18話「ノエル、11年振りに雨を降らせる」
「あの、レイヴン様、クラウスさん。
僕やりたいことがあるんです」
パン粥とマッシュポテトで腹も膨らんだ。
熱もないし、めまいもしない。
「そなたは目覚めたばかりだ。
無理をするな」
「そうですよ、ノエル様。
今までの疲労が蓄積しているのです。
どうか安静になさってください」
「わかってます。
でも僕、気になることがあるんです。
それを解決するまでは呑気に寝ていられません」
二人が僕のことを気遣っているのはわかる。
だけど、これだけは後回しに出来ない。
「気になっていることとは?」
「僕は能力を取り戻しました。
なら雨を降らせることが出来るはずです。
辺境伯爵領は、瘴気が浄化されずに人体に影響を及ぼしています。
僕はこの土地に雨を降らせ、瘴気を浄化したいのです」
瘴気症に苦しんでいるのは、グレゴール様やリゼット様だけじゃない。
領内には、瘴気症で苦しんでる人が大勢いる。
中には薬を買えない人や、体調が悪くても仕事を休むことができない人もいるだろう。
そういう人たちを助けたい。
「僕に本当に能力が戻ったかどうか確かめるためにも、一度雨を降らせてみたいんです」
今まではじょうろで狭い範囲を浄化することしかできなかった。
今なら、もっと多くの面積を浄化できる。
そう思ったらいても立ってもいられなかった。
「無理をするな。
そなたが領民を大切に思ってくれていることは嬉しい。
だが、体調が万全じゃない状態で能力を使うべきではない」
「レイヴン様が僕の体を気遣ってくれるのはわかります。
それでも、僕はどうしても雨を降らせたいんです!」
僕は真剣な表情で、レイヴン様の顔をまっすぐに見つめた。
しばらく見つめあった後、レイヴン様は困ったように眉を寄せた。
「はぁ……俺がどんなに止めても聞き入れてはくれないのだろうな。
愛らしい見た目に反して、そなたは思いのほか頑固だな」
「そうかもしれません」
自分でもこんなに我が強いなんて知らなかった。
レイヴン様が僕のことを「愛らしい見た目」って言った?
聞き違いかな?
レイヴン様は僕のことをそんな風に……トクン。
いや、今は動揺している場合じゃない。
領民の為に、早急に雨を降らせなくては!
「そなたが能力を使う間、俺がそばにいて見守る。
そなたの身が限界を超えそうな時は止める。
それが能力を使う条件だ」
「はい! ありがとうございます!」
良かった! レイヴン様が折れてくれた!
「それから、俺の見ていないところで能力を使わないように。
そなたは、目を離すととんでもない無茶をしそうだからな」
「そんなことは……」
「ないとは言わせないぞ。
当家に来てから、モンスターに遭遇して気を失うまで、自分の限界を考えずに能力を使い続けただろう?」
レイヴン様の視線は厳しかった。
「うっ……」
痛いところをつかれてしまった。
誰かに認められたくて、つい無理をしてしまう。
それが僕の悪い癖。
「今後は気をつけます」
「『はい』とは言わないのだな」
「…………」
レイヴン様が、僕のことを気遣ってくれるのは嬉しい。
もしかしたら彼がいない時に、能力を使わなくてはいけない状態に陥るかもしれない。
だから約束はできない。
初めから守る気のない約束ならしない方がいい。
「軽々しく口約束をしない。
それもそなたの美点の一つだな」
レイヴン様は気を悪くした様子もなく、穏やかに微笑まれた。
美男子の笑顔は破壊力が高い。
彼に微笑まれる度に、心臓がドキドキしてしまう。
今はときめいてる場合じゃない。
レイヴン様のお許しを貰えたんだ!
彼の気が変わらないうちに雨を降らせよう!
◇◇◇◇◇
僕はレイヴン様にエスコートされ、バルコニーに出た。
僕らに続いてクラウスさんもバルコニーに来た。
レイヴン様の手は、僕の腰に添えられている。
僕は一人で歩けるって言ったんだけど、レイヴン様が「エスコートする」と言って譲らなかったのだ。
レイヴン様は過保護だな。
クラウスさんの話では、レイヴン様はリゼット様にも甘いらしい。
もしかしてレイヴン様は、弱ってる人や困っている人をほっとけないタイプ?
