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26話「さよなら」





「レイヴンよ、結婚相手の前だからと言って格好をつけることはないんだぞ」


王太子が口の端を上げにたりと笑う。


「こちらの兵士の数は五千。

 対して辺境伯爵領の兵士の数は多く見積もっても二千。

 話にならない」


敵の数は倍以上。


「正規軍は、王国でもっとも優れた兵士の集団。

 いわば戦いのプロだ。

 モンスター相手に、ぬるい戦いをしている辺境伯爵領の田舎兵士とは格が違うんだよ!」


王太子殿下は目を細め、嘲るような笑みを浮かべた。


「くっ……!」


レイヴン様が眉間に皺を寄せ、奥歯をぎりっと噛んだ。


「もう一度言う。

 ノエル、セリアンとエルゼンベルク侯爵がお前に会いたがっている。

 一緒に王都にくるんだ。

 なぜ俺がお前を迎えにきたのか、理由は説明しなくてもわかるだろう?」


王太子の言葉は威圧的で目は鋭く、拒否権は与えてくれそうにはなかった。


王太子の目的は、僕の癒しの雨の能力。


僕に強奪の術式を施した魔術師は、おそらく呪い返しを受け死んでいる。

魔術師の一族は死に絶えている。


伯父もその事を把握しているはず。

僕を王都に連れて行っても意味がないはずだ。

王太子は伯父から事情を聞いていないのか?

それとも、他に目的があるのだろうか?


能力を奪うのでないとすれば、考えられるのは僕をセリアンの影武者にすること。


僕が雨を降らせる能力を持っているということは、まだ一部の人しか知らない。

セリアンが祈りを捧げる裏で、僕が雨を降らせれば、人々はそれをセリアンの力だと思うだろう。


セリアンの影武者になんかなりたくない!


だが逆に考えれば、僕に影武者としての利用価値がある間は、彼らは僕を殺さない。


それに、僕が降らせた雨で多くの人を救うことができる。


彼らに従順に従えば、時々辺境伯爵領を訪れてくれるかもしれない。 

その時に、レイヴン様を遠くからでも見ることができるなら……。


「さあノエル、俺と一緒に来るんだ。

 お前は地味だが、愚かではないはずだ。

 拒否すればどうなるか、分かっているよな?」


王太子は正規軍に視線を向けたあと、屋敷に視線を移した。

王太子に「俺が合図すればいつでも殺せるんだぞ」と言われた気がして、背筋が凍りつく。


屋敷にはグレゴール様やリゼット様、クラウスさんやヨハンナさん、それに大勢の使用人やジルベルトさんたちもいる。


領主町には何の罪もない人たちが大勢暮らしている。

領民は最近やっと希望を取り戻し、心から笑えるようになったばかり……。

彼らの笑顔を曇らせたくはない……!


「ノエル、大丈夫だ!

 お前のことは俺が守る!!」


レイヴン様が右手に魔力を込めた。

僕が殿下の申し出を拒んだら、きっとレイヴン様は正規軍を魔法で攻撃するつもりだ。


正規軍の数は五千。

一人で相手にできる数じゃない!


王太子は鎧を纏っていない。

王太子を人質に取ることが出来れば、正規軍を引かせることができるかもしれない。


だけど王族に刃を向けたら、レイヴン様は逆賊になってしまう……!

今回は切り抜けられても、いずれはみんな……!


僕はレイヴン様の体を強く押し、彼の腕からすり抜けた。

レイヴン様の意識が他に向いていたから、できたことだ。


「王太子殿下、ご心配には及びません。

 殿下と共に参ります」


僕の返答に殿下は嬉しそうに口角を上げた。

レイヴン様は驚きと悲しみが入り混じった瞳で、僕を見つめていた。


「ノエル駄目だ! 行くな!」


レイヴン様が僕の腕を掴む。


「セリアンの見舞いなどというのは、そなたを王都に連れて行くための口実に過ぎない!」


レイヴン様が僕の腕を握る力を強める。


レイヴン様の表情は強ばり、瞳は切なげに揺れていた。

きっと彼は僕以上に辛いのだ。


「大丈夫です、レイヴン様。

 少しの間ここを離れるだけです。

 必ず戻ります。

 どうか心配なさらないでください」


僕はできるだけ穏やかな表情でそう伝えた。

だけどうまく笑えていたかわからない。


「駄目だ! ノエル!

