第3話:ようこそ異世界
何故、こんなことになってしまったのだろう。
雷志はすこぶる本気でそう思った。
切っ掛けは、あの黒髪の少女との出会いだった。名を、和泉守兼定といった。
「突然身柄を拘束するとか……え? 俺なにかやらかしたか?」
雷志は自らにそう尋ねた。もちろん、思い当たる節は一つとしてなかった。
それだけにこの暴挙にも等しい状況に雷志は未だ困惑の渦中にあった。
「なぁおいって。俺がいったいなにをやらかしたっていうんだ? せめて罪状ぐらい教えてくれたっていいんじゃないのか?」
雷志は現在、駕籠によって移送中だ。幸いにも手足は拘束されておらず、けれども外に出るには中はひどく狭い。
自由がほとんど効かない状況では拘束されているも同じである。
「えー、こちらヤマシロ地区にあるミブロ高校前です! 現在、ミブロ高校は一人の男性を拘束および護送中とのことらしく……あ、見えてきました! あの駕籠の中に例の男性がいるのでしょうか!?」
外が異様なぐらい騒がしい。なにをそんなにも騒いでいるのだろうか。
ほんのわずかな隙間から雷志は外を覗く――ありえない、とだけ思った。
ここがどこかはわからない。辛うじて聞き覚えのある言葉がいくつか飛び交うものの、中身はまるで別物だ。
自分の知る世界が一つもない。その現実を目の当たりにした雷志はぎょっと大きく目を丸くした。
「もしかしなくても、俺はとんでもない世界に来てしまったのか……?」
一抹の不安がふとよぎった。とにもかくにも、今は大人しくしていたほうが賢明だろう。そう判断した。
ふと、駕籠が止まる。
「どうぞ。足元に注意してください」と、だけ声が外から聞こえた。
固く閉ざされた扉もすっと開き、そこから眩い光と共に耳をつんざくばかりの歓声がどっと押し寄せる。
(なんだ? このまま出てもいいのか? ものすごく怖いぞ?)
一瞬ためらった後、雷志は意を決して外へと出た。
新鮮な空気で肺を満たす傍らで、雷志は「よく俺気絶しなかったなぁ」と、自らを褒め称えた。
「あ、あれが例の男性のようです! なんですかあの男性はめちゃくちゃかっこいいじゃないですか羨ましい! あんないい男をいったいどこで見つけたのか気になります! 早速取材のほうをしてみたいと――」
「……なんだろうなぁ。同じ言語のはずなのに、言っている意味がまるでわからんぞ」
駆け寄ろうとした少女――彼女のみならず、視界に映る全員が等しく帯刀している。
明らかに不相応だろう幼子さえも、その腰には身の丈にあった短刀をしかと帯びていた。
「とまれ! 部外者はこれ以上彼に近付くのはやめていただこう!」
「ちょっと! それは報道の自由を侵害していますよ! 我々には全国に情報を発信するという権利が――」
「……すまない。戸惑っているだろうが、あれは気にしなくてもいい」と、黒髪の少女が声をかけた。和泉守兼定だ。
「おい、俺をいったいどこへ連れていくつもりなんだ?」
「とりあえず、詳しい説明は後程。まずは我々の局長と面会していただく」
「局長?」と、雷志は怪訝な眼差しを送る。これ以上はもう語る必要はない、と言いたいのだろう。
目前にある建物に、まず雷志は感嘆の息をもらした。
外観も内観も、明らかに大和のそれとは大きく異なる。清潔感にあふれ、高級な雰囲気もかもし出す。
中を行き来しているのは、年頃の若い気娘たちばかりだ。皆同じような恰好をしている。
「ここは本当になんなんだ?」
雷志がそう尋ねた時――
「着いたぞ。ここに我々の局長がおられる」
と、和泉守兼定が淡々と答えた。
「失礼します」と、扉を三回軽く叩いてから静かに開いた。
「ありがとうねぇ。ここまで連れてきてくれて」と、奥の机に座す少女がにこりと微笑んだ。