ということは、僕はレイヴン様にとってリゼット様と同じ枠にいる?
それはつまり、僕はレイヴン様にとって弟みたいな存在……。
なぜだろう?
胸がぎゅっと締め付けられた気がした。
ドキドキしたり、そわそわしたり、胸が痛かったり……今日は気分が落ち着かない。
これも術式を解除した後遺症かな?
「ノエル、顔色が悪いぞ。
やはりまだ、体調が回復していないのでは?」
レイヴン様が心配そうに僕の顔を覗き込む。
「な、何でもありません……!」
僕は彼から視線を逸らした。
レイヴン様は、ご自分の顔が整ってることをもう少し自覚された方がいいと思う。
そんな綺麗な顔で、至近距離で見つめられたら心臓が持たないよ。
僕は彼にとって弟みたいな存在なんだから、意識するだけ無意味なのに……。
それに今はそんなことを考えてる場合じゃない!
雨を降らせることに集中しなくちゃ!
「レイヴン様、僕は一人で立てますから!」
僕は彼から距離を取り、バルコニーの突端に立つ。
バルコニーの欄干の際からは、領地が一望できた。
領主町、町の周囲には牧草地や畑や果樹園があり、その外側には荒野が広がっていた。
遠くにはどこまでも続く森が見える。
僕はその光景をしっかりと目に焼き付けた。
辺境伯爵領に嫁いだ身として、僕はこの土地に住む人すべての人々を、いや生きとしいける全てのものを守らなくちゃいけない。
見上げると雲ひとつない青空が広がっていて、夏の日差しがじりじりと降り注いでいた。
こんな日に、雨を降らせることができるのだろうか?
胸の奥がざわついた。
弱気は禁物!
できると信じなきゃ、何も始まらない!
僕は静かに目を閉じ、胸の前で手を組み、天に祈りを捧げた。
汗をかくほど気温が高いのに、体の震えが止まらない。
気を強く持つんだ!
幼い頃に使いこなしていた能力だ!
きっと体が覚えている!
トントンと肩を叩かれ、振り返るとレイヴン様が隣に立っていた。
「そう力むな。
そんなにガチガチでは上手くいくものも、失敗してしまうぞ」
レイヴン様はそう言って、僕の指をほどいた。
手に痕が出来るほど、僕は指に力を入れていたらしい。
「大きく息を吸って、全て吐き出せ。
大丈夫、上手くいかなくても誰もそなたを責めない。
不安なら、俺も一緒に祈ろう」
レイヴン様が僕の手を包み込む。
指先から伝わってくる彼の体温が心地よい。
いつのまにか体の震えが収まっていた。
不安や恐怖はもう感じない。
「はい、頑張ります」
僕はもう一度目を閉じた。
夢の中の僕は、両親の笑顔を見たくて雨を降らせていた。
今は、領民の為に雨を降らせたい。
グレゴール様や、リゼット様や、クラウスさんや、ヨハンナさん……それにレイヴン様の為に。
彼らの笑顔を思い描き、僕は天に祈った。
お願いします!
雨を降らせてください!
乾燥が続き、人々が瘴気に苦しんでいます!
どうか、この土地に暮らす民に癒しと恵みの雨を……!
祈りを捧げてから、どれだけ時間がかかったのかわからない。
一瞬だった気がするし、永遠のようだったような気もする。
強い風が吹いて、温度が下がった。
周囲が暗くなったのが目を閉じていてもわかる。
冷たいものが僕の額に落ちてきて、次に肩に落ちてきた。
ポツリポツリと降り注ぐ雫は、いつのまにかザーーっと音を立てるほど激しい雨に変わっていた。
そっと目を開けると、空は厚い雲に覆われ、土砂降りの雨が地面を激しく打ちつけていた。
「レイヴン様、クラウスさん、僕やりました!
雨を降らせることができました!!」
「ああ、そなたならできると信じていた!」
雨が降ったのが嬉しくて、僕はその場で飛び跳ねた。
子供みたいだと笑われるかもしれないけど、感情を抑えきれなかった。
これで瘴気症に苦しむ人たちが救われる!
