第4話:はあれむ人生の幕開け
案内された一室に雷志が安堵したのは、和室だったからに他ならない。
ミブロ学園を始めとするその他の造形は、慣れ親しんだ造形もあればそうでないものも多い。
割合的にいえば、前者のほうが比較的に多かった。
「こ、ここが我々が住んでいる学生寮だ。学生寮はそれぞれ一年、二年、三年と別々になっている。雷志は、年齢的に考えれば三年の扱いになるのだろうが……」
「あぁ、俺はその辺は気にしていないから別にいいぞ」
勉学をするのに年齢など些細なことだ。
学ぶという姿勢さえあれば、皆等しく学徒なのである。
読み書きはもちろんとして、歴史や文明について雷志には憶えることが多々ありすぎる。
それらを一から修得するためにも、最初からはじめるのは至極当然の流れといえよう。
(まぁ、ゆっくりと嫁探しもできるし問題ないな)
雷志は内心でほくそ笑んだ。鏡があればきっと、自分でも邪だと思うぐらいひどい笑みに違いなかった。
「それにしても、こんないい部屋を使わせてもらえるなんて……」
「……以前はどんな部屋に住んでいたんだ?」と、トシミがふと尋ねる。
「そうだなぁ。長屋に住んでたんだが、広さは四畳半でしかも曰く付き。風通しがいいとか、そういう次元の類じゃなかったな」
「そ、そんなひどいところに住んでいたのか……」
「住めば都ってやつだな」と、雷志はからからと笑った。
人の慣れというものは、本当によくできる。
今日から住むこととなった室内は、少なくとも以前の生活よりもずっと豪華だった。
清潔感あふれる室内は、空気もとてもおいしい。窓から見える景色もなかなか爽快だ。
そして、視線の先にはかわいい少女たちがわいわいと楽しそうにしている。
ふと、目があった。手を振られたので雷志も小さく返す。
たちまち黄色い声がきゃあきゃあと上がり、あっという間に人だかりができあがった。
「……驚いたか?」と、トシミが尋ねる。
「そりゃあ、まぁ」と、雷志は苦笑いをそっと返した。
「ここ、タカマガハラは見ての通り男子の出生率が著しく低下している。加えて、禍鬼どもの狙いは等しく男ばかりだ」
「そういえば、まだ聞いていなかったな。その禍鬼とやらはいったい何者なんだ?」
「……遥か太古の時代より存在するもの。闇の住人、人に仇名す者……それぐらいしか現在もわかっていない」
「なるほど。つまり等しく俺たちの敵ってわけだ」
敵だとわかったのならば、やることは一つしかない。見つけ次第即座に斬る。
「しかし」と、トシミが訝し気な視線を送った。
「何故、雷志は禍鬼を倒すことができたのだろう」
そう疑問を口にして難しい顔をするトシミに――
「さぁな」
と、雷志はあっけらかんと返した。それはむしろ彼自身が尋ねたい疑問だった。
しかしいくら自問したところで満足のいく回答がぱっと出てこようはずもなし。
結局、なにもわからないままでこの会話は終わってしまった。
(まぁ、俺からすればいい剣の相手になるがな)
百年という歳月をかけて磨き上げた己の剣が、禍鬼相手にどれまで通ずるか。
昨日、雷志が斬った禍鬼――あれは一目足軽といい、実力も最下級に該当する。
もっと他にもたくさんの禍鬼がいる。その中には更なる強さを持った個体もいる。
強い者と是非とも戦ってみたい。それはいくら歳月が経ち、若返ろうとも消えることのなかった侍としての性だった。
「だめだからな」と、トシミの口調にやや強みが帯びる。
「わかっていないだろうから先に言っておく。雷志は確かにウチの学生になったわけだが、禍鬼との戦いは控えてもらう」
「どうしてだ?」と、不満そうに尋ねる雷志。
言うなればそれは、子どもから玩具を強引に取り上げる行為にも等しい。
嫁探しは確かに大切だ。それを主体として今後も活動していく。
それとは別にやはり、生粋の武人として生まれたからには猛者達と闘いたい。
「俺は元々、いろんな奴らと闘ってきたんだ。相手が人から化け物に変わっただけだろう。やることは前と変わらんさ」
「それが駄目だと言っているんだ。雷志は、貴重な男子なのだ。そして私たちはそれを守る責務がある」
「なら、どうすればいい?」と、雷志は腰の得物の鍔をそっと親指で押し上げた。
トシミはどうも、自分を他の脆弱な男子と一緒くたにしている節がある。
この世界の論理でいえば確かにそうだろう。そう思うのが普通だ。
だが、雷志からすれば彼女の言動は軽んじているに等しい。