「かなり大きいな」と、雷志は思わずそう口にしてしまう。
その少女が、和泉守兼定のいう局長なのだろう。
歳は彼女と差ほど変わらないものの、胸については圧倒的な差が生じている。
とにもかくにもそれは大きかった。たわわに実ったそれはまるで山のごとし。
ほんの少しの身動きだけで上下にたゆんと揺れる様は圧巻の一言に尽きた。
(こいつが局長か……なるほど、局長と言われるだけのことはあるかもしれないな)
胸が大きい娘も雷志は好きだった。好きになるのに胸の大小など些細なことでしかないが、男たるもの求めるのならばやはり大きいほうがいい。大きいのは正義だ。
波打った長髪に宿る金色の輝きは、漆黒の闇夜を裂く満月のようだった。
「ごめんなさいねぇ、突然のことでびっくりしちゃっただろうけどぉ」
「あ、あぁ。それについてはもう――それで、いったいここはどこなんだ? お前たちは何者なんだ?」
「まぁまぁ落ち着いてぇ」と、局長と呼ばれた少女はすっと腰を上げる。
おっとりとした口調にどちらかといえば緩慢な動きで、お茶菓子をのんびりと用意していく。
洋菓子を食すのは、雷志にとっては数十年ぶりだった。大陸から輸入される品々は貴重で、それでいてものすごく高い。
一般人ではまず、見ることさえもあるかわからない代物をこの娘はなんの惜しげもなくさっと提供した。
ただ者ではないようだ。雷志はそう思った。
抹茶と、洋菓子の甘い香りが室内をそっと優しく包み込む。
「はいどうぞぉ。遠慮せずに食べてちょうだいねぇ」
「……で、ではありがたく」と、雷志はおずおずとそれを手に取った。
ふわふわとして柔らかく、口にすればさっと溶けるだけでなく程よい甘みが口腔内にさっと広がる。
うまい。雷志は目をきらきらと輝かせた。
「そう言えば自己紹介がまだだったわねぇ。私の名前はこのミブロ学園二年生の近藤イサネ。新撰組の局長もしているわぁ」
「近藤イサネ、ね。俺は華御雷志だ。雷志って呼んでくれればいい」
「じゃあ雷志君ねぇ」と、その少女――イサネが微笑んだ。花のように可憐であり、慈母のように優しい少女だ。
(うぅむ……こういう女性こそ、俺の伴侶として来てくれれば嬉しいんだがな)
雷志はここに至るまでに目にした光景を、ふと思い出す。
全員ではないにせよ少なくとも、これまでに目にした少女は等しくかわいかった。
性格の良し悪しはさておき、その容姿は絵に描いたような美しさがある。
ここはもしかすると天国なのかもしれない。雷志はそんなことを、ふと思った。
「じゃあ雷志君に質問するわねぇ。雷志君はどうしてあの村にいたの?」
「それはこっちが聴きたいぐらいなんだ」
「それは、どういうことだ?」と、和泉守兼定が疑問を投げる。
「俺もにわかに信じ難いんだが……」と、雷志はこれまでの経緯を二人に語った。
彼の口から紡がれる内容は、現実離れしているという他なかった。
それこそ、よくできた御伽噺の類であるとそう思われてもなんら違和感もない。
だが、それらはすべて事実である。一切の脚色なく、雷志は二人に全部話した。
「――、とまぁこれが俺から話せるすべてだな」と、雷志は抹茶をすっと啜った。
二人は――
「……想像しているよりもずっとスケールが大きすぎてどう反応すればいいかわからないわぁ」
「……同じく」
と、揃って大いに困惑していた。
とても現実とは思えない内容なのだ。彼女たちがこのような反応を示しても致し方ない。
だが、これが現実なのだ。雷志は残った洋菓子を口に頬張った。いざなくなってしまうと、それはそれでどこか口寂しかった。
「――、とりあえず雷志君の話が本当かどうかは後で調べるとしてぇ。次はこっちの話ねぇ」
「よろしく頼む――」
イサネより告げられた話に、今度は雷志がひどく驚愕した。