイヴン様の名前が出た瞬間、心臓はドクンと跳ねた。
彼を絶対に死なせたくない……!
能力を全て奪われた僕は魂の抜け殻のようになってしまうだろう……。
それでも、レイヴン様と領民が助かるなら……。
「一分遅れる事に、辺境伯爵領の人間を百人ずつ殺していく。
どうだ?
同意する気になったか?」
「……!」
殿下はギラギラした目で僕を睨めつけ、口角を上げた。
殿下なら本当にやりかねない……!
「の……能力の……を……」
唇をなんとか動かし言葉を絞り出す。
レイヴン様……最後にお会いしたかった。
あの日、レイヴン様は僕に何かを伝えようとしていた。
こんなことになるなら、聞いておけばよかった。
僕の頬に涙が伝う。
「どうした!?
声が小さいぞもっとはっきり言え!」
殿下は感傷に浸る暇さえ与えてくれない。
「僕の能力の……全てを……に……」