ならばどうすればよいか――女人であれど剣客だ。刃を一つ交えてみたい。
「それは――」
「まぁまぁ、いいじゃないですか土方先輩」
不意に、その少女はやってきた。例えるなら人懐っこい子犬のような印象である。
栗色の髪に青い目をした少女も例外にもれず、端正な顔立ちをしている。
身長は少なくとも、イサネやトシミよりもずっと小さい。
胸については――きっとこれからどんどん成長していくだろう。雷志はそう思うことにした。
「ソウコか。こんなところでなにをしている?」と、少女に尋ねたトシミの口からは深い溜息がもれる。
「いやぁ、土方先輩が男を部屋に連れ込んで自分だけおいしい思いをしようとしているのを見つけたので、便乗させてもらおうかと」
少女は、ソウコというらしい。
いたずらっぽく笑う言動は外見相応らしいかわいらしさがある。
対して、ソウコからそのように揶揄されたトシミは顔を真っ赤にした。目線も右往左往して落ち着きがまるでない。
「お、お前はなんてことを言うんだ!? わ、私がそのような不純な理由で――」
「えぇ~? でも先輩、前々から“男がほしいなぁ”ってずっと言ってたじゃないですか」
「わぁー! 雷志の前でそんなことを言うなこの馬鹿ぁ!」
鋭い拳骨が頭頂部に落ちた。その稲妻の如き一撃が鈍い音を立て「あいた!」と、ソウコは目に涙をじんわりと浮かべた。
「うぅ……すぐそうやって暴力に訴えるんですからぁ。鬼の副長だからって、やっていいことと悪いことがあるんですよ!?」
「お前がいうな、お前が――すまない雷志。騒がしいところを見せつけてしまって」
「いや、俺は別にいいんだが……で、こいつは?」
雷志が視線をやった時、「ん?」と、ソウコがかわいらしく小首をひねる。
小柄な体躯ということも相まって、彼女が愛くるしい小型犬のようにしか見えなくなってきた。
本来あるはずのない犬耳と尻尾が映っているのも、きっと幻覚だろう。雷志は自嘲気味に小さく笑った。
「はじめまして! 僕はミブロ学園一年生の沖田ソウコっていいます! 今日から同級生ってことで、よろしくお願いしますね雷志くん」
「ソウコ、か。わからないことが多すぎて何かと迷惑をかけると思うが、よろしく頼む」
「いえいえ、困った時はお互い様じゃないですか」
「ありがたい」と、雷志は頭を下げた。
(人懐っこい性格、それでいて俺みたいな奴にも優しい……うん、嫁候補としていいな)
控えめな胸はある意味普通だが、今後の成長に期待するとしよう。
「それじゃあ土方先輩。学園内とかの案内は僕が代わりますので」
「なにを言う。案内を任されたのはこの私だぞ」
「でも、それはお部屋までって話ですよね? ならそこから先は同級生の僕のほうが適任じゃないですか。これから同じ学年ですごしていくわけなんですからね」
ソウコの言葉にトシミは「くっ……」と、言葉を詰まらせてしまう。
なにか言い返したい。だが肝心のその言葉が全然出てこない。
ソウコも先輩を論破したという確信を得たのか、得意げな笑みをふふんと隠そうともしない。
あからさまな挑発にトシミの額に青筋が一つ浮かんだ。鬼の副長、それが彼女の異名であるらしい。
鬼を冠する理由をこの時、雷志は垣間見たような気がした。美女であればあるほど、怒った時の形相はひどく険しい。
「ソウコ、表に出ろ。久しぶりに徹底的に稽古をつけてやる」
「やだなぁ土方先輩。そんなにムキになっちゃってぇ……あ、局長も何か言ってくださいよ」
「え!?」と、トシミが勢いよく振り返った。
後ろにいる人物に声をかけたのだから、トシミが気付くはずがない。
つまり、本当に来ているかどうかさえもこの時点で彼女が知るはずもなかった。
トシミの後ろには、最初から誰もいない。つまりソウコの嘘だった。
「それじゃあ雷志くん、早速案内するからいきましょう!」
「あ、おいそんなに引っ張らなくても……!」
ソウコに手を引かれ、雷志はふと思う。
(これが、女子の手の感触か……!)
雷志が知る感触は、柄だけに等しかった。
天下無双を目指したのだから、刀を握るのは至極当然である。
本日、人生ではじめて少女の手を握った。
柄とは違い、手中に伝わる感触は暖かく、優しく、それでいてとても暖かい。
悪くない、と雷志はそっと手を握り返す。決して彼女の手が壊れてしまわぬようそっと、それでいて離すまいとしっかりと強く。
(これからこんな時間が増えるのか……最高かよ)
雷志はだらしなく緩む頬を必死に抑えた。