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13話「ノエルの背中に刻まれた不吉な術式」レイヴン視点





ノエルを彼の私室に運び、ベッドにそっと下ろす。


「坊っちゃん、これはいったい……!?

 ノエル様に何があったのでしょうか?」


執事長のクラウスが血相を変えて飛び込んできた。


「坊っちゃん」呼びはやめてくれ。

俺はもう十八歳で、中継ぎとはいえこの家の当主なのだから。

部下の前でその呼び方をされては締まらない。


「心配するな、気を失っているだけだ。

 どうやら部屋の外に出て、瘴気の吹き溜まりに水撒きをしていたらしい」


「まさか、ノエル様はそのようなことを……!」


クラウスの顔から血の気が引いていく。


彼の様子から察するに、ノエルが塀の外に出ていたことを知らなかったようだ。


「申し訳ございません!

 私のノエル様から目を離したばかりにこのようなことに……!」


クラウスが深々と頭を下げた。彼の顔の色は青を通り越して土気色だった。


「クラウスのせいではない。

 お前にだって仕事はある。

 四六時中ノエルについているわけにもいかないだろう」


クラウスは執事長としてこの家を取り仕切っている。

彼の仕事は多岐に渡り、祖父やリゼットの世話に始まり、使用人の仕事の采配、使用人からの相談を受け、銀食器の数を毎晩数え……と大変に多忙なのだ。


「俺の責任だ。

 ノエルに専属の護衛をつけるべきだった」


彼に早く家を出て行って欲しかったのは確かだ。

だがそれと護衛をつけなかったのは別の話だ。


ノエルがこの屋敷を出て行くまで、彼の身の安全を守るように尽力するのが、当主としての俺の努めだったのだから。


「だから、クラウスが罪悪感を抱く必要はない」


「坊っちゃん……!」


クラウスは瞳に涙をためていた。だから「坊っちゃん」呼びはやめてくれ。


「それよりもノエルを着替えさせたい。

 ジュストコールでは窮屈そうだ」


「そういうことでしたらお任せください。

 病人や怪我人の介護は慣れております」


クラウスはもう失敗を引きずっていないようだ。

彼は凛とした所作でベッドに近づき、気を失っているノエルのジュストコールのボタンを一つ外した。


「いや待て! やはり俺がやる!」


クラウスがきょとんとした顔で俺を見る。


「ですが坊っちゃん、意識がない人間の着替えは手間がかかるものです。 

 コツを把握していないと、お一人では大変でございます」


クラウスが困ったように眉毛を下げる。


「そうかもしれない。だが……」


俺以外の人間がノエルに触れるのも、ノエルの肌を見るのも、想像しただけで胸の中がざわつくのだ。


普段の着替えの時や入浴の時に、ノエルの肌は使用人に見られているのだろう。


だが、意識があるときと無い時では服を脱がせる重みが違ってくる。


「クラウス様、ご心配には及びません。

 閣下は愛しい伴侶を、他の人が触れるのに耐えられないだけですから」


ジルベルトが目を細めにんまりと笑った。

そういえば奴もこの部屋にいたのだった。


「左様でございますか。

 坊っちゃんに春が来て、クラウスは嬉しゅうございます」


クラウスは眉を緩やかに持ち上げ、穏やかに微笑んだ。

だからそういう目で見るのはやめろ!


「クラウスはノエルの着替えを用意しろ。

 ジルベルトは仕事に戻れ!

 現場にいる人間に、俺は今日戻れないと伝えろ!」


「承知いたしました」


クラウスは恭しく頭を下げた。


「自分とクラウス様を追い出して、ノエル様と二人きりになって何をするおつもりですか。

 昨今の風潮では、夫婦でも同意のない行為はよくないとされてるんですよ」


ジルベルトが眉根を寄せ、俺をじとりと睨む。


「……!」


ジルベルトのやつ、日の高いうちから何て破廉恥な想像をしている……!


「くだらない想像をするな!

 さっさと現場へ戻れ!」


「閣下の仰せのままに」


クラウスはわざと丁寧な言葉で話し、大げさに礼をしてから退出した。

奴の眉は弧を描き口元が緩んでいた。


ジルベルトめ、兵士たちに余計なことを話さないだろうな?

奴が退室する前に、口止めするべきだった!