瘴気溜まりが浄化され、モンスターの出現率も減るはずだ!
畑にとっては恵みの雨になるだろう!
浮かれたので床が濡れていることにまで、気が回らなかった。
僕は水溜りに足を取られ、前のめりに倒れそうになる。
「ふわっ……!」
「危ない……!」
レイヴン様が僕を抱きとめてくれた。
彼はそのまま僕の背中に腕を回した。
太く逞しい腕に包まれ、身動きが取れない。
「はしゃぎたくなる気持ちはわかるが無理はしないように」
「……はい」
心臓がバクンバクンと音を立てている。
でも嫌な気持ちはしない……。
彼に抱きしめられるのは、むしろ心地よくて……。
甘い香りがする……レイヴン様の香水の匂いかな?
胸板が厚い。
毎日鍛錬してるんだろうな。
「ありがとう、これで領民が救われる」
レイヴン様の声は暖かかった。
「いえ、僕は当然のことをしたまでです」
雨はバルコニーにも吹き込み、僕たちの体を濡らしていく。
部屋に入らなくちゃいけないけど、もうしばらくこのままでも……。
「お二方とも、そのまま雨に濡れているおつもりですか?
風邪を召されますよ。
お部屋にお戻りください。
着替えと湯浴みの用意をいたします」
クラウスさんの冷静な声に我に返る。
「わかりました!
部屋に戻ります」
僕はレイヴン様からパッと距離を取り、急いで部屋に戻った。
レイヴン様の顔を見ることはできなかった。
彼はどんな表情をしていたのだろう?
急に距離感を詰めてこないでほしい。
どう接していいか、わからなくなる。
能力が戻ったこと、雨が降ったこと、レイヴン様に抱きしめられたこと、色んなことが一度に起こって……感情がぐるぐるしていた。
気持ちの整理をするのに少し時間がかかりそうだ。
しばらくしてレイヴン様とクラウスさんも部屋に入ってきた。
「クラウス……いい雰囲気だったのに。
もう少しで口づけを……」
「旦那様、それはいささか早急かと。
ノエル様のお気持ちもお考えください」
二人は小声で何か話していた。
「それよりも、今はやるべきことがあるのではないでしょうか?」
「そうだな。
ジルベルトを呼び戻せ!
雨の降っている範囲を調べさせる!
ノエルの能力が及ぶ範囲を把握する!」
「承知いたしました、旦那様」
レイヴン様とクラウスさんは思考を切り替え、仕事に取り掛かっていた。
そうだよね。
今後のことを考えると、能力が及ぶ範囲は把握しておいた方がいいよね。
僕はまだそういうところまで考えつかないのに、レイヴン様もクラウスさんもしっかりしてるんだな。
僕も二人に頼りきりじゃダメだ。
自分の頭で考えて行動できるようにならなくちゃ!
◇◇◇◇◇
そういえば僕に能力が戻った今、セリアンはどうなったんだろう?
レイヴン様は、「セリアンは何も知らなかったはずだ」と言っていた。
「何も知らないから、ノエルを嫁がせることができたのだ」と。
伯父は魔術師に頼んで僕に強奪の術式を刻んだので、黒確定だけど。
レイヴン様の推測に僕も同意だ。
嫁ぎ先で背中の術式を見られ、万が一解呪されたら困るのはセリアンだ。
彼がそんなリスクを犯すはずがない。
レイヴン様の話では、呪い返しは術を刻んだ魔術師にいったらしい。
セリアンには散々嫌な目に合わされたけど、何も知らなかったのに、呪い返しで死ぬのは哀れだと思った。
だから、呪い返しでセリアンが死ぬことはないとわかり、少しほっとしている。
だけど、確実にセリアンは能力を失ったはずだ。
能力を失ったセリアンは、これからどうするんだろう?
心配することもないかな。
能力を失っても彼はエルゼンベルク侯爵家の嫡男で、類まれな美貌がある。
きっと強く生きていくだろう。
それに、地方にいる僕には王都にいる彼らのことを知る術はない。
気にしても仕方ないよね。