 認められない!!」


レイヴン様が僕を抱き寄せ、腕の中に閉じこめた。

彼の体温が心地よい。

ずっとこうしていたい。


でも駄目だ……。

そんなことをすれば、みんなに危険が及ぶ。


「見苦しいぞ、レイヴン!

 ノエルは王都に行くと言っているのだ!

 さっさと解放しろ!」


王太子は楽しそうに顔を歪め、哀れなものを見るような目でレイヴン様を見据えた。


王太子はあまり気の長い方ではない。

お待たせしない方がいい。


「アルベルト……!

 貴様……!」


王太子を見据えるレイヴン様の目は酷く冷たく、彼の声には怒りと憎しみが宿っているように思えた。


レイヴン様が王太子に敬称を付けなくなった!

彼が王太子を攻撃したら大変だ!

僕はレイヴン様の腕から逃れ、彼から距離を取った!


「ノエル……!」


レイヴン様が僕の名を悲しげに呼ぶ。

そんな苦しそうな顔しないでください。

決心が鈍ってしまいそうです。


「レイヴン様、僕はしばらくこの地を離れます。

 急な事ゆえ、グレゴール様やリゼット様にはご挨拶できません。

 皆によろしくお伝えください」


僕はにっこり笑ってそう伝えた。

レイヴン様には笑顔を覚えていて欲しいから。


彼に深々と一礼し、僕は踵を返した。

後ろを振り返らずに、王太子の元まで走った。

振り返ったら泣いてしまいそうだから。


「お待たせいたしました。

 参りましょう、王太子殿下」


相手を怒らせないように、できるだけ穏やかな表情を心がける。


「決断が遅い!」


王太子が眉根を寄せ声を荒げる。


「だが、今日の俺は機嫌が良い。

 許してやる」


僕はほっと胸を撫で下ろす。

この時点で王太子の側にいることに疲れていた。


「レイヴンの吠え面を見ることができたからな。

 それが俺が辺境伯爵領まで来た二つ目の目的だ」


王太子はレイヴン様に視線を向け、にたりと微笑んだ。

そんなことの為にわざわざ正規軍を……?

器が小さい……。


「そういうわけだ、レイヴン。

 ノエルを王都に連れて行くぞ。

 お前の優秀な伴侶に感謝するのだな。

 こいつの決断のおかげで、辺境伯爵領の人間は血を流さずに済んだのだからな!」


殿下は僕の頭に肘を乗せ体重をかけてきた。

僕の頭は王太子の肘置きじゃないんだけどな。


だけどここで僕が顔歪めたら、王太子の虐めを加速させてしまう。

僕は気にしてませんという表情で、王太子の肘攻撃に耐えた。


「こんなにあっさりとことが済むなら、正規軍を五千人も連れてくることはなかったな!

 辺境伯爵領の兵士たちは勇猛と名高いという噂だったが……噂倒れだったようだな!

 所詮はモンスター相手に血みどろの戦いをするだけの田舎兵士!

 王国の正規軍の相手ではないわ!!」


王太子は高笑いを上げる。


「じゃあな、レイヴン!

 ノエル、ぐずぐずするなさっさと歩け!」  

「申し訳ございません!」


王太子殿下が僕の腰に腕を回した。

背筋がぞわっとして、全身に鳥肌が立った!

僕は何でもないですという顔で耐えた。


「レイヴンを絶望させる妙案が浮かんだ」


王太子が口角をにっと上げ、僕の顎に手を当てた。

それは一瞬で……。

瞬きしている間に、王太子と僕の唇が触れ合っていた……!


嫌だ……! 見ないでレイヴン様……!!


王太子の唇を離したとき、僕は泣きそうだった。


「はっ、レイヴンめ。

 この世の終わりみたいな顔をしている。

 あの顔が見られただけでも今日は大収穫だ」


王太子はケタケタと声を上げて笑っていた。

僕は怖くて、顔を上げることができなかった。




◇◇◇◇◇




僕は王太子殿下と同じ馬車に乗ることになった。

王太子と一緒に乗るくらいなら、食料や兵器と一緒に荷馬車に乗せられた方がましだ。


馬車に乗る時、ちらりと後ろを振り返った。


レイヴン様は苦しげな表情でこちらを見つめていた。

レイヴン様の射るような視線が痛い。


僕は「ごめんなさい」と心の中で呟いた。


さようなら、レイヴン様。


もし全てがうまくいって、セリアンの影武者として辺境伯爵領に雨を降らせることができたとしても、あなたにお会いすることはないでしょう。


レイヴン様のことも、ご家族のことも、この領地の人々のことも、僕は生涯忘れません。





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