今からでも奴を追いかけて口止めするべきだろうか?

いやしかし、そんなことをすれば事態が余計にややこしくなる。


俺がどうするべきか思案していると、クラウスがパジャマを手に戻ってきた。


「ノエル様が愛用しているパジャマでございます」


ノエルが愛用しているという言葉に……心臓がドクンと反応する。

彼はいつもそのパジャマを身につけているのか……。


ノエルの白く華奢な肌を、アイボリーのパジャマ一枚で覆っている……その姿を想像してしまい、生唾をゴクリと飲み込む。

いかん、何を想像しているんだ俺は……!


「坊っちゃん、本当にノエル様をお一人で着替えさせるおつもりですか?

 やはり、わたくしがお手伝いしたほうが……」


クラウスが心配そうに尋ねてくる。


「問題ない。

 俺一人でも奴を着替えさせることはできる」


「左様でございますか。

 ではわたくしは、お部屋の前で控えておりますので、ご用がございましたらお声がけください」


クラウスは一例してから退室した。


「クラウスが部屋の外にいるのか……」


幼い頃から側に仕えていた者が、扉一枚隔てたところにいると思うと何だか落ち着かない。


別にやましいことをするわけじゃないのだ。

クラウスがどこにいようと問題ない。


今からすることは、医療行為のようなものだからな!

自分にそう言い聞かせ、何度か深呼吸をし心を落ち着ける。


無心になれ、俺!

武人なら無心になることなど簡単なはずだ!


「よし、やるぞ!」


心を整え、ノエルに向き直る。


ベッドに横たわるノエルは、規則正しく呼吸をしていた。


まぶたを閉じた顔も愛らしい。

唇は厚くやわらかそうで、襟元から覗く白い首筋が何とも言えない色気を醸し出していた。


心臓がドッドッドッドッと音を立てる。

無心になると決めたはずなのに、簡単に心がざわめいてしまう。

こんなことで、奴の服を脱がせられるのだろうか……?


いや、挑戦する前から諦めてどうする!

やる前から弱音を吐くのは、臆病者のすることだ!


俺は今一度呼吸を整え、精神を統一し、ノエルの衣服に手を伸ばした。




◇◇◇◇◇



……邪な妄想が抑えられず、俺はノエルを着替えさせることを途中で諦めた。


断っておくが、別にやましいことは何もしていないぞ!

ノエルには指一本触れていないからな!


……誰に言い訳しているのだ俺は……?


「クラウス、すまない!

 入ってきてくれ!」


「お呼びでございますか?

 旦那様」


クラウスが一礼して部屋に入ってきた。


さっきまで「坊っちゃん」呼びだったのに、急に「旦那様」呼びに変えるのやめろ。


おそらく、先ほどはクラウスも動揺していて、つい昔の呼び方をしてしまったのだろう。

クラウスも冷静さを取り戻し、普段の呼び方に戻ったようだ。


「やはり素人には、気を失った人間を着替えさせるのは難しいようだ。

 後はそなたに任せる」


動揺していることを悟られないように、顔を引き締めクールに伝える。


クラウスはノエルを一瞥し、一度目を伏せてから開いた。


「左様でございますか、では私がお手伝いいたしましょう」


今のノエルは、ジュストコールとジレのボタンが外され、ズボンのベルトが外された状態だ。

ノエルの姿を見て、クラウスが何を想像したのかはわからない。


ただ、クラウスに生暖かい目で見られたような気がした。


クラウスは何も言わず、表情を変えることなく粛々とノエルを着替えさせていく。

俺はその様子を、クラウスに気取られぬようにチラチラと覗いていた。


卑猥な目的で見ているのではない。

次にノエルが倒れた時に着替えさせる為の参考にだな……。


そうこうしているうちに、クラウスはノエルの着替えを終えていた。


意識のない人間の服を脱がせるのも、服を着せるのも大変だろう。

やはり、介護に慣れている人間は着替えさせるコツを心得ているようだ。


ノエルはアイボリーのセパレートのパジャマを纏っていて、その服はあどけなさの残る彼にはよく似合っていた。


もう少し……ノエルの着替えを眺めていたかった……とかそんなことは微塵も思ってないぞ!


「旦那様、ノエル様の着替えが終わりました」


「そうか、ご苦労だったな」


俺はにやけているのがバレないように口元を引き締め、「着替えが終わったのを今知りました」という顔で振り返る。


「旦那様……」


クラウスが神妙な面持ちで俺を見る。


「なんだ?」


こっそりと着替えを覗いていたのがバレただろうか?


「ノエル様の身体のことで、旦那様にご報告がございます」


どうやら、その件ではなかったようだ。

俺はほっと胸を撫で下ろした。

では、いったいクラウスは何を見つけたというのだ?


「何だ? 話してみろ」


ノエルがモンスターに襲われた時、怪我をしたのだろうか?

それならば速やかに治療をしなければならない。


「ノエル様の背中に、見たことのない痣が……。

 いえ痣というには少々大きく、模様がはっきりとし過ぎています。

 恐らく何らかの魔法陣かと……」


クラウスの声は低く、眉がわずかに寄っていた。


「魔法陣だと……!?」


心臓がドクリと嫌な音を立てる。

先ほどまで感じていた胸のときめきが一気に収まり、背中を冷たい汗が伝う。


「百聞は一見しかず、ご自分の目でお確かめください」


「わかった!」


クラウスがノエルの上半身を起こし、パジャマの上半分をめくる。

彼の日に焼けていない背中があらわになり、そんな場合ではないのに心臓がドクンと音を立て、耳に熱を帯びる。


だが次の瞬間、熱が一瞬で冷めた。

胸の奥がざわつき、異常事態を知らせている。


ノエルの背中には見たこともない魔法陣が描かれ、禍々しいオーラを放っていた。


「何だこれは!?

 なぜノエルの体にこのような魔法陣がきざまれている!?」


こんなものが背中に刻まれているなど、通常あり得ない!


「クラウス、なぜ今までノエルの背中に魔法陣が刻まれてることに気がつかなかった?

 着替えや入浴の時、手伝わなかったのか?」


「申し訳ございません。

 ノエル様は着替えや入浴時の介助を嫌がりましたので、今まで気づくことができませんでした」


「そうか……。

 ノエルはこの魔法陣のことを知っていて、それを隠したかったのだな……」


「いえ、そのようなご様子はございませんでした。

 ノエル様は手伝ってもらうことに慣れていない様子でした。

 体を見られるのが恥ずかしいから、拒否していたように感じました」


「ノエルは貴族だ。

 着替えを手伝ってもらうことを恥ずかしがることなどあり得るのか?」


貴族なら、誰かに着替えを手伝ってもらうのは当たり前だ。


「ノエル様はボストンバッグ一つで当家に嫁いで来られました。

 その後もエルゼンベルク侯爵家から、着替えや装飾品などが届くこともございませんでした。

 この部屋に初めてご案内した時も、破けていないカーテンや、きしまない机や椅子にいたく感動されておりました。

 これはわたくしの憶測ですが、もしかしたらノエル様は、侯爵家で虐待されていたのかもしれません」


「……!」


虐待という言葉に、怒りが腹の中からボコボコと湧き上がってくる。


思い当たる節がある。

ノエルは十六歳にしては華奢すぎる。祖父の部屋で初めてノエルに会った時、彼はくたびれたジュストコールを纒っていた。


もっと注意深く観察し、ノエルと接点を持っていれば、彼が虐待されていたことにもっと早く気付けたはずだ。


俺は王都の治安が良いことを理由に、ノエルをエルゼンベルク侯爵家に帰そうとしていたが……。

帰ったところで、ノエルの居場所などなかったのだな……。


「怪しいと感じながらも確信が持てず、ご報告が遅くなってしまいました」


クラウスが苦しそうに目を伏せる。


「クラウスのせいではない。

 私は昨日までノエルの存在を疎ましく思っていた。

 彼について、何を報告されても聞く耳を持たなかっただろう。

 それに……」


結婚相手である俺より、祖父やクラウスの方がノエルのことに心を砕いていた。


「俺がノエルの存在を早々に受け入れ、初夜に床を共にしていれば、もっと早くに彼の背中に魔法陣が刻まれていることに気づけたはずだ」


ノエルの能力だけを聞き無能と決めつけ、彼のことを何も知ろうとしなかった自分が恥ずかしい。




読んで下さりありがとうございます。

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